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⑥──わずかな時間──


翌日。



私は鏡の前からなかなか動けずにいた。


「······髪、長いかなぁ」


何度もブラシにかけたからクセっ毛は絶滅したはずだ。でも、少し長すぎてモサモサしてる気もする。


髪を整える油も薬も無いし、髪飾りと言えば一つしかないバレッタくらい。

子供の頃に母から貰った物で大事にしているけど、少し子供っぽい星のデザインをしているから着ける機会が減ってしまい、この間も着けて行かなかった。


「······これで良いかな」


香水も安い物しかない。柑橘系の爽やかな香りのやつだ。殿下はこういう匂いは嫌いじゃないだろうか。


「······って、何考えてるんだ私は」


これでは殿下とデートに行くみたいじゃないか。そうじゃない。

今日は誤解を解きに行くんだ。殿下の探している女性は私なんかじゃなくて違う人なのだと、確かめに行くのだ。


服装はこの間と同じ。ドレスなんか無いし、前と同じ格好の方が見つけてもらいやすいだろうし······


「······」


気がついたらまた前髪をいじっている自分に恥ずかしくなった。いじったところでこれ以上はどうしようもないのに。


そうだ。気にする事なんてない。何度も言うぞ私。殿下の探し人は私なんかじゃない。私のやるべき事は一つ。殿下に会ってみて『おや、君は誰だい?』と言われて帰ってくるだけだ。



でも、念のため。昨日の内に買っておいたこの男性用のシャツを持って行こう。あの時にぶつかったのが殿下だろうとそっくりさんだろうと弁償はしなくちゃだ。



「よし······」


パチンっとバレッタを留めたら気合いが入った。もう行くっきゃない。



でも、最後にもう一回鏡に相談だ······





市場に着いたのはちょうどあの時と同じくらいの時間だった。


私はこの間の曲がり角の辺りを見てみた。


「あ······」


もう殿下が立っていた。後ろ姿で、こちらに向いてないけどすぐに分かった。

どことなく落ち着きなく辺りをキョロキョロ見ているようだ。


「ふぅ······よしっ」


意を決した私はそっと殿下に近づいた。

そして声をかけた。



「······あの」

「ん······っ!?!」


振り向いたアステル殿下は驚愕の表情を浮かべた。


「き、君はっ······マイナ!」

「はい、あの······この間はどうも」


とりあえずな事を言ってみるとアステル殿下の顔が驚きから喜びへと変わった。


「マ、マイナ!本当に居た!」

「は、はい」

「ああ、マイナだ······本当に······」

「あ、あの······」

「はっ!し、失礼したっ」


その場で小躍りしかけた殿下がピシリと姿勢を正した。


「この間は本当にすまなかった。名乗ってすらいなかったね。俺は······ポラリス。ポラリスだ」


ポラリスとはアステル殿下がお忍びの時に使う偽名だ。


「マイナ、その······なんと言えば良いのか、俺は、その······」

「······」


本当に別人みたいだ。

あの殿下が頬を赤らめて、緊張に目を泳がせ、しどろもどろになっている姿なんて皇帝陛下ですら見た事ないだろう。


「その······ま、また会えて嬉しいよ。本当に。この間は失礼した」

「いえ。元々は私の不注意ですから。あ、そうだ」


そうだった。私も好奇心で来たのではない。やるべき事を済ませに来たのだ。

手提げカバンからシャツを出して殿下に差し出す。


「これは?」

「新しいシャツです。この間汚してしまいましたから」

「え!?そんな、気にしなくていいのに······」

「いえ、どうぞお受け取りください」

「·········」


受け取ったシャツをギュッと抱き締めるアステル殿下。


よし、私の使命はここまでだ。

後はこのまま帰れば──



「では······お騒がせしました」

「!ま、待って!」


スッと手を掴まれて引き留められた。大きくて熱い手だ。



「マ、マイナ。今······時間あるかい?」

「······」

「その、さ。公園も近いし······良かったら少し一緒に話でも······」



無いと言うんだ私。

ここで断らなきゃ、これからどんどん殿下にこうして会ってしまう気がする。


それはダメだ。普通に考えれば分かる事だ。

私と殿下とでは身分が違いすぎる。このまま親しくなっていったとしても待っているのは苦しみだけだ。


帰るんだ。



「今日、こうして会えたのも何かの縁、だしさ。ど、どうかな?」

「·········はい」



私達は静かに歩いた。

市場の喧騒から離れ、近くにある緑豊かな公園に入り、手を繋いだままゆっくり歩いた。


「······緑の香りが気持ち良いね」

「はい······」


言葉はほとんど無かった。それでも心地良かった。アステル殿下の手の温もりが声もなく私達を繋げてるようで胸がポカポカした。



少し歩いて、二人でベンチに座って休んだ。手は繋いだままだった。



どのくらい経ったろうか。



「······もう時間か」


アステル殿下がそっと呟いた。

多分、今日もまた付き添いのサテライトを巻いてきたのだろう。一時間かそれ以上経っても殿下を見つけられなかった場合は親衛隊が探しに来る事になってるのだ。

つまり、タイムリミット。


グリーンの瞳が寂しげにこっちへ向いた。


「マイナ。その······俺はそろそろ行かなくちゃいけなくて。すまない、俺から誘ったのに。君を楽しませる事の一つすら出来なかった」

「いえ。久々にゆっくり出来て私も良かったです」

「ありがとう······なあ、マイナ」

「はい、なんですか?」

「また、会えるかい?」

「······はい。また······来週辺りに」





その日から私の日常は変わった。


ずっと雲がかかっていたような人生の中に一筋の光が差し込んだかのように、将来への希望や元気が沸いてくる。

一週間に一度の日を心待ちにして、心が弾んでいる。


そしてアステル殿下の日常も変わった。


キレなくなったし暴れる事もほとんど無くなり、いつも上機嫌。おまけに酒場や賭博場にもほとんど行かなくなった。


代わりに、私を伴って書庫に行かれる事が多くなった。



「え~······君の美しさは、そう、まるで······君のように美しく、それで······」


ポエムや愛の詩集を片手に一生懸命ペンを走らせる姿を見ていると微笑ましくなる。この頃はこうやって愛のポエム作りに励んでおられるのだ。マイナ──つまり、私に渡すため。


「君と居るだけで僕の心は博打を打っている時のように激しく高鳴り、酒に溺れたみたいにフラフラと頭がして、もう何もかもぶち壊したくなるような衝動が······って、こんな詩を送られて喜ぶ訳ないだろう!」


はい。それは正直ちょっと······。


「くっ。リブラ」

「はい」

「お前女だよな?」

「ご想像にお任せいたします」

「女だとしてだ。どういう言葉を送られたら喜ぶ?」

「言葉ですか」


特別な言葉は望んでいない。

ただ、私の事を受け入れてくれるような、素直な言葉をくれればもう十分。


「アステル殿下の素直なお言葉で良いのではないでしょうか?」

「俺の素直な言葉······」


今しがたのポエムに目を落としたので、そこは否定しておく。


「いえ、そちらの詩は少しハイセンス過ぎるので常人に理解は難しいかと······」

「ぬう。なら······一目見た瞬間に僕の心は君に奪われてしまい、その可憐さが······」




そうして、休みの日がやってくると──


「お待たせしました」

「マイナっ、来てくれたか!」

「はい」

「マイナはもう昼食を摂ったかい?」

「いえ、まだですが」

「そうかっ······それならぜひ一緒に食事なんてどうかな?この近くに良さそうなレストランがあるんだけど」

「ありがとうございます。でも、私あまりお金に余裕が無くて······」

「そんな!もちろん俺が全部払う!いや、払わせてくれ!そのくらいで一緒に食事出来るならっ······」

「で、では······ぜひ」



仕事の日に戻ると──



「殿下、何やらご機嫌ですね?」

「ん?ああ、まあな。昨日のランチは最高だったからな」

「それはそれは。良いお店でも見つけられたのですか?」

「ああ、もちろん店も良い。皇室の親衛隊を走らせて情報を集めた優良店だからな」

「······そんな事までしてたんですか」

「なんか言ったか?」

「いえ。ではさぞ美味しかったでしょう」

「ああ。だが······やはりマイナとの時間というあの時間そのものが素晴らしかった」

「······そ、そうですか」



そしてまた休日になると──



「マイナ、君は劇とかは好きかい?」

「はい、昔は良く見に行ったりしてました」

「そうかっ。それなら、良い席二つ分のチケットがあるんだ。良かったら一緒に見に行かないかい?」

「もちろん、喜んで。あの」

「ん?なんだい?」

「ポラリス様も良く劇を観られるのですか?」

「え······あ、ああ!もちろん!」



リブラとなってお仕える日に戻り──



「いや、焦った。劇なんて全く観た事なかったのについ見栄を張ってな」

「それは大変でしたね。ふふふ」

「リブラ今笑ったろ」

「すみません。想像したら光景が目に浮かんでくるようでして」

「ああ。その後も大変だった。俺には内容がサッパリだったのにマイナは感心しきりでな。話を合わせるのに苦労した」

「素晴らしいお気遣いですね」

「ところで、今度マイナに何かプレゼントしようと思うんだが何が良いだろうか」

「プレゼントは貰えるだけでも嬉しいものです。何でもよろしいのでは?」

「そういうわけにもいくか。マイナにふさわしい······ふむ」



こんな私の為に思いもよらない事をしてくれる──



「マイナ、その······これ、良かったらプレゼント······」

「え?こ、これは!?おっきなブルーダイヤモンド?!」

「マリンソウル・グラスっていう宝石なんだけど、どうかな?」

「!?だ、ダメですよ!それって帝国の至宝の一つじゃないですか!」

「うん、まあ。でもマイナにはそれくらいじゃないと釣り合いが······」

「とにかくダメです!」




会う度にご自身の正体が隠しきれなくなっていってるアステル殿下。


凄く楽しい日々が続いている。最近はミーティアが休んでいて嫌がらせも減ったし、実家からは嬉しい報せも届いた。


私達の領地で魔鉱床が見つかったらしい。それもかなりの規模で、開発すれば莫大な利益が出るらしいのだ。

これで借金の方もなんとかなるかもしれない。そうすれば私も自由に······



でも。その前に。もう殿下と会うのは止めた方が良いかもしれない。


周りがアステル殿下の人の変わりように不信感を抱き始めている。私達の秘密がバレるのも時間の問題だろう。


もう終わりにした方が良い。だってどうせ······許されない恋なのだから。

私達の関係を誰も認めはしないだろう。きっと皇帝陛下だって許しはしない。




「では、失礼します殿下」

「ああ、ご苦労。ふふ、今週の休日が楽しみだ」

「······」



次の休み。私から言おう。もう止めにしようって。


これ以上長引けば私が我慢出来なくなる。いや、もうなってるのかもしれない。


でも、言わなきゃ。私と殿下の身分の差を考えれば、会わない方が正しい。



そう決意をして支度室のドアを開けた時だった。



──ガッ──



「きゃっ!?」



誰かにエリを掴まれ、そのまま中へと引きずり込まれた······




次話に続きます。引き続きお楽しみください。

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