第3話 王妃の茶会
三人は階段を昇り、バルコニーにある小さな庭園へと向かう。
「王子殿下、アルヴィス様、私はここから先に立ち入ることを許されておりません。お帰りをこちらでお待ちしております」
レミィが一礼し、庭園前の扉の横へと移動した。
ここから先の茶会では、レミィのサポートを受けることができない。アリアは顔を引き締め、深く息を吸い込んだ。
アルヴィスが扉を開けると、花の甘く柔らかな香りが鼻をくすぐる。
薔薇や百合など華やかな花が咲き誇る庭園には大きな丸テーブルが置かれており、王妃フェローチェと上級貴族の奥方たちが着座していた。
「うふふ、いらっしゃい。ベルカント」
ムジカ王国王妃フェローチェが妖しく笑う。綺麗で、色気のある人だ、とアリアは思う。
大きな胸に、細い腰。鼻にかかった、ねだるような甘い声。柔らかそうな灰白の髪も、とろんとした赤紫の瞳も潤んでいるようで、溢れんばかりの色香に惑わされる男性も多いことだろう。
フェローチェはこの国の王妃であるが、彼女とアリアに血の繋がりは無い。
五年前、実母であるクラヴィア王妃が持病で急逝したことで、周囲からベルカント王子の健康も不安視されることになった。
そこで『もう一人、王子を』と周囲から望まれ、王の妻にあてがわれたのがフェローチェだ。
フェローチェは公爵家の娘で、かつて隣国の貴族に嫁ぐため、このムジカ王国を出ていた。
だが、哀れなことに夫を亡くして未亡人となった上に、一人娘も義弟夫婦に奪われてしまったらしい。
不幸が重なって出戻ってきた、心優しく芯の強い女性なのだとアリアも聞いたことがあった。
出産歴があるのと、公爵からの強い勧め、国王からの条件である『新しい王妃は齢三十を超えていること』という条件に合致していたため、彼女はすぐに王族に迎え入れられることとなった。
そんなフェローチェが王妃となって五年が経つが、子を授かる兆しは全くなかった。
それもそのはず。国王レガートは、亡き前王妃クラヴィアをいまも想い続けており、フェローチェと寝所を共にしたことが一度たりともなかったのだ。
ノートによると、フェローチェはこれまで、ベルカントに積極的に関わろうとせず、今回と同様、思い出したように茶会を開いていたらしい。
立太子の儀を控えた王子から嫌われるわけにもいかず、前妻の子という煩わしさもあり、この形になったのだろう。
「ベルカント、こちらの席におかけになって。遠慮なさらないでいいのよ」
フェローチェが長く細い指で、空席を示す。
アリアは「失礼いたします」と、着座する。
貴婦人たちから注がれる熱い視線に身の置きどころがないアリアは、思わず苦笑いを浮かべた。
アリアの若く中性的な容姿はみずみずしくて美しく、堂々とした振る舞いには品がある。
儚げな白銀の髪と空色の瞳をした美しい王子の登場は、彼女たちの心を強く射止めたのだろう。
「王妃殿下、本日はお招きにあずかり、大変光栄でございます」
アリアはベルカントのノートに記載されていたとおりに振る舞う。
ノートには、茶会はいつも半刻もしないで終わると書いてあった。
まれな茶会であるし、当たり障りなくボロを出さないように振る舞ったほうがいいとアリアは考えて、穏やかに微笑んだ。
「私、ベルカントがお好きそうな、甘みのあるお茶を見つけましたの。さぁ、淹れて」
王妃フェローチェは侍女に茶をつがせながら、客人たち一人ひとりに視線を送る。
「今回の紅茶は、ジュピト帝国原産の薔薇でできた、希少なローズティー。最後に薔薇の花を浮かべるのが帝国流。花びらも一緒にお飲みになってくださいませね」
フェローチェが説明するのと同時に、侍女が小ぶりな薔薇の花びらをむしって、紅茶に浮かべた。
「さぁ皆様、どうぞお召し上がりになって」
フェローチェの言葉を合図に、貴婦人たちは配られたカップに口を付けるが、アリアはなかなか飲めずにいる。猫舌なのだ。
たゆたう湯気が消えるまで、アリアはローズティーの香りを静かに楽しむ。
甘くて豊かな香りに心地よさを感じていると、後ろに控えていたアルヴィスが一歩前に出てきた。
そうか、毒見だ。アリアは納得をし、先にスプーンを入れて紅茶をかき混ぜる。銀のスプーンが変色しないところを見ると、ヒ素はなさそうだ。
「アルヴィス、悪いが頼む」
「失礼いたします」
アルヴィスがカップに手を伸ばす。
「何をなさっているの?」
カップに指が触れた瞬間刺々しい声が聞こえた。
声の主はフェローチェ王妃だ。いかにも不愉快といった様子で、顔をゆがませていた。
「私のふるまうお茶に、毒が入っているとでも? 無礼にもほどがあるわ」
「お気を悪くされましたら申し訳ございません。規則ですので、ご理解いただけますと幸いです」
アルヴィスが胸に手をあてて一礼する。流れるような気品ある動作に、貴婦人たちの口から、ほうと甘いため息が漏れ出た。
切れ長で黃金の瞳をもつ若い騎士に、見惚れてしまったようだ。
だが、フェローチェは一人、当てつけのように深く息を吐き出した。
「規則? 貴方、誰にものを言ってらっしゃるの。確か、ノヴァリー伯爵の息子だったかしら」
「はい。私は……」
「アルヴィス! いいって」
アリアが強くたしなめる。王妃に目をつけられたらアルヴィス本人だけではなく、彼の家にも何らかの不利益があることが想像にかたくない。
自分のせいで、誰かを不幸にさせてしまうのはごめんだ。ましてや自分は、不吉で争いの種とされる双子なのだから。
アリアはうつむいて、甘い香りが漂うカップを見つめた。
「アルヴィス、確かめなくても大丈夫だよ。毒なんて入っていな…………ッ!」
予想だにしなかった光景に、アリアは声を失った。
紅茶の上で揺れる花びらは、薔薇よりも鮮やかで艶のある赤で、わずかに白っぽい斑点模様がある。
「ジュピトローズ……」
アリアは確かめるように呟く。
慌てて貴婦人たちのカップを覗き込むと、全て食用の薔薇の花が入っていた。
アリアのカップにだけ、起きてはならない異変が起きている。
「どうしました?」
アルヴィスの問いかけに、アリアが声を潜める。
「これ、ジュピトローズだ。ジュピト帝国にだけ咲く薔薇で、神経毒を持っている。致死性はないけど……」
毒は毒。苦痛は避けられない。
「王妃殿下、恐れながら申し上げます。私のカップに毒の薔薇が紛れ込んだようです」
アリアは前かがみになりながら真剣な声色で言い、貴婦人たちが顔をこわばらせてざわつき出す。
「なにを馬鹿なことを。皆様方もお飲みになっているじゃない。私も飲んでいますよ」
フェローチェはアリアに見せつけるように、紅茶を口にする。
「いえ、紅茶のほうではなく、薔薇の花びらのほうで……」
「貴方まで私を愚弄するの!? 王妃が国の宝である王子を殺めるはずがないでしょう!」
フェローチェは激昂し、声を荒らげる。アリアに向けられる貴婦人たちの視線も、鋭く冷たいものへと変わった。
味方のいない空間に、ひゅっと小さく喉の奥が鳴る。
――いけない。このままでは、兄様が誤解されてしまう。
毒薔薇を見つめて、アリアは顔を強ばらせた。
以前、アリアは興味本位でこの毒を試したことがある。
薄めていたし、致死性はないからと甘く見ていたが、頭痛や吐き気、呼吸苦に発熱といった症状に何時間も悩まされ、あまりの苦しみに死の気配さえ感じたのだ。
またあんな思いをしなければならないのかと、冷たい汗が頬を伝う。
離席してしまいたいところだが、いまの自分は王子。兄のために、逃げるわけにはいかない。
行くも地獄、引くもまた地獄だ。
――どちらも同じ地獄なら、私は兄様を守る道を行く。
こぶしを強く握りしめて、毒を口にする決意を固める。
アリアがカップに手を伸ばしたとたん、隣に控えていたアルヴィスがふむ、と小さく頷いた。
「やはり、失礼いたします」
アルヴィスはアリアを押しのけてカップを奪い取る。そのまま酒でも飲むように喉を鳴らして、ローズティーを飲み干した。
「ああ、なんということでしょう。あまりにも美味しくて、全ていただいてしまいました。申し訳ございません」
アルヴィスは、わざとらしく眉を落として謝罪の言葉を口にする。
彼の突飛な行動に王妃フェローチェは目を赤く血走らせ、貴婦人たちは青い顔をし、アリアの頭の中は白く染まった。
ここからは、週1〜2回くらいのペースで投稿していこうと思います!