チーズバーガー
・12時05分
バーン、やけに軽い音がモールの立体駐車場に響く、最近の車のドアはみな『ドスッ』と押し黙ったような面白実の無い音を発するけれど、このチハルの車、ミニクーパーは開放的で薄っぺらい音を響かせた、こういうの結構好きなんだ。
手足の長いチハルにはやや窮屈そうに見えるそのハンドルのポジション、立ち姿からは想像も出来ないほどの猫背でハンドルを押さえ込むようにシートに浅く座る。
イグニッションを回してもしばらくその体制のまま動こうとしない、何か考え事でもしているのかお腹でも痛いのか、声を掛けようとした僕に前を向いたままのチハルは言った。
「ご機嫌をとってるの。」それからたっぷりタコメーターの針が揺れるのを眺めてご機嫌をとったあと、チハルはシフトレバーをローに入れた。
平日のお昼時ともなれば、郊外を走る幹線道路の車の流れもスムーズで気分は上々だった、閉鎖的な空間とちょっとした緊張から開放された僕は、窓を全開にしたい衝動に駆られた。
でもチハルの膝のストールと、意外にもスピーカーから流れ出したクラッシックの音色に、窓を開けるのを止めて耳を傾けることにした。
「バッハのシャコンヌ。」前を向いたままのチハルは言った。
シャコンヌは良かった、いやそもそもバッハなんて全然聞かないのだけど素晴らしかった、時折どうしようもない邪魔が入る以外の話だけど、素晴らしかった。
ただその邪魔というのは彼女のシフトダウン、ほんとどうしようもなく酷いかった。サードからセカンド、セカンドからローあたりが特に。ブーーン!とエンジンが唸るとその度に後頭部を枕で殴られたように首が前方に折れた、酷い時にはリアタイヤがスリップしてキュッて音を立てるんだ、初めて出会ったバッハが可愛そうで泣けたよ。
・11時50分
僕たちはレジをあっと言う間に通過した、もちろんお買い上げが"一つ"なんだから。
バツの悪そうな顔でチハルを睨むおばあちゃんに
「オマエが悪い。」という引導を渡す代わりに僕はチハルに
「コーヒーでもどう?」と結構そういうことを聞くのが当たり前のように自然に声をかけたんだ、さらりとね。
気を使ったつもりだったんだけど、変な間が空いたんでそんな事聞かなければよかったと後悔し始めていると、チハルはマジマジと僕の瞳に視線を向けた。
そのやけに白目が白い目で、白いというよりちょっと青みがかかっていたかな?小さな子供でも見るようにマジマジと見つめられてたじろいでいる僕に、チハルは顎のラインからはみ出したように大きな口をきゅっと持ち上げて微笑みながらこう言ったんだ。
「カプチーノが好き。」
僕たちはそのおもちゃ屋が入るモールの別のフロアにあるカフェに腰をおろした、彼女の名前はヤマサキ チハル、29歳。手に持っていたのは糊では無く、シャボン玉用の石鹸水だそうだ。「それは糊?」と聞いた時の彼女はさっきそうしたのと同じようにやや横に長い唇をきゅっと結びその両端をクイッと持ち上げて笑った。
それからさっき僕が買ったばかりのバイクの絵が描かれたプラモデルの箱に向かって言った。
そうそれがもし『いい歳になってもプラモデルとかって素敵ですね。』とか、『最近流行ってるんですか?』なんてつまらない会話の始まりだったら、僕は飲みかけのさして美味しくも無いコーヒーを残したまま適当なことを言ってさっさと席を立っていただろう、でも彼女はこう言ったんだ。「古いバイクですね、そういうのかっこいい。」って。
そう、そうなんだよ、このバイクはねっとウンチクを並べるのをぐっと我慢する代わりに「そう、ずいぶん古いバイクなんだ、でもそういうのがいいんだ。」なんてさらりと答えた、でも答えながらそれがただのオーム返しだと気付いて、古き良きバイクについてもう少しばかりおしゃべりをする事にしたんだ、もう少しね。
一通り話し終わったところでなんの脈絡もなくチハルは僕に尋ねた。
「ところで好きな食べ物はなんですか?」
…僕のバイク話しがつまらなかったというより、ふと気になったんだと思うよ、たぶんね。そんな事(つまりバイクの話しがさらりと忘れ去られてしまった事)は気にしていないという風にコーヒーを一口飲んだ、あくまでも僕が会話の主導権を握っているという風にゆっくりとね、そして気を取り直して答えたんだ。
「そうだなぁ、僕は食べ物にあまり執着する方じゃないけど、敢えて言うなら無性にチープなバーガーが食べたくなる時がある、この衝動は自分でも抑えられないほどになるんだ。」彼女の様子を伺う。
「チープなバーガー?何ですかそれ?」と口を閉じてクスクスと鼻で笑う。
その様子を確認してから、その態度に火がついたという風に背筋を伸ばして少し前のめりになりながら彼女の視線を捕らえて熱く語りはじめた、趣味の話でもするように熱く、そうバイクの話し以上にね。
「マック限定商品なんだけどお昼の込み合った時間帯の前後にしか出てこないんだ、パンがへな~っとなったチーズバーガー、食感といい中の具材と混ざり合ったパンの香りといい堪らないんだ、わかる?ピクルスとの相性も絶妙なんだ、これほんと。それにポテトもセットでしんなりしてたらもう例えるならぁそう、最高だ。コイツらを頬張りコークで流し込む、そう流し込むんだ。口の中でごちゃごちゃに混ぜてモグモグとね。」と舞台俳優が役を演じるようにオーバーな抑揚を付けて説明する、しかしチハルはただ僕の瞳を点として見つめている、また妙な間が空いた。そんな間を見計らったようにチハルは言う。
「絶対モス。」どうやらこの間は彼女独特のものなのかもしれない、その都度気にするのはよそうとその時思う。
「だってレタスやトマトはシャキシャキが美味しいんでしょ? パンだってもちろん張りがある方が美味しいにきまってるじゃん、これほんとー。もちろんポテトはカリカリが常識、それらをゆっくり口に頬張り食感を楽しむ訳よわかる?口の中で混ざり合うトマトとマスタードとチリの絶妙なバランス、わかる?わかるでしょ?」と背中のカーブに絶妙にフィットする背もたれに寄りかかりながら、鼻つきならない女を演じる舞台女優はなんだか楽しそうだ、僕もそんな彼女を見ていて言葉の代わりに笑顔と笑い声を返してみせた。
そういう訳で今から二人はチープなバーガーを食べて白黒はっきりさせてやろうじゃない、という事になった。




