ST-r:01「WAKE:ME」
月並みだけど、今置かれた状況について整理するために少し考えたい。
気が動転している時にはまず、自分が何者かを一から思い出すと良いと聞く。
そう。私は新川零。札幌で暮らす特に変わったところのない、ごく普通の新卒社会人だ。
仕事がめんどくさかったり、たまの休みに友達と遊んだり買い物をしたり。何の変哲もない日常を送っていた――はずだった、よね。
今日だって普通に会社に行ってご飯を食べて、週末には予定があって……
よし。私はまともである。
意を決し改めて目を開けた瞬間、やはり襲ってくる違和感。
間違い無い。ここはベンチの上だ。
……で寝ていた?
そんな事しないし。しかしそう思ってさっき目を閉じて考え直したばかり、その結果が今だ。
まだはっきりとしない目を擦り、起き上がった瞬間にワンテンポ遅れて記憶が蘇る。
そうだ。さっきは確か、家の近所のコンビニで買い物をしようと決済アプリを立ち上げたところで急に眩暈がしたんだった。
暗い空を見上げる。ぱっと見は夜の札幌――のはず。なのに、見える景色が違う。
ここは大通り公園だろうか。家から離れた場所に居る事にはこの際目を瞑るとして。しかし、どう見ても私の知っている街中の姿ではない。
見える建物の姿は全て私が知ったより高く。そればかりか再開発計画の記事で見たイメージ画像よりも遥かに“新しい”景色。
「……東京」
でもないよね。そもそも移動してたらますます意味わかんないし。
混乱と疑問。
高層ビルの間に漂う淡い光。宙に浮かぶ案内表示。ビルの壁に投影された巨大な広告が、まるで生き物のように脈打つ。行き交う人々の目の前には、透明なスクリーンがふわりと浮かんでいた。
眼を遣ると……
テレビ塔の明かりが煌々と辺りを照らす。
私は、思わず駅前通りに飛び出して左右を確認する。
右。やたらと派手なネオンが目に入る……すすきの?
そして反対には、想像を絶する高層ビル群。
札幌駅……?
「……なにこれ」
知らない街に放り込まれたような感覚。でも、ここは確かに私の住む札幌だった。
何故こんなところに居るのか、そしてこんなところに居たとして、ここはどこで何がどうしてこうなったのか。
呆けている訳にもいかない。
今はとにかく“この状況が何なのか”を確認しなくてはならない。
私は街を歩き出した。
なんとなく人の流れに沿って狸小路の方へ向かう。
道路では無音に近い電動モーターの車が路面を滑るように走り、人々はやはり、目の前に映し出されるホログラムのモニターを眺めている。
繁華街特有の雑踏。この人混みは週末だろうか。それにしても多い。
見知ったはずの見知らぬ街中を横目に歩く。
あったはずの建物、お店。
何となく形跡を湛えるものもあれば、区画そのものが変わっているものまで。
夢にしてはやたらリアルで妙。
『SQAカードはお持ちでしょうか……SQAカードはお持ちでしょうか……』
フワフワと浮かぶドローンが繰り返すアナウンス。空間に投影される知らない決済方式の広告。
このままでは何もわからない。どうすれば……
狸小路の入り口は、四隅をビルに囲まれて激安店のBGMが響いていた。
その変わらなさには少しほっとする。目に入るそのビルのそれぞれが自分の知るより遥かに高層である事を除けば。
ここなんて、この前建て替えてたばかりじゃん。
しかし、その建物すら更に別の建築となっていた。
光を放ち、横を通り過ぎる路面電車。
行き交う人々の密度。以前ハロウィンの日に訪れた際はこんな感じだったかもしれない。
カップルだろうか。飲み物を片手に……
飲み物……?
「……っ…」
思考し実感がはっきりしてくると共に、不意に激しい喉の渇きに襲われた。
それはそうだ、私は倒れる前飲み物を買おうとしていたんだから。
ふと、近くのカフェの明かりが目に入る。
何か買わないと。
人混みを避けつつ歩く最中、徐々に積み重なる違和感。
足を止め周囲を見渡す。誰も、スマホを持っていない。なのに、空中に浮かぶ画面を指で操作し、決済を済ませている。
財布も見掛けない。
――嫌な予感がする。
胸騒ぎを抑えつつ私はカフェの自動ドアをくぐった。
「いらっしゃいませ!」
店員がにこやかに言う。
ドローンやホログラムの広告が浮かぶ店内。
「……アイスコーヒーをください」
「かしこまりました。お支払いは……」
「スマホ……」
店員の表情が、ピクリと固まった。
「いやっ……じゃあ現金……」
「……申し訳ありません。お支払いはSQAカード決済のみとなっております」
沈黙。背後の客が、怪訝そうにこちらを見ている。
気まずい。私は、そそくさと店を出る。
次にコンビニの様子を覗く。どう見ても自動化されたレジ。
個人店のようだったさっきのカフェですらあれだ。きっと私はこの街では飲み物すら買えない。
間違い無い。異様に進んだ技術、街、人々の様子。見た事がある。創作の世界では良くある。
未来だ。
そんなはずはないのに、頭がそれ以外の答えを出してくれなかった。
何が、どうして、こうなった?
思い出せ。手がかりはないのか。
街を駆け抜けながら、記憶を手繰る。
二〇三〇年。私は札幌で普通に生活していた。たしか、あの時――
ホログラムのような信号が赤に変わる。慌てて横断歩道を渡りながら、記憶の扉が開く。
「脳波でポイントを管理できたら便利じゃない?」
軽い思いつきだった。
趣味で開発したアプリ。VRゲーム用の脳波センサーを使い、考えるだけで必要なお店のアプリやポイント残高が分かる仕組み。
そのアプリは、妙に流行った。最初は、ただの実験だったのに。ネットで話題になり、誰かが勝手に改造し始めた。
「購買履歴から、最適な買い物を提案するAI」
「ポイントが貯まると、軽い快楽信号を送る仕組み」
気づけば、脳波決済の技術が企業に利用されるようになり、購買行動が最適化され始めた。
……今思えばあれがきっかけだったのかもしれない。
交差点を駆け抜ける。何かのノイズが脳の奥に引っかかる。
最近読んだ記事があった。
「AIのシンギュラリティは、そう遠くない未来にやってくる」
技術の進化が指数関数的に加速し、ついにAIが人間の知能を超える瞬間。
自ら学習し、自己改善を続けるAIが、人間の理解を超えた領域に達する。
それは、人類史上最大の転換点――
「AIが社会のあらゆる仕組みを再構築し、もはや人間がそれを制御できなくなる時代」
そんな話を、数日前に読んだばかりだった。
そういえば、最近はニュースで札幌駅の商業施設でもAIを導入したと言っていたっけ、と思いながら。
そんな事を何で今思い出すのか。
その時。
路地の奥。探し求めていた、もはや懐かしい佇まいのそれ。この街の中では明らかに異質に”過去”を称えたフォルム。私の知っている……
自販機を見つけた。
喉の渇きが、一気に意識を支配する。私は、反射的に駆け寄った。
全速力で走ったせいで、足がもつれそうになる。自販機の明かりが目の前に迫る。
「頼む、動いて……!」
スマホの読み取り口……無い。
はやる手で小銭を取り出し、投入口へ――
……
スルーされて落ちてくる無情な音。
静寂だけが残る。
別の小銭を取り出してもう一度……
……
……何も起きない。
『無効な通貨です。対応する貨幣をご使用ください』
「……っ」
全身の力が抜け、その場に座り込んだ。
喉が渇く。何もかもが、わからない。本当に未来に来てしまったのか?
項垂れて見つめた地面だけは自分のよく見知ったアスファルトだった。
買い物すら出来ず、多分誰も知っている人なんていない、急に知らないところに放り出されて……まるで悪夢みたいな歪な、今の所間違い無く現実。
これからどうしようかな。とりあえず警察……?なんとかなれば今はなんでもいい。
そんな事を考えながら暫く打ちひしがれていたら不意に声がした。
「お前、何やってんだ?」
顔を上げると、目に入ったのは一人の男。
黒のジャケット。整った顔立ち。年齢は――おそらく、二十代〜三〇代前半か。不明。ポケットに手を突っ込み、無造作に取り出したのは――小銭。
「こんなマニア向けの自販機の前で……もしかして、これが必要か?」
「……あんた、現金持ってるの?」
男は、少しだけ肩をすくめた。
「悪いかよ。お前だって、小銭じゃねえならそれは何だよ?」
「使えねぇのか? それ」探るような視線。私は、喉の渇きを訴えるように、微かに頷いた。
「……まぁ、いいさ。奢ってやるよ」
私は初対面でよほど見かねるほどの様相だったのか、男は憐れみとも取れる目付きで一瞥すると雑な手付きで自動販売機に小銭を突っ込んだ。
小銭が自販機に吸い込まれる音。
「何が良い?」
ランプの点灯を待って、私は男を押し退け迷わずエナジードリンクのボタンを押す。
『磯の香りが鼻を突き抜け、濃厚なうま味とわずかな塩気が舌に絡む。後味には亜鉛由来の独特なコクと、強烈なカフェインの刺激が残る、クセになる味わい……』
オイスターエナジー。私のお気に入りだった。
男が、片眉を上げる。
「へぇ……お前、そんなもん飲むのか?」
「別にいいじゃん」
「勝手だけどよ」
男は、私が喉の渇きを癒す様子をひとしきり眺めると不意に尋ねてきた。
「どう見てもワケアリってやつだな」
「ワケアリも何も、ワケワカンナイって感じ」
「なんだそれ」
「気付いたらこの街にいて、いや、この街の事は良く知ってるはずなんだけど、全く知らなくなってて……」
「よくわからねぇけど、上手い事なんとかなるといいな」
「……」
会話が途切れた、その瞬間――
「ジリリリリリッ――!!」
古めかしい黒電話の着信音。
この世界に、似つかわしくない音が響く。
男はポケットからスマホを取り出し、電話で少し話したかと思うと小さく舌打ちした。
気怠げだった表情が、一変する。
「了解。”大体”予定通りだな」
電話を切る。
「おい、お前」
「……え?」
「ここで待ってろ」
そう言い捨て、男は振り向きもせずに走り出した。
だが――私は、その背中を見送ることができなかった。
この世界で、今知っている人間は彼しかいない。
それに――妙な胸騒ぎがする。
私は、躊躇なく足を踏み出した。
「おい、なんで着いて来てんだ!」
男が振り返り、苛立ったように私を睨んだ。
「待ってろって言っただろ」
「……そんなの無理」
「ったく……」
釈然としない様子ながらも、男はそれ以上何も言わずに前を向き直す。
息を切らし走り着いたすすきのの街は、ネオンの洪水に包まれていた。
しかし、そこにはいつもの賑わいはなかった。
代わりにそこにあったのは、異様な喧騒。
逃げ惑う人々、阿鼻叫喚の様相で、私たちとは反対方向に駆けていく。
その駆けてきた先。街の一角だけが異様な静寂に包まれている。
男の背中を追いながら私は尋ねた。
「ねぇ、今どうなって……」
「見ればわかるさ」
その言葉が終わるや否や、空気が重くなった。
肌にまとわりつくような圧力が、街全体を歪ませる。
我関せずと眼下を見下ろすように酒を煽る男の看板。
空まで延びるのしかかるようなビルに囲まれた――すすきの――交差点のど真ん中で、ひとりの女が佇んでいた。
長い髪を振り乱し、肌を紅潮させたその女は、痙攣するように身を揺らしている。
周囲には、恐る恐る後退している数人の人々の姿。
「……ねぇ……もっと……愛して……」
濁った声。
次の瞬間、女の背後から、異形の腕が生えた。
現実世界のルールを逸脱した、“何か” が形を成す。
「……AVRの過剰干渉か……」
男が低く呟く。
私は、思わず男を見上げた。
「……AVR……?」
「……?」
男は短く息を吐き、何か言いかけて――結局、何も言わなかった。
この男、不親切過ぎやしないか。
その間にも、女の異形の腕が脈動し、膨れ上がる。
「愛して……わたしを見て……もっと、もっと……!!」
言葉が、人の声でなくなっていく。
「xxxxxxxxxxxx!!!!」
喉が裂けるような叫び。
「xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxァァ!!!!!」
響く。
止まらない。
女の周囲の空気が歪み、光の粒が散り、触手が突風のように四方へと伸びる。
「消費行動に取り憑かれてやがる。整形アプリか、コスメか、そして一体誰にフラれたんだ?」
男は腰のホルスターに手を伸ばす。
取り出したのは、”普通の”拳銃。
……拳銃?
「おい、お前は下がってろ」
低くそう言い、トリガーを引いた。
二発、三発…銃声が響く。
放たれた弾丸が、女の胴体に命中する。
しかし――
「もっと……もっと、欲しいの……!!」
「xxxxxxxxxxxxxx!!!!!」
異形の触手が蠢き、笑い声がを響かせながらヨタヨタとこちらに向き直す。
男の目が鋭く細められる。
「ったく……」
彼は拳銃をホルスターに収めると、ジャケットの内側からもうひとつの銃を取り出した。
黒光りする、異様なフォルム。
ジリジリと女と睨み合いながら、男は位置を合わせる。下げて構えた手元の銃からは良く聞き取れないが警告のような機械音声が流れている。
「……終わりだ」
銃口を女に向け、トリガーを引く指に力を込めた。
しかし――
その瞬間、私の視界に影が走る。
気づけば、異様なスピードで這いずり、すぐ近くまで来ていた女の姿。
異形の腕が振り下ろされる。
ああ、終わりだ。
まさかこんなところで私の人生が終わりを迎えるとは、よもや考えてはいなかったけど。夢ならもしかしてこの後ハタと目が覚めて、ああ、夢で良かったと思ういつもの悪夢の終わり方だったらいいな。
あ、でも夢ならリアル過ぎるでしょっていうくらい、スローモーションのように、女の腕の、その異様に尖った指の先端を私の眉間目掛けて突き刺そうとしてくる動きが見える。
3、2、1……
どっち道終わり。
刺される覚悟を決めて目を閉じた筈なのに、衝撃は予想外の方向から走った。
地面に打ち付けられる全身の痛み。
気付けば男が私を突き飛ばし、女と組み合っていた。
「何してんの!」
「何してんのも何もお前が何してんだ!」
そう叫びながら男は女の腕を掴み掴まれ、そして少しずつ追い詰められていく。
手を払いのけたかと思ったが、次の瞬間に男の身体は荒々しく地面に叩きつけられた。
さっき私を狙ったように、女の腕は男の眉間を探し、力を込める。
そのとき――
地面に転がる黒光りする銃が目に入った。
男が落とした。”普通ではない”銃。
どうする?
視界の端で、女が笑っている。
「愛して……全部……全部あげるから……」
「要らねえよ!」
「xxxxxxxxxxxx!!!!」
男は苦悶の表情を浮かべ暴れるも、女の異様な力に押さえつけられ抜け出せない。
このままでは、やられる――
咄嗟だった。
冷たく、重たい金属の感触。
気付けば私は銃を拾っていた。
「……っ!?」
不意に私の手の中で、銃がまるで“応える”ようにわずかに熱を帯びる。
『適性確認、使用可能です』
機械音声が響く。
「……適性?」
意味がわからなかったが、使用不可と言われなかったということは、撃てるという事でしょ。
女に銃口を向ける。不意を突かれた女は動きを止め、とぼけたような顔を、変な角度に曲げた首でこちらに向ける。
にっこりと笑う女。
「xxxxxxxxxxxxxxxグゥォ……バポォ!!!」
意味不明な叫び声。
不気味さと、先ほどの事に今更湧いてきた怒りから、衝動的にトリガーを引いた。
――札幌市民憲章――
『わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です。』
『きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。』
さっき流れていたのと同じ警告音? が響く。
いやに冗長じゃない。
まさに女の異形に変貌した手が男の眉間を貫こうとしたその時ーー
音声が流れ切ると、瞬間。
銃口から放たれた光が、女を焼き尽くす。
驚愕に歪む女の顔。
一瞬の静寂。
そして――
すべてが、かき消えた。
すすきのに、静寂が戻る。
手の中の銃を見つめた。自分が何をしたのか、まだ理解しきれていなかった。ただ、確かに……女を撃った。
最後に見えた気がした、女がきっと異形と化す前の素顔の微笑み。
男が、ゆっくりと起き上がる。
「……おい、お前」
息を飲んで振り返る。
彼は、じっと私を見つめていた。
「……まさか、お前が撃つとはな」
その言葉には、僅かな驚きが滲んでいた。
男は、空を見上げ、口の端をわずかに持ち上げる。
「……いい根性してんな」
私は、ただ静かに息を吐いた。