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パンドーラー

チハルが飛んだ、躊躇うこともなく、僕に微笑みさえ浮かべながら、チハルは飛んだ、秋の優しい日差しにキラキラと輝く金色の海へ。


 僕はチハルの姿が消えたことでその輝く海が綺麗だったことに改めて気付く。


 チハルがすい込まれたそのあたりからダイアモンドリングのように光り輝くシャボン玉が空にふわりふわりと舞い上がった、チハルの魂が空を目指すように。


 

 そして僕の目の高さで一瞬スピードを緩めたシャボン玉は次の瞬間、ひゅーっと何処までも深い大空に加速した。



・10月14日(水)11時43分

 その人はキョロキョロと僕のうしろの誰かを探していた、いや、探しているというのを僕たちにアピールしているだけなのかもしれない。

 僕のちょうど目の高さでしきりに動くその人の頭には、白髪がちょっと目立ち初めていた、もう染めたりするのが面倒になったのか、それともロマンスグレーを目指しているのか、いやそもそもロマンスグレーって言葉は女の人には使わないのかな?

 まぁそんなことはどうでもいいんだけど、その人の白髪交じりの髪は上品に後ろで束ねられ、ひらひらの付いたネットで纏められていたんだ。

 着ている服は年寄り独特な地味過ぎる物でもなく、たまに見かける髪の毛の色が紫色なんかになっている人が着るような光り物でも無い、ただなんてことのない落ち着いた色合いのカーディガンとモスグリーンのパンツといったいで立ちだった。

 時折こちらに向けるその顔は六十歳をやや超えたあたりだろうか、切れ長で小さな目はトカゲの目のように神経質そうによく動いていた。

 でもその人を僕が誰かに一言で説明するとしたなら『おばあちゃん』としか言いようがない。

 だから今から話す数時間の出来事について、そのきっかけを作ったこの人の事を僕は今から、おばあちゃんと呼ぶことにする。


 おばあちゃんの両手には、不釣合いなほど大きなショッピングカート。カートのゲージとおばあちゃんの間には、僕からはよく見えないけど赤い色のパーカーを着た孫が一人、よくもまぁというようなスペースにこじんまりと収まっていた『エコノミー症候群』そんな言葉がふと頭を過ぎる、でも子供って案外どこでも眠れるんだよね。

 そしてカートの前には黒色のパーカーを着たもう一人の孫が、ゲージにぶら下がり、ガシャガシャと故意に耳障りな音をたてていた。「ゲームセンターに行こうよぉ」と何度もわめきながらね『ギャングスター:gangster』今度はそんな言葉が頭を過ぎった。


 おもちゃの大型量販店、平日ということで4つあるレジのうち2つに店員の姿は無い、おかげでここまでくるのにも思いのほか時間がかかってしまった。

 僕の順番が近づくにつれ、おばあちゃんのそのアピールが何を意味するのか、嫌な予感みたいなモノを感じていた。

 やがておばあちゃんに順番が来ると、やたらと外箱が大きなおもちゃのせいで、こちらからは姿がまるで見えなくなっている店員に、おばあちゃんは普通に声を掛けたんだ、普通にね。

「あのーこれを買うとクーポンを使えるのかしら?」

「は、はい?」と大きな箱の横から顔を出した若い女の店員は今何を言われたのか頭の中で考えているという風に瞼をしばたたかせながらおばあちゃんに聞き返した。

「いやね、クーポンは持ってはいないんだけど、クーポンが使えるとか何とかって聞いてきたんだけどね…」とおばあちゃんは自信無さげに答えた、すぐうしろにいる僕にもどうにか聞こえる程度の弱弱しい声だったが、耳に入ったその言葉の意味は全くわからなかった。 

 おばあちゃんがさっきから探している誰かさん(たぶん僕は娘だと思うんだけど)がおばあちゃんに、今日はこのおもちゃ屋で何やら特別にお得でハッピーな事があるという説明?をしたのだろう、でもおばあちゃんは全然理解してなくて、今店員に言った様な事を言ってしまったんだ、たぶんね。


 それでも栗色の髪の毛をうしろで束ねた若い女の店員は、片手で店の広告を広げながら、もう片方の手で店内放送用のインターホンを取り上げて「2番レジヘルプお願いします。」とイライラした素振りも見せずに淡々と物事を処理していくんだ。おばあちゃんに広告を見せながら「こちらのクーポンのことでしょうか?こちらですと7000円以上お買い上げのお客様にクーポン券を差し上げることになっています、お客様は7000円以上お買い上げいただいておりますのでこちらのクーポン券の対象となります。」それで宜しいかしら?と言わんばかりに最後は薄っすらと優しい笑顔さえ浮かべていた『プロフェッショナル』見ているこっちまですっきりした気分だった、それで終わっていればよかったんだよ、ほんと。

 

 いくつかのおもちゃやお菓子を読取り機に通している最中もおばあちゃんはまだ僕のうしろをキョロキョロと眺めていた。

 まだ何かあるのか?と僕は気が気でならない。そんな時僕の隣のレジで一緒に並んでいたはずの女性が、おもちゃ屋の出口から外に出ていくのが見えた。

 栗色の髪の毛を束ねた若い女の店員が、おばあちゃんの商品を一通り通し終わると「メンバーズカードはお持ちですか?」と尋ねた。するとおばあちゃんはそれには答えず、ほら来たっと言わんばかりにまた僕のうしろの方にキョロキョロと視線を移すんだ、僕にはわかっていたんだ、たぶんこういう場合かなりの高い確率でそこに探している人が居ないっていうことを。

 でもなかなか探すのを止めようとしないんだ、たぶん探すというより娘がおばあちゃんを見付けてくれる時間を稼いでいるんだ、いい加減イライラするでしょ?こういうの、普通。


 「困ったわねぇ、娘がね、持ってると思うのよ、さっきまでそこにいたんだけど…」さすがにプロフェッショナルな店員も僕と同じ事を考えたはずだ。『じゃあそこで娘と一緒になってから来いよ』ってね。でもプロフェッショナルは「どうなさいますか?」と眉毛を語尾とは反対に下げながら優しく尋ねるんだ、当然本心は急かしているのだろうけどね。

 おばあちゃんは「そうねぇ今日ってポイント倍なのよねぇーどうしようかしらねぇ、ほんとさっきまでいたのにねぇ…」ガシャガシャガシャgangsterはヒステリックにゲージを揺らす、ゲームセンター!ゲームセンター!とわめきながら。

 おばあちゃんはもうすっかり僕の方に身体を向けて僕が邪魔な電信柱か何かのように、上半身をメトロノームみたいに右へ左へ大きく傾けて娘を探し始めた、時折首を伸ばしたり背伸びを織り交ぜながらね、でも僕にはわかってるんだ、首を伸ばしたって背伸びをしたって大して見える世界は変わらないって事を、そしてそれがポーズだって事も。


 もういい加減イライラするでしょ?普通、こういうの。

だから僕はずっとさっきからさり気なく見ないようにしていたおばあちゃんの顔をじっと見つめることにしたんだ、じっとね。

 おばあちゃんはもうすっかり僕の方に体を向けていたもんだから、これはかなり異様な距離で異様な視線だったと思うよ、そしてその状態で僕は言ってやったんだ「ちょっといいかげんにしてよ!」ってね…してよ?

 声を出すよりも前に僕は何かしらの異常に気付いたんだ、僕の声は僕が発する一瞬前に僕の背中から入って、僕をすり抜けるようにしておばあちゃんの耳に入っていったんだから。その違和感に気付いて僕は「ちょっと」しか声に出していないはず。

 その僕より一瞬前に出た声は僕の声よりずっと高くて涼しい位に透き通っていたんだ。そして僕が振り返って確かめたその声の主は、声の雰囲気を崩さないようなすらっとした手足と、涼しいくらいに透き通った白い肌の女性だった。


 タイトなジーンズとスリムなブーツはピンと反った背中から綺麗に伸びる脚にとてもよく似合い、一見したところ『バレリーナ』といった印象を受けた。

 ベージュのジャケットの袖からはやけに細くて白い彼女の手首とそれに繋がる手がすっと伸び、その細くて白い右手からは、まるで冬枯れした木の枝のようににょきにょきと骨と筋で出来た彼女の指が生えていた。

 触ると折れてしまいそうなその指は、小学生の時に図工の授業で使った白っぽい糊の入った容器を縦長にしたような、本体は緑色、蓋は黄色い物体を"一つ"持っていたんだ、まるでブランデーグラスでも持つようにそっと。

 そして左手は、あろうことか僕の左手に持たれている"一つ"のプラモデルの箱を、その長くて細い綺麗な指で指し示していたんだ、中指を折り曲げ人差し指をちょっと反らした感じでね。

 「ちょっといいかげんにしてよ!」その顔は細い手と尖った指のイメージのまま鼻筋から唇の先端まですっと伸びていた。こめかみから下顎までの線は膨らむことも無くまっすぐと顎の先端で交わり、小鼻は小さい。

 やや眉間に皺を寄せておばあちゃんを見据える眼光には、彼女の尖った印象が加って、凛とした厳しさと相手に物を言わさない鋭さがあった、それが僕の真うしろでじっと一緒に並んでいたチハルだった。


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