第1話 似て非なる双子
「俺と、入れ替わってみないか?」
深刻さを含んだ兄の声に、妹のアリアは目を見開いて動きを止めた。
静まり返った部屋に風が吹き込み、アリアのローブと長い銀髪が揺れる。同時に記録用紙の山が崩れて、吹雪のように宙を舞った。
「うわぁ! さっきまとめたばかりだったのに……」
「これまた派手に散らばったね。相変わらずこの部屋は、錬金術の実験室のようだ」
用紙を拾う手助けをしながら、兄ベルカントがにこやかに言う。
石造りの年季が入った部屋には開きっぱなしの本が散乱し、棚には謎の草花や虫の死骸、不気味な魚など、奇妙なものが入った瓶が並べられている。
令嬢……いや、王家の血を引く者が住むような部屋では決してなく、『錬金術の実験室』と称されたのも無理はない。
「そんなことより、入れ替わるって何? 私と兄様がってこと?」
「そう。アリアが王子ベルカント・ファランドールになるんだよ。妹の存在を知るのは一握り。バレないと思うんだ」
ベルカントは拾い上げた記録用紙を手渡しながら言い、アリアはきらきらと目を輝かせた。
「へぇ、子どもの頃に戻ったみたいで面白そう! でも……入れ替わってどうするの? 私に政治は無理だよ?」
王子ベルカントは責任感が強く、実直な男。『入れ替わってみよう』なんて、突拍子もない提案をする人ではなかったし、奇抜なことを考えつくのはむしろ、妹のアリアのほうだった。
アリアは胡乱な目で兄を見つめる。
雪の朝のような白銀の髪に、透き通る空色の瞳。長いまつげと、中性的な容姿。双子なだけあって、自分とよく似ている。
だが、思考までは類似してくれなかったらしく、穴があくほど見つめても、兄の考えは少しも読み取れはしない。
難しい顔をするアリアに、ベルカントは困ったように眉を下げて笑った。
「そんな大したことじゃない。近々、ドルチェを楽しむパーティーがあるのだけれど、俺は甘いものが苦手でね。だけど、俺が口をつけないと、パティシエの顔がみるみるうちに青くなるんだよ。王子のご機嫌を損ねてしまった、ってね」
「ふーん。せっかくのパーティーなのに、嫌なものを食べさせられたり、ビクビクしたりして、なんだかもったいないね」
アリアは本を閉じて窓辺に寄り、頬杖をついた。
出入りを許されない華やかな城の本館には、ぽつりぽつりと灯りが灯されはじめており、使用人たちが右に左に行き交っている。
慌ただしくも活気ある城を楽しげに見つめるアリアだったが、次第に唇を尖らせた。
「他の国みたいに戦争をしているわけじゃないし、平和なんだから皆、仲良く楽しくすればいいのに」
「皆仲良く、楽しく、か……。人と人とが理解し合うのは、本当に難しいことだと思う。俺だって、信頼できるのは家族だけだから」
「兄様?」
意味深長な言葉にアリアは振り返って、首を傾げる。
ベルカントは言いにくそうに口をもごつかせたあと、困ったように笑った。
「なぁ、こんな生活嫌じゃないのかい。王女なのに『双子は不吉で争いの種』という言い伝えのせいで存在を抹消され、城はずれの塔なんかに追いやられて。この塔だって『人嫌いな“先代王の愛妾”のもの』とされて、城の者も寄りつかない。 恋をするどころか、貴族の友人の一人さえ作れないじゃないか」
ベルカントは顔を曇らせ「このままでは俺たちはずっと孤独だ」と消え入りそうな声で続けた。
こんな兄は、見たことがない。いつもとは違う疲れた表情に、アリアの心はざわついた。
「私は変装さえすれば城下に下りられるし、この生活嫌じゃないけどなぁ。……そうだ! さっきの話の続き! パーティーの日、入れ替わってみようよ。こんなに似てるんだから、きっとばれない」
アリアは姿見の前に立ち、長い銀髪を手でくくる。
ベルカントが隣にやってくると、二人はまるで合わせ鏡のようだ。
「……ありがとう。だけど、本当にいいのかい? 近々俺の側近として、あのノヴァリー家の次男アルヴィスがつくし、アリアに嫌な思いをさせることになるかもしれない」
「よくわかんないけど、一日くらいどうにかごまかすよ。兄様の声真似だって得意だから大丈夫。久しぶりにお城の中に入れそうでワクワクしてるし、兄様も思いっきり好きなことをしてきて」
兄の両手を握って楽しげに笑うアリアに、ベルカントはどこか申し訳なさそうに微笑んだ。
「すまない、アリア。恩に着る」
♢
そんな話があったのが、一ヶ月ほど前。
髪を短く切り、塔内で入れ替わりの練習を続けて、ようやく王子の姿が様になってきた頃のこと。
「明日の朝、試しに少し入れ替わってみよう。いまのアリアならできるから」という言葉を最後に、ベルカントが忽然と姿を消した。
彼が残したのは『本日より、代役を頼む』というメモがついたカバンと、中に入っていた手紙とノート、衣装の三つだけ。
分厚いノートには、ベルカントの交友関係や城内の地図など、共有すべき情報がぎっしりと書き込まれていた。
はじめは困惑していたアリアだったが、すぐに『兄様のために』と食い入るようにノートを見つめ、中身を頭に叩き込んだ。
整った字で書かれたアリア宛ての手紙には、大きく分けて三つのことが記されていた。
一つ目は『王子を毒殺しようとしている者がいる』ということ。
二つ目は『自分が帰城する日まで、正体を明かしてはならない』ということ。
三つ目は『政敵の息子、アルヴィス・ノヴァリーが本日より側近につく。動きが読めないから気をつけろ』ということ。
毒殺を企む者は誰なのか、どのような攻撃をされる可能性があるのかという記載はなく、怪しい者が誰かさえ書かれていない。
アルヴィスに関しても『考えが読めない』『目的がわからない』という具体性に欠けた内容だけ。
あまりにも危険で投げっぱなしな内容に、歳が近い侍女のレミィは「国王陛下に相談すべき」と進言したが、アリアは頑として首を縦に振らなかった。
生真面目で優等生な兄がこのような行動に出るなど、よほどのことだとアリアは考えたのだ。
頑固なアリアに、レミィはオレンジ色の瞳を向けて強く睨みつけた。
「アリア様の兄様信仰は異常です。女の命とも言える長い髪を失い、さらには今回のこの手紙。身代わりとして命を捧げろと言われているようなものではないですか!」
「信仰なんて大げさな。私ね、兄様がいなかったら、生きていられなかった。だから、兄様が望むことはなんでもやりたいの」
「そういうところが信仰だというのですよ……」
レミィは眉間にシワを寄せて、頭を抱える。上品に整えられた赤髪がわずかにほどけて乱れた。
「大丈夫だよ、レミィ。俺は上手くやってみせる」
兄の服に袖を通したアリアは、にかっと歯を見せて笑う。
策を巡らせることは苦手でも、暗記は得意だ。しかも、子どもの頃は病弱だった王子の代役を何度もしていたし、過去に演劇の助っ人として、城下町の劇場で男性役をこなしたことだってある。
『どうにかなる』が信条のアリアは王子の代役という務めを果たすため、不安げな顔のレミィを連れて城の本館に向かい歩き出した。
若葉の香り漂う明るい庭を、二人は行く。
興味津々のアリアを横目に、レミィのため息は止まらない。
「ねぇ、バラ園ってまだあるのかな? 見に行ってもいい?」
「ダメです!」
アリアを叱責するレミィの声が響いたとたん、どこからか聞き覚えのない低く艶やかな声が聞こえてきた。
「このようなところにいらっしゃったのですね」
二人があたりを見回すと「こちらですよ」と、生垣の向こうから、騎士服の男が現れた。
「ノヴァリー伯爵令息、アルヴィス様……」
侍女のレミィが呟くように言い、深々と頭を下げた。
――この人が、アルヴィス・ノヴァリー? 政敵の次男だからと、兄様が警戒していた人だ。でも、にこやかだし、悪い人には見えないけど……。
アリアは見定めるように視線を送る。
――漆黒の髪に、金色の瞳かぁ。塔から見える朝日の輝きみたいで……
「綺麗だなぁ」
「はい?」
「あ、いやなんでもない。おはよう、アルヴィス。今日は天気が良かったから、散歩をしていたんだよ」
アリアは兄の姿を思い出しながら、穏やかに返答する。
「そうでしたか。ですが、城の中庭とはいえ、侍女と二人で歩くのはおやめになったほうがよいのでは? あらぬ噂がたちますよ」
「噂、って?」
どんな、とでも言いたげなアリアに、レミィが助け舟を出す。
「我が主、マルチア様が『立太子の儀を控えたベルカント様のご成長の様子を知りたい』とのことで、私も王子殿下のおそばにお仕えすることが決まりました。ベルカント王子殿下もご了承済みのことです」
「マルチア様……ああ、先代国王の公妾殿ですね。人嫌いで、城はずれの塔に住んでいるという」
はい、とレミィがうなずき、アルヴィスもなるほどと首肯した。
「そうでしたか。王太子となるにふさわしい人物かという試験のようなものですね。とはいえ、護衛はつけるべきでは? 貴族学園での貴方様の接近戦の評価、お忘れでしたら教えて差し上げましょうか」
くすくす笑うアルヴィスに、レミィはうぐぅと喉の奥を鳴らし、アリアを肘で小突く。『いまの貴女は王子。無礼な男になにか言い返してやれ』と遠慮のない侍女は言いたいのだろう。
アリアは『兄なら警戒する相手にどう返すか』を考えてみるが、これといった答えが見つからない。苛立つ姿も、にこやかに対応する姿も、どこかそっけなくする姿も、全て正解で全て不正解に思えてしまう。
どうしたものかと頭をひねっていると、アルヴィスが眉をひそめた。
「昨日、転ばれて頭を強く打たれたと聞きましたが。いまも体調が優れないのですか?」
アリアはアルヴィスの言葉に、これは好機と頷いた。賢い兄のことだ、こうなることを見越して、不自然な行動や、記憶の曖昧さが不信感に繋がらないよう先手を打っていたのだろう。
それならば、とアリアは笑う。
「なんだか記憶が混乱してるみたいでさ。わけわかんなくて不安だったんだけど、アルヴィスのようないいヤツが側近だとわかって、俺は安心したよ!」
「は!?」
アルヴィスとレミィの声が重なる。
「俺を心配して探しに来てくれたんだろ? 確かに俺は、剣術が苦手だしなぁ。腕が良くて、進言もしてくれる側近がついてくれて嬉しいよ。今日からよろしくな、アルヴィス」
アリアは手を差し出して笑う。
兄がどうするかなんて、考えてもわからない。それならば、全て頭を打ったせいにして、自分の思うように行動したほうがよほどいいと考えたのだ。
「心配、といいますか、常に貴方様のおそばに控えるのが僕の仕事、というだけなのですが……」
アルヴィスは呆れたような顔をしてレミィに視線を送り、レミィは「今朝からこのようなご様子で」と苦笑いを浮かべた。
「あ、記憶が混乱してるのは内緒にしてほしいんだ。立太子の儀を控えている王子の様子がおかしくなった、なんて聞いたら、みんな不安になるだろ?」
アリアの頼みに、アルヴィスは目を細める。
「そんな弱みを僕に伝えていいんですか? なぜ側近にフラット家のテナーをつけなかったのかと、城内の噂はもちきりなほどなのに。ノヴァリー家は、国王陛下と対立する王弟殿下から懇意にしていただいていますからね」
「アルヴィス、何が言いたい?」
「おや、ご説明が必要ですか? 僕に陥れられたり、毒を盛られたりするかもとは思わないのですか、ということですよ」
「――ッ!」
言葉を失ったレミィが目を見開いて、アルヴィスを睨む。
一方、アリアはまっすぐにアルヴィスを見つめて、にぃと笑った。
「思わないね。それに、俺は毒じゃ死なないよ」
――大切な人をまた毒で亡くすことがないように、私はずっと毒の研究をしているんだから。
「大した自信ですね」
「そうか? とにかく。俺は死にたくないし、誰かに殺されてやるつもりもないよ。だから、これからよろしくな」
「これはこれは。信頼していただけているようですし、ご期待に添えるようにいたしましょう」
目を丸くしていたアルヴィスは妖しげに口角を引き上げて、差し出されたアリアの手を取った。
「退屈な生活になると思っていましたが、楽しくなりそうですね」
アルヴィスは呟くように言い、アリアは首をかしげる。
「何か言ったか?」
「いいえ。なんでもありません。さぁ、バルコニーの庭園に向かいましょう。フェローチェ王妃殿下が殿下をお誘いです」
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