方策全てが尽きるとき
記事に目を通したウェッブはアリスンに新聞を押し付けると、もたれ掛かっていた椅子からずり落ちるようにして姿勢を崩した。
天井を見据えたままのウェッブをウォーレンは冷ややかに見下ろした。
「ウェッブ町長、私の意見に賛同してくれる気になっただろうか」
「まだ死んだと決まったわけじゃあない」
アリスンが記事を読み終えた新聞をテーブルに投げ出した。
「だとしてもだ。どこにいるかも分からぬ黒騎士を探して、この町に連れてくるのにどれほどの時間が必要だ? 州政府軍とて大差はない。あと一両日中にも竜は、このヨークを含んだ地域を縄張りとみなすだろう。もう時間が無い」
低く静かに抑えられていたウォーレンの声に熱がこもる。
アリスンは指摘の正しさを否定できずに口を噤む。ウェッブも同様だった。ヨークタウン三役による会談は沈黙した。同席していたコディも年配者たちの苦渋に満ちた表情を前にして、黙り込むしかなかった。
店内にて交わされている女子供の他愛のない会話がどこか別世界の出来事のように感じられた。
不意に、店外から驚きと恐れの叫びが店内へと割り込んだ。
コディがスイングドアの向こうを不審気に見遣ったと同時に店外へと飛び出していく。年配者三人も顔を見合わせ、一人、二人と続いた。
外の叫びを聞き咎めたユーリィも窓際へと音も無く歩み寄る。通りで騒然とする人々の視線は上に、空へと向けられている。さっき飛び出していった四人もそれに倣っているのが見て取れた。
ユーリィには何事かの予感があった。
だから、しっかりと胸元のブローチを握り、息を止めるようにして視線を窓越しに上へと転じる。
空には、太陽の光を眩しく反射させる深緑の鱗があった。建物の間を垣間見えるのは町の上空をゆっくりと旋回している竜の姿。
「あれは、さっきの若竜……これは〝見せつけ〟か」
――〝見せつけ〟とは竜が縄張りを拡げる際に行う示威行為の俗称である。通常は二回、多くても三回までとされる。この行為は別の竜との衝突を避けるたことが目的だとこれまで考えられていたが、近来では主に人間に対する警告、威嚇に近いとの言説もある。人間を捕食せず、虐め殺すことしかしない竜のある意味では紳士的とも取れる行動だが、未だその理由は解明されていない。
1788年 科学アカデミー出版 イヴァン・ヴィノクロフ 『竜の生態』より――
数分ほどヨーク上空を周回した竜は何をするでもなく、西の空へと飛び去っていった。年配者三人が重い足取りで店内に戻ってきた。ウェッブの落胆は一際大きかった。
「一昨日の〝見せつけ〟に続いて、今ので二回目。明日のこの時間、夕刻前までが私達に許された猶予だと宣告されたわけだ。ウォーレン、君の言う通りだった。もうとっくに決断すべき時だったようだ」
無表情にウォーレンは頷く。アリスンは大きな鼻息を立てたが、何も言わなかった。
さきの揺れを残したスイングドアが再び激しく音をたてた。ウェッブらの視線が出入口に向けられる。
ユーリィも例外ではなかったが、入ってきたコディの待ち構えていた視線と相対し、気まずく目を背けた。
「……ウィルか。あの騒ぎのなか来たのかよ」
コディが伴なってきた小柄な人影をアリスンが呆れ顔で出迎える。アッシュブロンドを短く切り揃えた活発そうな印象を持つ十歳ほどの少年だった。
「報せが来たんです。鳩が持ち帰った手紙をウィルが持ってきてくれて」
「ウェッブおじさん。これ」
「うん、ありがとうよ。中の報せは誰かに見せたかね?」
首を振るウィルの頭に手を置き、差し出された小指の先ほどの小さな筒を受け取る。ウェッブは筒から丸まった紙面を取り出すと、静かにウォーレンは背後から覗き込み、アリスンは遠慮なく自分の顔を紙面に寄せた。
「軍出動 叶わず 逃げられたし」
「……もう無理だ。ウェッブ町長。慎重が過ぎると全てを失う。私も君と想いは同じなのだ。黒騎士にも期待できぬ以上、もう我らではどうにもならない」
嘆息したウェッブにウォーレンが捲し立てた。もはや声を抑える気遣いは無い。
アリスンはヨークを共に拓いた古い仲間の肩を無言で叩いた。
「分かった――」
「待ってください」
年配者達の会話に、コディが初めて割り込んだ。