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半熟たまご

・12時47分

 ピクルスは口の中でパリッと音を立てた、チハルは可笑しそうにそれを確かめながら自らもチーズバーガーを頬張る、やっぱりこれよぉ、と言わんばかりに目を大きく開いて僕に微笑む。

 

 平日のお昼時、マックの店内は思いのほか閑散としていた、そうチープなバーガーは今日は作られていなかったんだ、代わりに普通の冴えないチーズバーガーを頬張る、ポテトもカリカリのをね。

 チハルはプロのヴァイオリニスト、都内の楽団に所属しているらしい、言われてみれば、あぁなるほどといったところだった、改めて手と指をじっくり観察する、そう、あからさまにね、だってプロのヴァイオリニストなんてそうはいないでしょ?しかもこの距離で。

 残り少なくなったチーズバーガーを持つ左手とその指、時折ポテトに浮気する右手、あからさまに見られているのにニヤニヤしながら僕を見つめる彼女に少しエロティシズムさえ感じる、ニヤつきながらポテトをついばむ彼女の口元に視線が移るとチハルは我に返ったように口を閉じた。

 そう、このくらいになってきて僕はわかってきたんだ、チハルの口をキュッと閉じて笑う仕草の理由、彼女の大きな口の綺麗な歯を支える歯茎はほんのちょっと、ほんのちょっとだよ、目立っちゃうんだよね、きっとチハルはそれがコンプレックスなんだ、だからあまり歯や歯茎を見せずに笑う、でも僕はそのやや大き過ぎる口とやや目立っちゃう歯茎の両方が彼女を僕と同じ生身の人間である温かさの共通点のように感じて結構、いやかなり気にいってたんだよ。でも僕はそんなことを考えているとは微塵も悟られないようにどうでもいい話をチハルにはじめた。

「ねえ、半熟たまごって知ってる?」口を閉じたまま爽健美茶をすするチハルに尋ねる。

「え?今度はなんです?」クスクス含み笑いをしながら目で話の先を促す。

「いや、こないだ友人と飲んでて結局答えが出なかったんだよ、半熟たまごの半熟とはどのあたりの事かってね。」未だ話が掴めないという目で瞼をしばたかせるチハル。

「そいつは言ったんだよ、目玉焼きなんかの黄身を箸でプツって裂いた時にとろ~んて出てくるヤツじゃんって、でも僕は言ったんだ『馬鹿かアレはとろ~んってなってんだから生じゃん、もしくはやや暖まった生じゃん』って」チハルはやれやれまた始まったという感じで口をへの字に変形させる、でも嫌いじゃないんだよ彼女、こういう話、たぶんだけど。

「そしたらそいつ、じゃあそのとろ~んってなってる表面の固まった部分じゃね?って言うのよ、そんなのまんま焼けてるんじゃねぇかって言ってやったよ。」僕としてはここでチハルの歯茎が見たかったんだけど、

「で?彼はなんて言ったの?」と彼女はさらに先を促した。

「どうでもいい。」やれやれすべってしまったらしい。

「へ?」

「いや、『どうでもいい。』って言ったんだよそいつが。まぁ要するに世の中の日常には本質なんて理解されていなくてもなんら大勢に影響の無い物事は唸るほど転がっていて、で、そんなことを気にもせずに僕らは前だったりうしろにだったり進んでいるっていう話しをしたんだ。」話がチハルの予想とは違う方向に向かったらしく、どう反応したらよいか視線が宙を泳ぐ。

「それはウソね。」泳いでいた視線を僕に向けるとチハルはポテトを人差し指の代わりにピンッと天井に突き出して言った。

「そのオチは後付けで、半熟については未だ答えが出ていない、そうでしょ?アタシもこの話がどうでもいいって思ってるって思って話のオチを無理に作ったわね?」小悪魔のように鋭いけどエロい視線で僕を睨む。『名探偵』みたいだ。

「君の推理は大したものだけど、ほんとこれはどうでもいい話なんだ。」今更どうあがいてもこの話題を面白く塗り替える自信が僕には全く無かったのでさらりと返事した。でもやっぱり彼女、こういう話、嫌いじゃないんだよね。

「じゃあアタシもどうでもいい話をひとつ。サランラップって知ってる?」

「あぁ、クルッてやってパリッと綺麗に切れるのはサランラップだけなのは知ってる。」

「あはは、アタシはそれは知らないけどサランラップの名前の由来、もともとアレって鉄砲の弾とかが湿気たりしないように包むのに開発されたんだって、でね、それを作っていた会社の社員の奥さん達がピクニックに行く時にね、レタスを包むのに旦那の会社のそれを使ったのよ、それが今のサランラップの使われ方のはじまりなんだって、で、その時の奥さん達の名前が」「サランラとプだね」「違うわよ変なとこで切らないで、サラとアンだったんだって。どう?どうでもいいけど面白くない?」

「じゃあ、サラアンラップが正しいんだね、でもそのオチこそウソだよ。」

「えー、ウソかなぁ、でもラジオで言ってたんだけど。」

「いや悪戯みたいなウソじゃなくて、情報操作だよ、だって鉄砲の弾を包む製品でレタスを包んで下さいっていきなり売り出してもイメージ悪すぎるでしょ? だから、そんなアットホームなエピソードを世間に流して鉄砲の弾とレタスの隔たりを縮めたんだ、そして商品名は社員の奥さんの中から語呂のいいのを摘んできて、サランラップの出来上がり、これが本質だね、きっと。」うん、たぶんこれは間違いないんじゃないかな?と自分も『名探偵』の気分に酔う。

「そう言われると、そうかもね、サラとアンってところも確かに怪しい。でもそんな情報操作もサランラップの本質には影響なく、大抵の人は気にもせずに使っているわけね。」

「そう、君は賢い。」僕はだんだん彼女のペースに飲み込まれつつあるのかもしれない。

「では私たちも今日の本質を忘れないうちにそろそろ行きましょうか。あそうそう、さっきの話なんだけど黄身のとろ~んってなってるいわゆる生と、そのがわを覆ういわゆる焼けた部分の間の白っぽく半分固まったような部分はなんて言うの?」チハルは立ち上がりながらトレーを引く、それが『半熟』かもしれない。「いや、ほんとどうでもいいだ。」彼女が持ち上げたトレーをそっと取り上げながらニコリと笑う。


 今日の本質っていうのはさっきチーズバーガーを頬張っている間に話したんだけど、チハルはシャボン玉を飛ばさなければならない、そして僕はどうしてもチハルのヴァイオリンを生で聞かなくてはいられない、というモノだった。

 だから僕たちは今、ミニクーパーに乗り込みチハルの家にヴァイオリンを取りに向かっている、その後海に行ってシャボン玉が舞う中でヴァイオリンを聞く、そんなちょっと出来過ぎな休日が僕達の今日の本質という事になった。


 あそうだ、さっきからずっと僕はチハルの車の事をミニクーパーミニクーパーと言ってるけど、どうやらミニクーパーというのはminiの中のある特定の車種を指すらしいんだ、で、この車は『mini』というのが正しい呼び方だと、こん時くらいにチハルに教わった、そしてその『mini』は30分程快調に走って閑静な、そう、まさに閑静な高級住宅街といった一画に入り込んだんだ、その中でも取り分けごつい門構えの邸宅の前でminiのスピードが落ちたんで僕はまさかとチハルの横顔を覗いた。

 チハルは当たり前のようにその門扉にminiを走らせる、すると重そうな門扉がスーっと意外にも滑らかに軽々と開いたんだ。

 門扉の中に入ってもそこから建物は見えない、石で出来た道がちょっとした林のような庭園に延びていて、その先に噴水があるのが見えた。

 miniがその石で出来た道をゴトゴトと進むと、噴水の右手に、神戸の異人館を思わせるような、和洋折衷のとんでもなく大きな白壁の建物が現れたんだ、僕は生まれてはじめてだったよ、こんなに大きな敷地にこんな立派な個人の家を見たのは。

 

 チハルは噴水を時計回りに回って、洋館のエントランスにminiを停めた「ちょっと待ってて。」と言い残し重そうな扉の中に姿を消した。僕は梁や窓を覆う漆黒の木材や銅で出来た雨樋の凝った彫り物をぼんやり眺めた、大正明治の著名人達が今ここにつっ立っていたって全く違和感がない、むしろこの家が平成の住宅街に建っている方がよっぽどおかしいように思えた。

 しばらくしてチハルがヴァイオリンの入った黒い皮のケースを持って戻ってきた、後部座席の毛布の中にケースをしまい込むとアクセルをポンポンと軽く煽り、miniを発進させた。

 こんなに大きな家について全く触れずにこのまま出て行ってしまったら、僕がこの屋敷を意識し過ぎているように思われるのではと思った、だから頭の中で言葉を探す『おっきい家だね。』とか『お金持ちのお嬢様なんだ。』とか、でもそんなこと言ったらきっとチハルは『アハハ…』と死んだように笑うに違いない。

 だから僕は「古くてかっこいい家だね。」とだけ言った、すると、


「そうずいぶん古いの、そしてそこがいいの。」とどこかで聞いた風なセリフを返して目だけで微笑んだ。


 miniはさっき走った幹線道路まで戻ると今度はさっきとは反対方向に走りだした、いよいよ海である。

「ところで、なんでシャボン玉なの?」と何の脈絡もなく聞いてみた、チハルもさらりと答える。

「実は2ヶ月前に母が死んだの、で、昨日荷物とかの整理をしてたら見つけちゃったの、アルバムとかこのシャボン玉のおもちゃとか。」なんだか重い話になりそう予感がした。

「で、そのアルバムにはアタシそっくりな人が写ってるわけ、でもアタシじゃないの、絶対に。だってお父さんも写ってるんだもん、すごーく若い時のね。あ、死んだ母じゃないのよその人。」聞かなければよかったと思い始める。

「で、お父さんに聞いたのよ、どういう事?これ。ってね、そしたらそれがほんとの母でそのほんとの母も死んだって言うのよ、ずっと昔に。もうなんだかへこむでしょ? それで、このシャボン玉で産みの母のことをちょっとでも偲んであげようと思ったの。」チハルはあくまでケロっとした風にしゃべるが『死』ばかりの話になんて言葉を返せばいいのかわからず「ごめん。」とだけぽつりと言った。


 それから僕は目的の海に着くまで大した話をしなかった、スピーカーから流れるバッハが鎮魂歌みたいだった。


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