黒騎士の訃報
コディと呼ばれた青年が脱力して手近の椅子に大きな溜息と共に座り込んだ。大柄な男が申し訳なさそうに視線を送る。
「いいのか?」
「良くないですよ。話が拗れたのアリスンさんのせいだって自覚あります? 無いですよね?」
コディにジロリと睨まれたアリスンは浅黒い顔に元々あるシワに苦笑のシワを加えて、ニヤリと笑った。気を緩めた様子でウェッブは背もたれに寄りかかり、二人を見遣る。
「まあでも、違約金の話を引っ込めさせたんだ。礼は言っとくよ、アリスン。あと、アンも。それと……他所から来たお嬢さんかな? 妙な場面に出くわさせて悪かったね」
「いえ、こちらこそお話に割り込んでしまって」
「いんや。アンタが気に病む必要ないよ。無粋はアイツら。ここは酒場だからね。お客に酒と飯と娯楽を供して、楽しんでもらう場所なの。拳銃沙汰なんてとんでもない」
バーテン女のアンはさっぱりと否定しながら、ユーリィが抱える小さな客を見て笑いながら付け加える。
「こんな可愛らしいお客様は珍しいけどね。で、その子も食べられる食事だっけ」
「ええ」
男の子をカウンター席に座らせてから、ユーリィも隣の席に座る。
アンはうきうきと目を輝かせる小さな客に向けてニッコリ笑い、問いかける。
「さて、お客様。何が食べたい?」
「いつものあまいの!」
「いつもの?」
アンは答えを求め、隣の席に座る者を見たが、困った様子の笑顔しかなかった。
「さあ、私にも。この子……チビくんとは少し前に出会ったばかりなので」
「そ、ご時世ね。じゃ、パンのミルク粥は? 砂糖をまぶした甘いの」
アンの言葉に顔中を笑顔で一杯にしたチビが喜びで身体を前後に揺らす。
白いクセっ毛を細く白い指がワシワシと掻き混ぜると、嬉しそうにきゃーと声を上げた。
「では、それを二つ。私にはビール、この子にはお水をお願いします」
「あいよ、ちょっと待ってて」
そう答えるとカウンター奥の厨房へとアンは入っていった。
女達のやりとりを横目に、ウェッブはテーブルに向き直ると小さく溜息を吐く。
ウェッブとアリスンの背後に立ち、今までダンマリを決め込んでいたスーツの男が薄い唇を皮肉に歪めた。
「で、町長、次の手は? 高い前金を払ってまで呼び寄せた竜撃ちの傭兵は失敗した。この町を放棄する以外のプランにまだ固執するつもりか」
冷ややかだが店内に子連れの部外者がいることを気にかけた潜めた声。背もたれに腕を回し、声の方向に向き直ったウェッブの表情は曇っていた。
「固執ではないさ、ウォーレン。この町を拓くために費やした十年を失う判断だ。慎重にしたいと思っているのさ。君の言うように何でも合理的にとはいかんのだ。てことで、アリスンよ。私達が頼みとする他の手立ての状況は?」
「州政府軍への出動嘆願、山向こうに現れたっていう竜狩り――黒騎士への依頼か。昨日と変わらずだ。使いに出した連中から連絡は無いな」
アリスンは一つ、二つと指を立てた手の甲側でテーブルをコツコツと小突いた。
「だがなあ、ウェッブよ。流石に駄目かもしれんぜ? 理由は黒騎士だ。これまで彼は人と竜との境界で踏ん張っていた一等の竜狩りで、英雄で、十年前には俺達を助けてくれた恩人だ。それが、この近くに現れた……ってことは、だ」
言葉を切ったアリスンは口を固く結んだ。
ウェッブは友人の言わんとすることを理解していた。口にすることすら躊躇われる不吉な推測。つまり、人と竜との境界がヨークタウン周辺にまで追いやられた証左ではないか、と。
「やはり、二人とも知らなかったか」
ぼそりとウォーレンが呟き、神経質に折り畳まれた紙束をウェッブに差し出した。
「君らが来る前にアンから渡された。三日前の新聞だ。昨日、客が置き忘れていったものだそうだ」
「竜に目をつけられたこの町に立ち寄るおっちょこちょいがまだいるとはね」
「この記事だ」
ウェッブの軽口を無視して、ウォーレンは紙面の一画を指で示した。
――『伝説の消失!?』
〝怒髪の黒騎士〟の異名を持つ竜狩り、グラハム・ブラッドレイ・バッド氏が安否不明であることが分かった。8月上旬にオーリンエン付近を縄張りと定めた成竜の討伐に向かったまま半月経っても戻らないという。現地の情報筋は黒騎士が成竜と刺し違えた可能性があるとも話しており、続報が待たれる。
(1860年9月5日 マーチン・エリンズ週刊新聞) ――