黒服の女の正体
「その決断は確かめてからでも遅くありません」
「何を確かめんだよ」
「黒騎士の助力についてです」
アリスンの問いに平然と答えたコディにウェッブは優しく諭す。
「君の気持ちは分かるが、これ以上はもう待てんのだ」
「大丈夫、すぐ済みますから」
コディの返答に眉を顰めたウェッブだったが、青年の視線がカウンターの方へと向けられたこと気付く。ウォーレンとアリスンもまた同様に視線を辿った。
年配者達の視線がカウンターの、母子か年の離れた姉弟かとも見える二人の周囲をさまようなか、コディはカウンターへと歩み寄った。
「はじめまして。僕はコディ・ルイスといいます。竜撃ちの傭兵、その見習いです。店の軒先に置いてあった大きな背嚢はあなたの荷物ですね? それに胸元のブローチが象る紋章を僕は知っている。おそらくはきっと、この場にいる全員に馴染みある方の縁者を示す品であるはずです。……あなたのお名前を伺っても?」
声をかけられ一瞬戸惑うも、黒い髪を揺らして、女は席を立った。男達に向き直り、胸元から外したブローチを顔と並べるようにしてかざす。
ブローチを飾る赤い石が煌めいた。
「私はユーリィと申します。お察しの通り、黒騎士グラハム・ブラッドレイ・バッドの得物担ぎ――従者を務めておりました」
年配者達は息を呑んだ。
竜の撃破数『1000』を超える伝説の名。
人と竜の境界で一人踏みとどまる人類の尖兵たる存在。
大陸先住民が伝えた竜狩りの作法を受け継いだ数少ない者。
そして、思い返される忌まわしき竜の大繁殖期。十年前のあの日に見た姿。炎上する開拓村で逃げまどう自分達。白昼夢と願わずにはいられない恐怖と絶望のなか。
殺戮に酔いしれる竜の前に立ち塞がったのは、逆立つ髪、赤黒い肌の六フィート半は超える大男。それが黒騎士だった。
あの惨劇から家族や仲間と共に逃げ果せたのは、今のヨークタウンが在るのは、ウェッブ達を救った英雄がいたからだった。
だからこそ、ユーリィと名乗る若い女が口にした言葉尻をウェッブは問い質さずにはいられなかった。
「お嬢さん、あんた今、『務めておりました』と言ったね? どういうことかね、それは」
「先ほど、そちらの方が話されていた内容が事実だからです」
ユーリィの視線を受けたウォーレンは天を仰いだ。結んだ唇が僅かに震える。
アリスンは荒々しく椅子に腰を下ろした。
真偽の曖昧な新聞記事ではない。黒騎士の縁者による証言は確定的な事実として年配者達の心に衝撃を与えた。ただ、ウェッブだけが堪え、決断する。
「町を離れる。急ぎ準備をしなければだ。アリスン、ウォーレン、いいね?」
我に返ったアリスンは神妙に頷くも、ウォーレンは自らの信じる役割を崩さなかった。
「まだ残っている住民達に今から準備させても、出立は間違いなく日没後になる点はどう考える? そもそも私達は何処まで逃げればいい? 州政府軍のカザリン駐屯地か? 隣の州か? 闇雲に東へなどと無計画なことを言わぬだろうな?」
「勿論、出発は明日の早朝だ。夜の荒野は竜とは別の危険があるからね。ただ、逃げる先は私にも軍の勢力下にある地域を目指すべきだろうとしか言えん。差し当たっては、三十マイルほど東にあるエリンズを目指す。その辺りならば、軍の力もなんとか及ぶ範囲だろうよ」
ウォーレンがようやく頷く。そこに躊躇いがちな女の声が重なった。ユーリィだった。
「逃げる距離の目安ならば、示すことができます」
「本当かね。お嬢さん」
ユーリィは「はい」と答えると肩掛け鞄から地図と算盤を取り出し、カウンターに広げた。
「今朝……おそらく9時前後でしょうか。この町に向かっている途中で、私は先ほどの竜を西北西の空に見ました。竜は自身の縄張りを拡げる際に〝見せつけ〟と呼ばれる示威飛行を行いますが、住処を中心として反時計回りに順繰りで行う習性があります」
算盤の珠を弾き始め、説明を続ける。
「私が最初に竜を見た位置と時間、この町の位置と先ほどの時間……更に竜の外観から推測する種と齢。そこから導きだされる性質……例えば、住処に好む地形などを地図から推測して計算すると、あの竜が主張する縄張りは、おおよそ直径三十マイルほどの円状範囲。この町は縄張りのギリギリに在ることになります」
「つまり、それほど遠くに逃げずとも、竜の縄張りから出られるということかね?」
「ご明察恐れ入ります。三マイル、余裕をみて五マイルも町から離れれば大丈夫でしょう」
ウェッブは灰茶色の顎ひげをしごいた。
「丁度、ヨークから隣町のウィスキンまでが東に直線距離で六マイルほどだったか」
「ああ! あそこなら、明日の夕方までなら荷馬車使っても二往復は出来る。俺ん所のを全部出せば、皆の最低限な家財を持ち出せる……!」
「しかも、朝に出立すれば徒歩でも余裕で逃げ切れるのか……ふむ」
「慌てるな二人とも。まだ確認せねばならぬことがあるだろう」
またしてもウォーレンが異を唱え、ユーリィに目を向けた。
「ユーリィ嬢、私には随分と楽観的な数字に聞こえたのだが、どれ程の自信がおありだろうか」
じゃららららららららら。
チビが算盤に手を伸ばし、珠を指で流した。くすりと笑ってユーリィは、小さな手に算盤を渡すとウォーレンに微笑んだ。
「万に一つも外しっこありません……というくらいですわ」