無茶無謀の妙案
予想外の返答にたじろいだウォーレンだったが、その顔にらしからぬ喜色が浮かぶ。間髪入れずにウェッブが声を上げた。
「よし、決まりだ。アリスン、荷馬車の準備を。ウォーレンは」
「ちょっと待ってよ! それでいいのかよ。ウェッブおじさん!」
今まで大人の会話を黙って聞いていたウィル少年が叫んだ。
「ウォーレンおじさんもアリスンのおっちゃんも、それでいいのかよ。みんな、竜なんかに負けて堪るかって、うちの父ちゃんとの約束だっつって、この町を守ってきたんだろ? だから、今の今まで、あれこれ手立てを考えたんだろ!?」
ウェッブは心の底に押し込んだ想いを少年に指摘され、言葉に詰まる。ウィルは必死に訴え続ける。
「手立てなら、まだあるよ! 竜撃ちになったコディ兄がいるじゃんか! 皆で力を合わせれば」
「力合わせりゃ、竜を追い払えるって? んなわけあるかよ」
アリスンは吐き捨てた。大きな掌で少年の小さな頭を掴み、自身の日焼けした顔を間近に寄せた。
「竜ってのはな、銃やライフルじゃまるで堪えねぇ。大砲だって余裕で避けやがる。お前が虫潰すみたいに俺らを潰せる化け物なんだよ。その上、骨まで灰にしちまう竜息吹ときやがる。準備万端な傭兵だって負けたんだ。ロクな武器も無ぇ俺ら素人率いて、竜に勝てると思われてるたあ、コディもさぞ迷惑だろうぜ」
唇を噛み、ウィルは押し黙った。涙を滲ませる瞳が納得した様子はいくらも無く、容赦のない大人に向けられたままだ。
「子供相手にムキになるんじゃない」
大人げない友人をウェッブがたしなめる。当人は舌打ちをして、不満そうにそっぽを向いた。
コディは、少年の肩に手を置く。伝わる悔しさを感じながら、年長者らと対峙するため弟分の前へと歩み出た。
「だったら、僕の手に相応な武器があり、熟練者の協力が得られるとしたら、どうでしょうか?」
コディの意図をはかりかね、困惑の表情を浮かべるウェッブらを無視して、黒騎士の従者ユーリィに視線を向けた。
「もし、あなたが協力してくれたなら、僕に勝ち目は……竜に勝てると思いますか?」
兄と慕う青年が発した問いにウィルは目を見開いた。
自分では想像だにしなかった起死回生の名案だと胸が高鳴った。これならば竜を追い払い、町が守られる。期待に満ちた眼差しで、兄貴分の見据える先に視線を移した……が、そこには感銘の欠片もない冷淡な女の表情しかなかった。
「勝ち目? あるのかもしれませんわね。百万に一つ程度くらいは」
「ひゃく……ひゃくまん、え……っ?」
コディは絶句した。
傍らのウィルからの不安げな視線が焦りを加速させる。汗が噴き出てくる。
「意外ですか? あなたの欲目で弾き出した勝率は余程高かったのでしょうね」
「ひゃ、百万に一つだなんて……いくらなんでも、そんなわけが、そんなわけが無いでしょう!? あなたは背嚢を! 黒騎士の武器を持っているはずだ。しかも、あなたはあの〝怒髪の黒騎士〟の従者だ。その武器と従者があれば、僕にだって」
それは言葉のあやだったが、すぅと向けられた視線はコディの背筋を寒くさせた。
「それは黒騎士への侮辱にもとれますわね。彼の功績が装備や従者に由るものだと仰るかのような」
「いえッ、違う、そんなこと……ただ僕は、最高の武器と百戦錬磨の従者と共に闘えるのならば、僕の未熟を埋めることが出来る、そう考えて」
「ああ、なるほど。仔馬に上等な鞍と手綱を充てがえば、良馬の如く駆ける、と」
冷ややかな言葉は刃となり、青年の向こう見ずな勇気を容赦なく切り裂いた。それでも、勇気の残骸を掻き集めてコディは呻く。
「でも……でも、もう手がないんですよ。誰かがやらなければ、皆が苦労して拓いた町を……平穏を、失ってしまう。だから、僅かな勝機でも命を賭けて」
「軽々しく考えぬことです。何かを守ろうとする気概は立派ですが、いろいろと履き違えているご様子。あなたは、勝ち目のない闘いなど望みはしないのでしょう? だったら、少し頭を冷やすべきです」
必死の懇願も造作なく撥ね退けられた。
ただ、感情を排されたユーリィの表情にあって、黒い瞳だけが揺らいでいることにコディは気付く。逆の立場にあるかと錯覚させるほどに弱々しくも思えた。
「もう、手立ての議論はし尽くされたはず。今回は逃げるべきです」
ようやくコディは理解した。
――彼女は僕を説得している。
これまで投げかけられた無遠慮とも思える否定の言葉。その本心とも言える意味に気付き、これまでとは真逆の感情がコディの内に沸き上がっていく。無鉄砲を諭された子供のように俯き、身を固くした。
「……ふッざけんなっ!」
背後の激昂にコディは我に返った。
声の主は、二人のやり取りを見守っていたウィルだった。怒りを露わにユーリィを睨みつけ、掴みかからん勢いでユーリィに詰め寄る弟分の腕をすんでのところで取って、勇む胴に腕を回して押さえる。
「ウィル、いいんだ。僕が間違ってたんだから」
「いいわけない! コディ兄のこと何にも分かってないコイツが! どんな気持ちで竜撃ちを目指したのか知らないコイツが! 馬鹿にしやがってッ!」
コディの制止にも怒りは収まらない。兄と慕う〝憧れ〟を、この女は侮辱した。困り果てる自分達を無下に突き放した。幼く未熟な心は、そう理解していた。
「だいたい竜に負けたお前が偉そうな口きいてんじゃねぇよ! バカ! バカかよ! 何が黒騎士だ! 俺達を助けられもしないクセに偉そうに説教すんじゃねぇよ。お前、お前なんか、さっさと出て行けよ! ここは俺達の」
ウィルの怒声が急に止まった。
少年の純粋な怒りは、目の前に見据えた性悪な女だけに向けていた。
その側にいた自分よりも遙かに幼い男の子に向けたものでは決して無かった。ただ、それは独りよがりだったと思い知る。荒々しい感情を目の当たりにして、驚きから恐れへと歪んでいく表情、涙を留める小さな瞳を見て、ウィルが「しまった」と思った時には遅かった。
ぅうわぁぁぁぁぁんん――。
堰を切ったように男の子が泣き出した。
慌ててユーリィが抱きかかえて、慰めるも泣き止む気配はまるで無い。
ウィルはコディと共に男の子の真っ赤な泣き顔とボロボロと零れ落ちる涙を呆然と見守るしかなかった。