故郷の空
黎明の空にまだ敵の機影は無い。
「目標巡洋艦!」と大山哲郎が停泊中の重巡洋艦を目標に定めて急降下を始めると、敵も気付いて赤や青の曳光弾を花火のように打ち上げて来る。
「高度三千メーター」と伝声菅からペアを組んでいる後部座席の渡辺勇作の声が届く。艦上爆撃機は高度二百五十メートル位まで突っ込まないと命中率は良くない。真ん中に艦橋を捉えている照準器いっぱいに、飛来して来る弾丸は上下左右に分かれて行き、高度計は五百メートルを指す。
「用意!」
「三百七十ノット、七十三度、上一つ半、テッ!」
爆撃ボタンを押して爆弾投下、操縦桿を力いっぱい引き起こすが機首が上向かない。みるみる海面が迫りこのままでは激突する。
「うあー!」
自分の叫び声に驚き、目が覚めた。「ここは?」と一瞬戸惑ったが、やがて宿舎の天井であると我に返って、「夢だったか」と胸をなで下ろした。しかし死は覚悟している筈なのに、弱気になっているようで死んだ戦友に申し訳ないなと自嘲する。
昭和二十年八月十五日正午、哲郎はラジオの前に整列して終戦の詔勅を聞いた。彼が所属する鹿児島県岩川を作戦基地とする芙蓉部隊の指揮官美濃部少佐は、これを一部の策動では無いかと疑い臨戦態勢を解く事は無かった。芙蓉部隊は特攻に参加しない稀有な部隊で、隊員の少佐への信望は篤く団結心も固い。搭乗員は全員新しい飛行服に着替え、哲郎も本土決戦と勇み立った。十六、十七日の両日とも夕刻から二十機ほどが九州南部へ飛び立って索敵活動を行い、哲郎も会敵する事無く帰還して眠りについていたのである。
十八日、大分の艦隊司令部に指揮官が集められ、大本営海軍部の戦闘行為中止命令が発令された。これを受けて翌日美濃部少佐は岩川基地に帰還し、隊員達を指揮所前に並ばせて、「終戦」を告げた。
「戦友の死を無駄にするな!」
「まだ戦える、最後の一戦を!」
上官に詰め寄る者、ひざまずき嗚咽を漏らす者、勝つことのみを信じて負けるなど考えてもみなかった事態に直面して誰もが戸惑っていた。哲郎もその一人で、その場にいる事に耐えきれずに列を離れた。放心状態のままただ歩き、いつの間にか基地の外に出ていて、気付くといつも上陸(外出)してお世話になっている民家(下宿)の玄関に立っていた。
「お邪魔します」
玄関を開けて訪いを入れる。
「あれまあ、大山さん。戦争が終わって良かったですね」
「え!」
出て来た中村のお絹さんと隊員達から親しまれている下宿のおばさんが、事も無げに放った言葉に絶句する。二階の畳部屋に上がって出されたお茶を飲みながら話を聞くと、十五日正午に住民は集会所に集められてラジオの玉音を聞き、区長から「戦争は終わった」と話があったそうで、「正直ほっとしました」と嬉しそうに語った。どうやら基地の中だけ戦争が終わってなかったようである。
「大山ヘイソウいらっしゃい」と奈津子が、海軍上級飛行兵曹である哲郎に抱き着いて来た。六歳になるお絹さんの末娘である。
「なっちゃん」と哲郎は奈津子の頭を撫でた。膝に抱かれながら無邪気な瞳をみるうち、大好きな搭乗員の姿が見えなくなって消息を聞かれた時、戦死と言えず「どこかに不時着したのだ、そのうち帰って来るよ」と思わず言い逃れた事を思い出した。やがて奈津子は「ミキカン」や「センシ」という言葉を覚えた。
夫婦共に歳は四十過ぎで、夫は二度目の招集を受けて聯隊は満州に居るらしい。今月九日にはソ連が参戦したと聞いていたので、その置かれた厳しい状況を思うと、生きていてほしいと奈津子を見ながら心の中で願った。
「大山さんはいつ故郷に帰るのですか?」
そう言われて気付いた、戦争が終われば帰る処は故郷であろう。死の覚悟と共に帰る処は靖国であったのではあるが。
「大山ヘイソウ帰っちゃうの?」
「んー、どうかな? ここが気に入っているからずっとなっちゃんと一緒に岩川で暮らそうかな」と答えをはぐらすと、奈津子は嬉しそうに笑った。
「あれ! 大山さん、飛行場から煙が」とお絹さんが指差した二階窓から見ると基地から濛々と煙が立ち上っているのが見えた。
「おばさんご馳走になりました」と哲郎は軍靴を履いて急いで基地に戻って行った。
やがて煙の原因がすぐ分かった。隊員達が林の中にある兵舎から物を運び出して焼却をしているからである。
「おいナベ、どうしたのだ」
ペアを組んでいる渡辺勇作が、書類の束を火に投げ入れているのを見つけて尋ねる。
「ああ、哲ちゃん。どこに行っていたのだ、姿が見えないので心配したぞ」
「中村のおばさんの処に行っていたのだ。いったい何の騒ぎだ」
「ああ、これか。哲ちゃんは聞いて無いよな、あれから指示が色々出たのだ」
「指示?」
「機銃や無線機は破却、機密書類は勿論、俺達搭乗員の持ち物一切を即刻焼却しろ、だ。哲ちゃんもボヤボヤしてるとどやされるぞ」
サバサバした表情で作業を続ける勇作を見て、何か釈然としない思いのまま哲郎も作業の輪に加わった。彷徨っていた体は、指示を受けるとたちまち動き出す。初めのうちは納得のゆかぬ思いを抱いていたのだが、バチバチと火の爆ぜる音が物を投げ込まれる度に大きくなり、照りつける太陽の下で炎を全身に浴びて黙々と作業を続けるうちにモヤモヤした気持ちは汗とともに吹き飛んでしまった。
その夜は主計倉庫からアルコール類や缶詰が放出され自然と解散会のようになった。
「哲ちゃんは、甲飛十一期だったよな」と隣の渡辺勇作が話しかける。甲飛とは、甲種飛行予科練習生の事である。勇作は乙種飛行予科練生で歳は同じ二十歳であった。甲種と乙種は最終学歴や進級スピードに違いがあって犬猿の仲とも云われていたが、ペアを組んでからは気心の知れた一番仲の良い親友である。
「哲ちゃんも尻に痣が残ったままだろう」
「ああ、何しろ訳も分からず毎日こん棒でバンバン叩かれたからなあ」
「総員起こしの号令には参ったよな」
起床の号令がかかると三十秒以内で吊床を畳まなければならないのだが、一人でも三十秒を超えると全員が出来るまで延々とやり直しをさせられた。
「短艇訓練では手のマメが潰れて尻の皮が擦りむける、夕食後には罰直だと云われて腕立ての姿勢を小一時間もやらされた。自由時間なんて無かったよな」
「俺なんて、寝床で常磐線の汽車の音を聞くたび、あれに乗って田舎に帰りてーって涙を流したもんだ」
何となく、交わす話題もわびしい思い出話となり、続けて勇作が呟くように話した。
「我が部隊は特攻に参加しなかったが、鹿屋に進出して以来、沢山死んだな」
鹿屋とは、芙蓉部隊が静岡藤枝基地で夜間訓練を重ねて今年の三月末に移動して索敵攻撃活動を開始した鹿児島鹿屋基地の事で、米軍が沖縄に上陸してから九州南部の空襲が激しくなったので、北東三十キロに位置するここ岩川へ五月二十日に移転したのである。出撃回数は八十回を超え、延べ六百機以上が出撃して戦死者は約八十名を数えていた。
哲郎は肯きコップを握った。死に向き合った者にとっては戦死した兵士も生きている兵士も違いがある訳では無く、敵弾に当たれば彼らの処に征くだけである。だから僚機が撃墜され、また未帰還となっても、悲しいとか可哀想とかといった感情は湧かなかった。
哲朗は、目の前にあるウイスキーの瓶を見つめながら、予科練同期だった風間寛太を思い浮かべていた。
芙蓉部隊が岩川に基地を移転する前、五月のある日の事であった。
「やあ、元気か」
哲朗の部屋に彼が訪ねて来て、「これを」とウイスキーとドロップを差し出した。戦局は逼迫して多忙を極めていたせいか、彼が鹿屋基地にあった事すら気付かずにいたので突然の訪問に驚いた。
「これはありがたい」と哲朗が謝すと、彼は哲朗が爆撃した敵基地の様子を聞いて来た。かいつまんで説明し、「今、その報告書を書いている所だ」と言って作業を続けた。明日の作戦の事もあり、気忙しくしている様子を邪魔しては悪いと思ったのであろう、窓際に行って外を眺めていた。
「夕空晴れて秋風吹き 月影落ちて鈴虫鳴く 思えば遠し故郷の空 ああわが父母いかに
おわす」
暫くして彼の口遊む歌声が聞こえてきた。哲朗は顔を上げて、「映画で流れていた歌では無いか? 予科練の頃が懐かしいな」と言うと、にっこりと笑って頷いた。学校から引率されて観た国策映画で、この映画に感化されて予科練に入った連中は多く、彼も見たようである。予科練生が束の間故郷に帰省して夕暮れの小川で佇むシーンで流れた曲で『故郷の空』というスコットランド民謡である。
その時、隊の同僚が入って来て作戦会議を行うからすぐに来いと声がかかり、慌てて報告書を抱え、「すまんな」と詫びて部屋を出て行った。会議が終わって部屋に戻ると彼の姿はすでに無く、机の上のウイスキーとドロップを眺めながら、明日は俺が何か持って訪ねようと思った。
同期生千百八十五人の中で彼とは班も違っていたので特別親しく交わった訳では無かったのだが、武技の課業で班対抗の闘球では、たまたま人数合わせの関係で、助っ人のようにして哲郎と同じチームで試合をした事があった。彼のパスを受け取り駆け回ったのは楽しい思い出として哲郎には残っていて、彼もそうであったであろう。鹿屋基地は特攻基地でもあり、彼とは所属部隊も違うのでその時は知る由も無かったのだが、翌日哲朗が夜間爆撃から戻った時にはすでに特攻で出撃した後であった。広い戦線で同期も散り散りとなってしまい、突然の特攻命令を受けた彼は生きた証を辿るようにして、せめて同じ釜の飯を食べた仲間と昔を懐かしもうと哲郎に会いに来たに違いない。
(別れを言いに来たのだ、俺に)
最後の笑顔が哲朗の瞼に焼き付いたままであった。ウイスキーを一口喉に流し込むと、胃の腑から熱さが込み上がり、あの時の歌声が耳の奥で響き渡った。
「哲ちゃん」と士官室から出てきた早川中尉が哲郎を見つけて向かいに座った。昭和十八年九月学徒出陣徴募の士官で、哲郎より五歳年上なのだが、婆気も残って気さくな性格でもあったので日頃から親しくしていた。
「哲ちゃんは、広島だったよな」
「はい、吉田という田舎です」
「俺は山口だから、一緒に復員せんか」
「ふくいん?」
復員の意味が呑み込めていない哲郎の様子を見て、勇作が説明する。
「哲ちゃんは聞いて無かったよな、部隊は解散となったのでそれぞれ郷里へ帰る事を復員と言うのだそうだ。機密書類の焼却や機材の破却が終わり次第各自復員せよとの命令だ。この基地ともオサラバという事だ」
(ああ、吉田へ帰るのか)
しかし故郷へ帰る事が叶わなかった寛太を思うと、哲郎の気持ちは複雑であった。
「どの面下げて……、帰れますかね」
自嘲気味な哲郎の心中を察したのであろうか、早川中尉は元気づけるように話す。
「そこでだ、どうせなら復員に戦闘機を使わせてほしいと願い出たら、以外にもあっさりと許可が下りたのだ。哲ちゃんが広島だったのを思い出して複座の彗星で一緒に岩国基地まで使用いたします、と了解を貰って来た」
「彗星で……」
「ああ、もう無用の長物になったと少佐も少し投げやりだったけどな。さっそく搭乗割を始めたところだ」
生死を共にした戦闘機が無用の長物と呼ばれる事に淋しさを感じたが、愛機と飛べる事は何処に行こうが単純に嬉しくもあった。
「操縦はお任せください。その代わり後部座席は忙しいですよ」と冗談を交える。
「そうそう、敵攻撃機への警戒、無電の送受信、風向風速、機位の保持、爆撃の際には照準角の修正を瞬時に計算して前席につたえ、速度と高度を読み取る」と勇作も同調する。
「はは、もう気楽なものさ。迷わんように地図だけは見て指示してやる」
三人は少しだけ笑った。そしてその夜はみんなぐっすりと眠りについていった。
残務整理もあって、出発は二十一日となった。隊員の大多数は昨日のうちに軍用機や軍用トラックなどを利用して故郷に向かい、勇作とも再会を約して別れた。午前十時、早川中尉と彗星の許に行くとすでに整備員が待機していた。
「やあ、すまんな」と早川中尉が謝す。
「お世話になりました」と哲郎は握手をして、
スピードを上げるために機体を磨き、不眠不
休で整備をしてくれた姿を思い浮かべた。
主翼付け根に上がって哲郎は操縦席に、早川中尉は後部座席に乗り込んだ。哲郎が合図を送ると胴体下部のクランク棒が回され爆発音とともにプロペラが回転を始める。車輪止めが外され、機上の二人は整備員に敬礼する。
「お気をつけて!」との答礼は、初めて聞く言葉と、初めて見る送別の笑顔であった。
哲郎は発動機の回転数を上げ滑走路に向かった。二百五十キロ爆弾を抱えていないので軽快に離陸し、基地上空を一度旋回してから最後はバンク(翼の横降り)を振って草原の滑走路を後にした。
彗星は昭和十八年に実戦配備され日本機としては珍しく液冷エンジンを装着し、最大速度も五百八十キロで米戦闘機グラマンも彗星に追いつく事は出来ない。離陸して高度五千メートルにあっと云う間に上昇するが、復員なので巡行高度は三千二百メートル前後で順調に飛行し昼過ぎには岩国基地に着陸した。
「もぬけの殻だな。どうやら全員復員してしまったようだ」と早川中尉が言った。
驚いた事に基地内は誰一人として居ない。
「岩国駅に行って様子を聞いてみますよ」
哲朗が吉田に帰るには汽車で広島駅から芸備線に乗り換えるのだが、広島が新型爆弾により壊滅したと聞いていたので、交通機関がどうなっているのかが分からない。岩国基地で詳しい情報が聞けるであろうと思っていたのだが、当てが外れてしまった。
「仕方がない、とりあえず腹が減ったな」と早川中尉が言ったので、哲郎は出発前に準備しておいたにぎり飯を雑嚢から取り出した。
「汽車はだぶん駄目でしょうね、歩きますよ」
握り飯を食べ終え哲郎の話を聞きながら、早川中尉は広大な基地に放置されたままの軍用機や練習機を眺め、哲郎に提案する。
「哲ちゃん、いっそ『赤とんぼ』で復員してはどうか。あれなら着陸距離も短くて済む」
「赤とんぼですか……」と哲郎もその木製複葉機を眺めながら、気乗り薄そうに話す。
「哲ちゃん、早く親に顔を見せてやれよ」
早川中尉は哲郎の背中を押すように話す。
飛行練習生として訓練を重ねた複座の赤とんぼを眺めているうち、座席から風間寛太が手を振る姿が浮かび、やがて消えた。哲郎は意を決するように立ち上がった。
「赤とんぼで復員します」
さっそく飛行に十分な燃料の機を選んで操縦席に乗り込む。早川中尉にクランク棒を回してもらって発動機を始動させると排気口から黒い煙が噴き出してプロペラが回り始め、排気ガスが風防の無い操縦席に入り込んだ。
「早川中尉、お世話になりました」と哲郎が敬礼し、笑顔とともに早川中尉も答礼した。
高速で飛ぶ彗星の感覚が残っているので、ふわっと離陸してからも止まっているのでは無いかと錯覚してしまう程、地上の景色はゆっくりと進む。海に向かって離陸して北に進路を取る。宮島を右手に海上を進むと厳島神社の赤い大鳥居が出迎え、やがて前方に三角州に浮かぶ広島市内が霞んで視界に入って来る。市内上空に入った哲朗は息を呑んだ。
街は黒々と焼け野原が広がり、河川と道路だけになっている。吉田の田舎から子供の頃親に連れられ何度か訪れた広島は、哲朗にとって大勢で賑わう大都会であった。新型爆弾で街は壊滅したと話に聞き頭の中で想像はしていたのだが、目の前に広がる惨状はそれが現実の重さとして哲朗の上にのし掛かって来た。茫然と上空を一回りした。
「予科練を受けるん? 学生さん偉いねえ。うちに泊まったからには大丈夫、きっと受かるけん」と予科練の試験で泊まった旅館の仲居さん達の声が耳元で蘇る。その場所は跡形も無かった。哲朗は泣いた、悔しくて泣いた。
あたかも時間が止まってしまったように感じた街の風景であったが、哲郎の視界の端に黒い塊が動いたように見えた。
「おや?」
それは鉄の軌道をなぞるように動く路面電車であった。更に目を凝らすと、道路には車も走っていて、人影も動いて見えた。
「うおー!」と哲朗は思わず叫んだ。街も人も死に絶えてはいなかった。その様子を見届けて哲郎は機首を吉田に向けた。
吉田に向かうには芸備線の線路を伝って行くのが確実で、汽車であれば一時間三十分の距離でもある。広島駅は線路と共にその外観を留めていた。芸備線は太田川の左岸を北上し、玖村駅から三篠川を縫うようにして線路は中国山地に分け入ってゆく。
やがて吉田駅が見えて来ると、西に可愛川(江の川)と多治比川の合流点にある落合河原が視界に入った、赤とんぼが着陸するには十分な広さがある。高度を下げると丁度夏休みなのだろうか、河原では水泳に興じる大勢の子供達が目に入った。そして近寄ってくる赤とんぼに気付いて指さしてはしゃいでいる。
「危ないから退けろ!」と哲朗は叫ぶが、エンジンの音にかき消されて子供達に届かない。再び旋回してから子供達に手を振り声を上げて退けるよう叫ぶが、声が届く様子は無く、逆に勘違いして手を振って答えている。
哲朗は河原に着陸するのを諦めて、「どうせ無用の長物」と躊躇無くその少し先にある深みに着水する事に決めた。高度を下げ最後はエンジンを切った。水飛沫が操縦席にかかり、強い衝撃と共に機体は前のめりになって機首が川底に水没して逆立ちするようにしてから止まった。操縦席から這い出て翼の上に立って助けを求めると川岸から見ていた一人が泳いで飛行機に近寄って来て、「大丈夫ですか?」と哲郎を見上げた。
「あ! 山田先生ではないですか」
驚いたことに泳いで助けに来たのは小学校の恩師であった。
「大山ではないか!」
山田先生は翼に上がって来て二人は思わず抱き合ったのだが、弾みで足が滑って二人とも真っ逆さまにドボンと川に落ちてしまった。濡れ鼠のように顔を出した二人の様子を見て子供たちが川岸ではしゃぐ。
「わーい」
「あはははは」
川の中から哲郎が見上げた青空に、朗らかな子供たちの声がこだました。