第2話 側近の座
アリア、レミィ、アルヴィスの三人で庭を歩いていくと、本館の扉近くで貴族の親子が話しているのが目に入った。
「あれは、フラット伯爵とテナー様……?」
レミィが確かめるように言う。名前と顔が一致しないアリアのために、さりげなく情報を寄越してくれているのだろう。
フラット伯爵たちに近づくと、二人もアリアたちに気づいたようで、にこやかにお辞儀をした。
「おはようございます、王子殿下。ご無沙汰しております」
白髪混じりでタレ目の伯爵が穏やかに微笑み、アリアも挨拶を返す。
「フラット伯爵は、領地の報告にいらしたのですか?」
アリアの問いかけに、伯爵は思いあぐねるように視線を泳がせて、笑顔を取り繕った。
「ええ、そうですね……書類をお渡ししに参りましたのと、国王陛下に伺いたいことがございまして……」
伯爵は、アルヴィスと息子テナーに交互に視線を送る。
父親に似て、タレ目で焦げ茶色の髪のテナーは人の良さそうな微笑みを浮かべているが、アリアを見つめる視線はどこか鋭い。
兄のノートにはフラット家は国王派と書いてあったような、とアリアは思い返す。
フラット領は平野が多いため小麦やブドウの生産が盛んで、土地に恵まれていることもあって安定している領だったはずだと、かつて家庭教師に習った記憶を手繰り寄せる。
兄のノートには、テナー・フラットは貴族学園の同級生であり、同じSクラスの学友だと書かれていた。
柔和で政治学に長けて、相談にもよく乗ってくれる、人当たりのいい人物だと書かれていたようにアリアは思う。
ノートにはテナーについて好印象で書かれていたはずなのに、彼の視線は痛いほどに突き刺さってくる。
思わずアリアがごまかし笑いを浮かべると、テナーがゆっくりと口を開いた。
「ベルカント王子殿下。なぜ貴方様は、この男を側近に選んだのですか?」
怒りに似た感情を向けられているのを感じたが、アリアには彼が怒る理由がわからない。
兄がアルヴィスを選んだ理由だって、自分が一番知りたいほどだ。
「うーん。アルヴィスがいいと思ったから、かなぁ。言いにくいようなことも、はっきり言ってくれるしさ」
もっともらしい答えを返すと、テナーは笑みを浮かべたまま反論する。
「いいと思った、ですか。我がフラット家はノヴァリー家とは違って国王派ですよ。貴族学園でも私が貴方様の一番の学友で、一番の理解者だったはず。私ではいけなかった理由を、私が納得できるようにお教えいただきたいのです」
「え、ええと、そうだなぁ……」
食い下がるテナーにアリアはたじろぎ、再び口を開いた。
「仕事ってさ『友だちだから、一緒にする』っていうものじゃないんじゃないか」
皆にとって、予想外の答えだったのだろう。その場がしんと静まり返る。アルヴィスはくつくつと楽しそうにのどの奥を鳴らし、レミィは頭を抱えた。
「ベルカント様……!」
テナーの顔がみるみるうちに赤く染まり、身体も細かく震えだした。
フラット伯爵が「テナー」とたしなめる。
冷静さを取り戻したテナーに、アルヴィスが煽るようににこやかな笑みを見せた。
「テナー殿、そろそろよろしいでしょうか。殿下は茶会に向かわれるご予定ですから」
「ああ、これは失礼を。いってらっしゃいませ」
表向きこそ和やかに別れていたテナーだったが、アリアがふと振り返ると自分とアルヴィスに憎悪に満ちた強い視線を向けていた。
♢
「俺の返答、そんなに変だった……?」
城の本館に入ったとたん、アリアがぽつりと呟いた。
自分の発言でテナーを怒らせてしまったと、反省していたのだ。
アリアの言葉にレミィは口をつぐみ、アルヴィスはきっぱりと首を横に振った。
「いいえ、至って真っ当なご意見ですよ」
「それなら、なんであんなに怒るんだろう?」
「そうですねぇ。人というのは浅ましくて弱くて、臆病な生き物ですから。通常、自分を肯定してくれる者で周りを固め、安心を得たくなるものです。なので、王族の一番の学友になれれば、いつか引き立ててもらえるだろうと、下々の者たちは期待をしてしまうんですよ」
アルヴィスはテナーと別れた中庭の方向を見つめ、にっこりと口を開いた。
「つまり貴方は、テナーのいじらしい期待を弄んで、踏みにじった。たったそれだけのことです」
にこにこ顔のアルヴィスを、レミィはげんなりした表情で見つめる。一方のアリアは「そういうものなのかな」と、納得がいかない様子だった。
「ああ、そうそう。殿下、僕もさっきの理由をうかがいたいです。嘘を口にされましたでしょう?」
アルヴィスの問いかけに、アリアは「嘘って、何?」と返す。
「僕を側近につけた本当の理由ですよ。普通は信頼できない者をそばには置かない。それに何より、貴方様は僕をお嫌いだったはずですよ」
アリアは兄のつけた情報ノートを思い出す。彼の欄に書かれていたのは政敵ノヴァリー家の次男で、貴族学園の騎士専攻に進んでいたということ。
性格欄に書かれているのも『狡猾』『考えが読めない』『目的がわからない』といった内容ばかりだった。
「そんな、どうして俺が嫌っているって思うんだよ」
質問を質問で返すと、アルヴィスはくすくす笑う。
「はっきり言っていただいていいんですよ。僕も貴方が嫌いですから」
「おそろいですね」なんてアルヴィスが世間話でもするように言い、レミィが「不敬罪ですよ!」と声を荒らげる。
だが、アルヴィスは怯む様子ひとつ見せず、アリアに一礼した。
「口が過ぎましたね。失礼いたしました。ですが、どうぞ僕がお気に召さなければ、ノヴァリー家ともども裁いてくださいませ。生まれながらにして権力を持つ貴方様には、それができますから」
あまりの強気で投げやりな姿勢に、アリアは目を丸くして苦々しく笑った。
「好かれてなさそうとは思っていたけど、なかなか言うなぁ」
兄様を嫌いだなんて、アルヴィスはきっと兄様を誤解しているとアリアは思う。そして、いつかその誤解を解いてやりたい、とも。
「罪には問わない。けど、さすがに大勢の前で言うのはやめてくれよな。かばいきれないし」
隣のレミィがまた頭を抱えているのが見える。お人好しがすぎるだとか、兄様信仰の押し付けはやめておけ、とでも思っているのだろう。
「あのさアルヴィス。お前を側近につけた理由は、いずれわかるよ」
――私も貴方もきっと、いつかわかる。兄様は考えなしに行動する人じゃない。だから、私は揺らいだりなんかしない。いまはただ、兄様の帰城を信じて王子の代役をこなしつづけるだけ。
アリアが、にっと歯を見せて笑うと「はぐらかされてしまいましたね」と、アルヴィスも目を細めた。