第4話 動き始めた計画
「アルヴィス、お前何やって……!」
目を白黒とさせたアリアは跳ねるように立ち上がり、アルヴィスの服を掴む。
あまりの勢いにイスが倒れて、あたりに派手な音が響いた。
「申し訳ございません。殿下のものを全ていただくのは、やはり品がなかったですね」
「そういうことじゃない!」
血相を変えたアリアとは対照的に、アルヴィスは落ち着き払っているどころか、この状況を楽しんでいるようにも見える。
「大丈夫ですよ。致死性はないのでしょう? 仮に毒だとしたら、いつから効いてくるんです?」
安閑としたアルヴィスの様子にアリアは頭を抱え「数分のうちに」と答えた。
「不愉快よ! ベルカント、ただちにその恥知らずな側近騎士を連れてこの場を去りなさい」
怒り狂う王妃にアルヴィスは悠々と一礼する。
「王子殿下の無実がかかっておりますので、あと数分いさせていただきたく……ッ」
それまであっけらかんとしていたアルヴィスだったが、話し途中で顔をしかめてうつむいた。
「なぁに、毒の演技でもなさる気? そんなもの、顔色ですぐに嘘か真かわかりますわ。って、え……?」
フェローチェ王妃が扇子でアルヴィスの顔を上げさせる。額には冷や汗が滲み、顔色が青い。やがてアルヴィスはうずくまって唸りはじめたと思うと、頭を押さえてそのまま地面に倒れ込んだ。
「アルヴィス!」
アリアが悲鳴に似た声で叫び、貴婦人たちの金切り声が響き渡る。
「何、いったいどういうこと……なぜ苦しんでいるの? わ、私は知りませんわ! 商人が美容にいいからと持ってきたのよ!」
顔面蒼白となったフェローチェ王妃が、ガクガクと震えながら腰を抜かして座り込む。
やがて「許せない」と、強く歯噛みし、扇子を握りしめて立ち上がった。
「あの日の商人を探しなさい! 私に恥をかかせるなど、絶対に許せない。毒に気づかなかったお前ももういらないわ!」
フェローチェは紅茶を注いだ侍女の頬を扇子で強く叩き、侍女は床に倒れ込んだ。
騒がしい王妃と貴婦人たちに構うことなく、アリアは唸るアルヴィスの前で立ちつくし、青い顔で震えていた。
「いや……いやだよ、毒なんて……もうあんなのは……」
――お母様が倒れたのも春で、無数の花が咲き誇る季節だった。あのときもアルヴィスみたいに頭を押さえてうずくまっていて……それで、お母様は……
過去の恐怖にとらわれたアリアの震えは、目に見えてひどくなる。
混乱する茶会は悪夢のようだ。だが、すぐにまた状況が動き出す。庭園の扉がおそるおそる開き、侍女が一人入ってきたのだ。
「これは……」
レミィは愕然とした顔で、あたりを見回す。
青い顔をして震える主に、床に倒れて苦しげな呼吸を繰り返すアルヴィス。
自分たちは大丈夫なのかと、気が動転して怯える貴婦人たち。
最後に「毒を売りつけられた」と、怒り狂う王妃を見て、茶会で何があったのかを察したようだ。
「ベルカント様、どうかご指示を! 毒ははじめの対処が肝心なのでしょう⁉」
茫然とするアリアの腕を、レミィが強く掴む。
呼びかけられたアリアは次第に我に返り、気合いを入れるために自分の頬を自らの両手で強く叩いた。
動かなければ、知識がなければ、何も変えることはできない。このままでは自分はなんのために毒の研究をしていたのかわからないではないかとアリアは奮起する。
「レミィ、すぐに男手を連れてきて! 医務室にアルヴィスを運ぶ」
「かしこまりました!」
命令を受けて、レミィはスカートを翻して駆け出した。
一方、アリアは苦しむアルヴィスを前に、ぶつぶつと呟きながらあたりを見回す。
「寝たまま吐き出させるのは危険だし……何か方法は……」
王妃の扇子、貴婦人たちのアクセサリー、庭園の花と順番に視線を送り、テーブルの上のミルクピッチャーで目を止めた。
「これだ!」
ミルクティーを好む客人のためにと各席に置かれたものだ。幸い誰も使用していなかったため、大量に余っている。
アリアはテーブルに置かれたミルクピッチャーをかき集め、アルヴィスの上体を起こして唇にあてた。
「アルヴィス、飲め! 早く!」
『間に合え』と、半ば強制的に飲める限り流し込む。
薔薇の毒が効きはじめているのだろう。
少しずつアルヴィスの呼吸が荒く、速くなっている。熱も出はじめているのか、顔も赤い。
アリアは勇気づけるように、震える彼の手を強く握った。
「アルヴィス、あと少しの辛抱だから……」
男手はまだなのか。食い入るように扉を見つめる。
レミィが出ていって数分しかたっていないはずなのに、ずいぶんと時間が過ぎているかのようにアリアは感じた。
「お待たせして申し訳ありません!」
音をたてて扉が開き、衛兵を連れたレミィが庭園に飛び込んでくる。
立ち上がったアリアは手を上げ『ここだ』と衛兵を呼ぶ。
「早く医務室に!」
アリアはアルヴィスを担いだ衛兵とレミィとともに、急ぎ庭園を後にしたのだった。
♧
同じ頃、客を乗せた幌馬車が、王都の門を発った。
「眼鏡の兄ちゃんは、ノヴァリー領までで間違いないかい?」
恰幅のいい御者が問いかけ、金髪に空色の瞳の青年が頷く。
「ええ。お願いします」
青年は古びたマントを手繰り寄せ、くるまるようにしながら振り返る。
華やかな王都スオナーレ。
その最奥にそびえるムジカ城を見つめた青年は、きゅっとこぶしを握りしめた。
「アリア、すまない。何も起きていないといいのだが……」