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妖怪憑きの少女

作者: 芽野小幸


 木造りの住居の前でしゃがみ込む少女。目の前に広がる畑では父親が農作業に勤しんでいる。彼女は村を駆けまわる同じ年頃の少年少女を恨めしそうに眺めていた。


(あき)もみんなと遊んで来たらどうだい。そこに居るだけでは時間を持て余すだろう」


 彼女の様子に気付いた父親が声をかけた。明は首を横に振る。


「私はいいよ。どうせ楽しくないし」


 既に仲間に入れてほしいと頼もうとして逃げられた事は隠した。彼女はその理由を父親には聞かれたくなかった。明は父親に向けて笑顔を作る。


「父ちゃんのしている事を見ている方が楽しいから。好きだから」


「そうかい。可笑しな子だね」


 父親は嬉しそうに笑みを返し、作業に戻る。明は地面に座り、抱え込むように手の平で自身の腕の痣を隠した。生まれつき手首の辺りにある大きな痣。以前、痣は前世で悪い行いをした者に与えられるのだと、彼女に向けて村の男の子が口にした。周りに居た子供達もその言葉を信じ、それ以来明が近付くと彼らは蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。


 日が傾き始め、畑から父親が戻ってくる。明も腰を上げて、一緒に家の中に入った。


「父ちゃん、腹減ったな」


「そうだな、すぐに飯にしような」


 父親がかまどの前に向かう。雑穀と水を入れた羽釜を置き、火を点けた。


「粥が出来るまで待ってなさい」


「ううん、私が火を起こすよ」


 父親を手伝うために、竹筒を手にした明はかまどの前に向かった。


「そうかい。それじゃあお願いしようかな」


 薪をくべた父親が彼女に場所を譲る。煙を吸い込まないよう顔を逸らしながら大きく息を吸い込み、明は火の根に息を吹き付けた。


「これから支度ですか。良い所でしたね」


「これは阿久(あくう)殿。どうされましたか」


 父親は家を訪ねてきた青年に声を返した。明も声の方へ視線を向ける。彼は手にした魚を顔の前に持ち上げた。


「良い魚が取れましてね。お裾分けにと思いまして」


 阿久と呼ばれる青年は、この村を護る為に組織された武士団の頭領をしている。おかげで作物や盗人の被害はかなり減っていた。


「お手伝いかい。偉いね」


 明に対して笑顔を向ける青年。明は小さく頭を下げる。


「いつもありがとうございます」


「いえ、狭い村です。助けあっていかなければ」


 彼の持つ魚を受け取りながら父親は頭を下げた。青年は満足気に家を後にする。


「明よ、火の付いた薪をくれるかい」


「あいよ」


 父親はそれを囲炉裏に入れ、火をおこす。はらわたの抜かれた魚を火にかけると、香りは家を包んだ。


「いい匂いだな」


 出来上がった粥と焼き魚を二人で食べる。父親は魚の身に手を付けず、明にたくさん食べるよう言った。彼女は夢中で魚にかぶりつく。


 お腹も満たされた頃、日は沈み夜を迎える。


「そろそろ寝ようかね」


 明は父親と共に寝床を準備する。二人で布団を並べて横になった。明が父親の方へ体を向ける。


「明日は私も畑を手伝うよ」


「そうかい。それはありがたいねえ」


 父親が嬉しそうに返すと、明は笑みを浮かべる。満たされた腹と温かい布団。隣で眠る父親。明は幸せを感じていた。子ども達から忌み嫌われている事などどうでもよいと思う程に。



 大きな物音に驚き、明は目を覚ます。暗闇の中にうっすらと人影を感じる。その瞬間、明の体は何者かによって持ち上げられた。


「父ちゃん」


 返事は無い。横で眠っていたはずの父親の布団には誰も居なかった。


「父ちゃん、助けて」


 必死に叫ぶが、その声は闇夜に消えていく。口に布を押し込まれ、声を出すことも出来なくなった。手足を縛られ、家から持ち出された明は荷車に乗せられた。荷車を引く人影と、その後ろを警戒しながら進む者。村に武士団が組織されてからも、闇夜に紛れて村の子供が連れ去られる事があった。その多くは女の子供で、明の家にも度々注意するよう阿久が訪れていた。


 足場の悪い道を進み、段差を乗り上げるたび衝撃と痛みが明を襲った。辺りは暗さを深める。月明かりも遮られた森の中を荷車は進んでいく。体の痛みに耐えながら、明は助けを求め続けた。


 しばらくすると男たちは町に入った。荷車が民家の前に止まる。父親と二人で暮らしていた家よりも大きな家屋。乱暴に抱きかかえられ明はその中に入る。


「連れてきました」


「ご苦労、ご苦労。約束の金だ」


 恰幅のいい男が明を連れだした者達に金を与える。それを受け取った二人は足早に去っていった。


「伝えた通りの良い女だ」


 男が紅潮した顔で明を覗き込む。足を縛った紐を解いた。


「こちらに来い」


 男は明の長い髪を掴んで立ち上がらせると、家の裏口から庭に出る。そこで一度明の髪を放し、蔵の扉に掛けられていたかんぬきを外す。


「中に入れ」


 男は再度明の髪を掴んだ。蔵の中に明かりは無く、扉を閉めると中は殆ど何も見えなくなった。天井付近に取り付けられた窓から差し込む明かりが男を照らす。着物を脱ぎ、息は荒さを増していた。


「暴れるなよ」


 男が明の体に跨り、着物に手を伸ばした。床を背にした体勢で明は右足を振り上げる。膝が男の下腹部に当たる。苦悶の表情を浮かべる男。明は隙を見て立ち上がり、扉の方へと駆け出した。


「待て」


 明は頭から勢いよく扉にぶつかる。扉は音と共に開き、月明かりが彼女を照らす。裂けた額から流れ出る血も痛みも、明の足を止めはしなかった。


 必死に走り続け、明は町から出ることが出来た。詰められた布を吐き出す。擦れた手首からも血が滲んでいた。痛みに顔を歪めながら、それでも走り続けた。


 しばらく歩みを進め、森の中に身を隠す。


「ここまで逃げれば」


 大きな木の陰に体を屈めた。辺りを見渡して松明の明かりを探すが、見当たらない。


「良かった。追っ手はいない」


 安どの表情を浮かべる。だが松明とは明らかに違う、青い光の揺らめきを明は見付けた。


「あれはなに」


 森の奥、何故だかその光に明の足は向いた。進んでいくと、大きな石の上に座る人影を見付ける。淡いいくつもの青い光に包まれた少女。仕立ての良い着物を身に付けた少女は、明を見付けると石の上から飛び降りた。音も無く地に足を付ける。


「あなた、こんな所で何を。あら、怪我をしているではないですか」


 少女が明の血を拭う。着物の袖が赤く染まった。彼女は明の手を縛る紐を外す。


「ありがとう。君こそこんな夜に、どうして森の中に」


「彼等が寂しがるからね」


 少女が手をかざす。辺りに浮く淡い光が揺れる。


「君はいったい」


「妖怪憑き。そう呼ばれているわ」


 彼女は笑顔で答えた。


「妖怪憑き」


 明が聞き返すと少女は手で口元を隠す。小さく笑い声をあげ、肩を揺らした。


「こんなに悪い気持ちが込められていない呼ばれ方をしたのは久しぶりよ。(はる)。そう呼んでもらえると嬉しいわ」


「晴、この不思議な光は妖怪なのかい」


「半分は言う通り。半分は間違いね。みんな姿を現してもいいよ」


 彼女がそう言うと、淡い光は姿を変えた。猿のような頭に虎の手足を持つもの。女の顔に蝙蝠(こうもり)の体を持つもの。長い鼻に赤い顔のもの。光は様々な容姿に変わり、明は驚きを隠せなかった。


「彼らは妖怪と呼ばれているけど、別に人間に悪いことはしたりしないわ。人間が表す言葉とは違う。だから半分間違い」


「そうなのか」


 どれも見た事が無い姿で、明は次々に視線を変える。


「そんなに視られると恥ずかしいぜ」


 長い鼻の妖怪が顔を手にした大きな葉で隠す。


「あら天狗さんが照れてるわ」


 その隣を飛ぶ、蝙蝠姿の女がからかった。


「やめてくれ。顔が赤くなる」


「元から赤いわよ」


「そうなのかい」


 天狗は驚いたように言葉を返した。


「なんだか夢の中に居るようだ」


 明が呟く。


「そうね。彼らはいつも人間から隠れて暮らしているから。驚くのも分かるわ」


「晴はこの森で妖怪と暮らしているの」


「ええ。下に降りても人間は私を見ようとはしないからね。彼らと暮らしている方が楽しいの」


 明るく答える彼女に明は親近感を抱いた。腕の痣を晴に向ける。


「私もこの痣のせいで忌み嫌われていた。人は自分と違う人をすぐに避ける」


「そうね。じゃああなたも人間から逃げてきたのかしら」


「半分は言う通りだね」


 明はこの森に来るまでの事を話した。全てを聞き終えた後、晴が問いかける。


「これからあなたはどうしたいの」


「父ちゃんのところに帰りたい」


「そう。じゃあその男にあなたを諦めてもらわないといけないわね」


「どういうこと」


「また連れ去られるかもしれないからね」


「そんなこと出来るの」


「まずは髪を切りましょうか」


 晴は辺りを見渡す。


「かま、かまはいるかしら」


「いるぞ、晴」


 イタチが晴の顔の周りを回りながら答えた。


「彼はイタチのかま。風で物を切ることが出来るわ」


「どうして髪を切るの」


「あなたを助けるためよ。かま、肩くらいまでで切ってちょうだい」


「あいよ」


 イタチが尻尾を振ると、風が起こり、明の髪をなびかせた。長かった髪は瞬く間に短くなり、風に流されて切れた髪が空に消えた。


「これでどうなるの」


「後は名前ね。あきら。あなたは今からあきらよ」


「わからない。君の言っていることが何もわからない」


「大丈夫。それだけでいいの。じゃあ一緒に男の所へ行きましょう」


 そう言うと晴は歩き出した。彼女の後ろで蝙蝠姿の女が羽ばたく。


「その妖怪も一緒に行くの」


「彼女はむま。あなたを助けてくれる妖怪よ」


「そうなんだ」


 何もわからないまま、明は彼女たちの後をついて山を下りていった。


 逃げ出した家に近付くと、明かりがついていた。家の周りには何人もの男。松明を手に辺りを探し回っている。


「ここからどうするの」


 家屋の陰に隠れて小さい声で問いかける明。晴は蝙蝠女に声をかける。


「むま、お願いできるかしら」


「わかったわ」


 羽根を広げて男達に近寄る。その羽根で風を起こし、松明の火を消した。慌てふためく男達。


「今のうちよ。男の所へ。大丈夫だから」


 晴の手が明の背中を押した。道に飛び出した彼女は言われるがまま家屋の中に入る。


「おお、戻ってきたか。どうしたんだその髪は」


 男が明に気付いて口を開いた。彼女に近付く男。体を震わしながら明はその場に立ち続ける。逃げ出したい気持ちを押さえ、晴の言葉を信じた。


 強い風が吹き、室内の火を消した。闇が二人を包む。


「なんだこれは」


 突然の事に男が慌てた声を出した。


「これは妖怪の仕業です」


 声の方へ振り返る。家屋の入り口には月明かりに照らされた晴の姿。


「その姿は妖怪憑き。頼む。どうにかしてくれ」


 怯えながら、すがるように言う男。晴は室内に入り言葉を返す。


「わかりました。(はら)って差し上げましょう」


 彼女は着物の袖を口元に持っていき、小さく呟く。

「掛けまくも(かしこ)(よろず)の神よ、諸々(もろもろ)罪穢(つみけが)れを祓い給へ」


 彼女が言葉を発すると、男の目の前に蝙蝠女が姿を現した。それを目にし、腰を抜かして座り込む男。額には汗が浮かんでいる。


「な、なんだこの化け物は」


「その妖怪は夢魔(むま)。人に憑き、色欲を高ぶらせる者。あなたはいつしか妖怪憑きとなっていたのですね」


「そんな、私が妖怪憑きだと」


「ええ。あなたはこの子に情欲してしまう程に、取り憑かれています。少年よ、名を申してみよ」


 明は突然の問いに慌てて答える。


「あき、ら。私はあきらといいます」


「そんな。女では無かったのか」


 男は目を見開く。その顔の周りを蝙蝠女は笑いながら飛び回った。


「夢魔に幻を見せられていたのでしょう。可哀想に。すぐに私が祓って差し上げますので、ご安心ください」


 そう言って晴は再度口元を隠した。


急々(きゅうきゅう)如律令(にょりつりょう)。うつし世は此処(ここ)より分かつ」


 蝙蝠女が苦しみだす。耳をつんざくような声を上げ、その姿は淡い火の玉に変わった。揺らめきを弱めながら静かにその姿を消す。男はうなだれたまま動かなかった。


「まだこの子に対して特別な感情はありますか」


「ない。そんな気持ちは無い」


「それは良かった。うまく祓えたようですね。ではこの者は私が連れて行っても」


「ああ、構わない。すぐに消えてくれ。私の前から二人とも」


「では。妖怪にはくれぐれもお気をつけて」


 そう言い残して、晴は明を連れて家を後にした。


 森の中へと戻る道中、明が声をかける。


「あの、本当にあの蝙蝠は消えてしまったの」


「そんなわけないでしょ」


 蝙蝠女が姿を現して明に言葉を返した。晴が口元を手で押さえて笑う。


「あれはでたらめよ。妖怪はそんな事をしないわ。人間の方がよほど穢れているもの」


「でも良かったの、妖怪のせいにして」


「いいのよ。人の世を見守るのが私たちの務めだもの」


「君は一体何者なの」


「妖怪憑き。人間からはそう呼ばれているわ」




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