表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/38

エピローグ 黒服の従者と魅入られた竜撃ち

***


 雨足は強まり、アンの酒場(サルーン)の中にまで雨音が届く。

 二度と帰れぬだろうとの想いで閉められた店は、今二人の客を受け入れていた。

 コディは琥珀色の液体をボトルからグラスに注いだ。

 満たしたグラスを隣に押しやり、行儀悪くカウンター台に腰掛けた者の所へと行き着かせる。

 不安げなコディの視線も構わず、小さな手がグラスを掴み、持ち上げて傾ける。


「……ぐ……ふぐッ、ぐえっほんっ! ぐえっへん! げーっ、げほげほげほっ」


 チビ(グラハム)が盛大にむせて、咳込んだ。

 背をさするべきかと悩み、躊躇って、結局は手を引っ込める。

 なぜなら、この幼子こそ畏れ多き伝説、黒騎士……ユーリィの主だったからだ。

 誰もがデタラメと断じるだろう、この荒唐無稽な話をコディは受け入れていた。

 それは若竜に致命の一撃をチビが加えた瞬間を目撃していたからに他ならない。町に逃げ帰ったコディが一人で砲撃の準備を整え、単眼鏡を覗いた理由は援護の砲撃機会を窺うためだったが、それは奇しくも、彼の瞬間が訪れる僅か数分前――。

 だから、降りしきる雨のなか、一人で町を訪れたずぶ濡れの幼子が「ユーリィのことで話がある」と口にした時、コディはおおよそを察した。

 幾つかの疑問符が頭を過ぎらせながらも、黒騎士という名乗りに疑いを持たなかった。


「はぁ……喉がまるで受け付けん。くそったれが」


 ようやく咳が収まったチビは悪態を吐いた。

 頼まれたとはいえ、子供に酒を注いだ罪悪感からコディは表情を曇らせる。


「その姿、その声。貴方が何者であるか……自信が揺らぎます」

「奇遇だな。俺もだよ」


 チビはゴツリと鳴らし、グラスをカウンターに置く。

 落ち着きの無い視線がチビをなぞって、窓の外へと向けられるのを見て取る。スイングドアの向こうも気にしている辺り、分かり易い青年だと幼子は口の端で欠片の笑みを作った。


「ユーリィには散らかった荷物を集めさせてる。暫くは俺達だけだ。その方が都合いいからな」

「お心遣い感謝します」

「うん?」

「僕の勝手な理由で、貴方の従者を無謀な賭けに巻き込み、交わした約束を果たすどころか、一人逃げ出した卑怯者に、合わせる顔などありませんから」

「若竜を撃破した英雄にしては、随分と自虐的じゃないか」


 控えめな視線を送り、コディが渋い顔をする。


「揶揄わないでください。あの砲撃は若竜にまだ息があることを伝えるための警告のつもりでした。完全に射程外な砲弾の命中なんて。幾つもの偶然が積み重なった末の奇跡でしかありませんよ」


 コディはカウンターの上で握り合わせた手をじっと見つめ、独り言のように続けた。


「そもそも……決着に砲撃は不要だった。竜息吹は逸れる。貴方はそう確信していたのでしょう? でなければ、竜息吹を前にした貴方の態度は説明がつかない」

「ちょいと近視眼的だがよく見てるじゃないか。自虐が鬱陶しいが、増長よりは幾分マシか」

「何です?」

「お前の見立て通りだと言ったんだよ。砲撃の駄目押しが無くとも、竜息吹は逸れ、若竜は倒れる。そうなる場面だった」

「やっぱり……!」


 推測通りを喜ぶ以上の感嘆が声に滲む。

 尊敬を込めて幼子を見つめたが、面白くなさそうにグラスを指で弄ぶ姿しかなかった。


「だが、色々と分かっちゃいない。なぜ、俺が若竜を殺し切らなかったのか。なぜ、砲撃が命中したのか。なぜ、俺が一人で此処に来たのか。なぜ、お前がユーリィに認められたのか」

「え……? いや、あの、認められた、って……」


 聞き捨てならぬ言葉が幾つも重なったが、最も動揺を誘われた言葉に思わず反応してしまう。


「そんなわけありません。僕は約束を……竜を倒せていない。第一、あの砲撃は無意味だって、さっき貴方が言ったばかりじゃないですか」

「約束は『竜を倒す気概を示す』だったろ? 『竜を倒す』じゃあない」

「えっ……」

「竜に震えて挑み、無力を痛感して逃げ出すはめになっても、心を折ることなく竜に一発喰らわせたんだ。そいつを気概と呼ばずに何と呼ぶ? 約束は果たされてる。あいつはお前を気に入ってる」


 チビの向けた視線にコディは身を強張らせたが、一瞬にして崩れた表情に深夜の酒場を思わせる雰囲気を感じ取った。


「ならば、口説き落とした女をどうすべきか分かるだろ? 色男」

「で、でで、でも、その姿ながら黒騎士は健在です。僕とのことを彼女自身が許すはずない」


 激しく吃りながら、探し当てていた答えを慌ただしく口にする。

 チビは座り直して胡坐をかき、膝の上で頬杖を付いた。


「まあ、その通りだ。あいつは俺へのクソどうでもいい義理立てを最初に考える……本当に不器用で面倒臭い奴だからな。お前との約束を反故にする後ろめたさを抱えながら、だ」


 悪ふざけの無い返答にコディは幾分か落ち着きを取り戻して、続く言葉に耳を傾ける。

 

「その結果、あいつが取る態度は静観。お前の自虐的な遠慮と掛け合わされば、二人の間で交わされた誓約は自然消滅ってところだろうな」

「その方が、いいんです。黒騎士の伝説はこれまで通り。誰も困らない着地点です」

「俺が困る」

「冗談やめてくだ」

「一年もすれば、俺は消えちまうんだよ」


 被された言葉。苦笑を浮かべかけていたコディは「え」という形の吐息を吐き出して固まった。

 同時に、幼子の白い肌に不自然に影が差した。

 間近で見たコディだから直ぐに分かった。影ではない。汚れでもなく。蠢く奇怪な痣だと気付き息を呑む。小さな顔や手を埋め尽くす赤黒い痣のようなモノ。


「こいつは……この痣は今まで殺してきた竜共の怨み辛み。これが一定溜まっていく度に一つ二つと竜の呪いが増えていく仕掛けでな。この幼い姿は最後の呪いってヤツさ。しこたま竜をブッ殺し続けた奴の終着点。赤子に返り、胎児と成り果て、消える、そんな呪いだ。俺の師匠がそうだった」


 ぼんやりと小さな掌を眺めるチビの姿に、これまでの不敵さが陰ったようでコディは思わず視線を外す。ただ、処理しきれぬ思いの先、辿り着いた想像にハッとする。


「……そのことをユーリィさんには」

「言ってない」


 コディは吸った息そのまま詰まらせた。急に鼓動が暴れ出す。

 主を失った従者が吐露した悲痛な想いと叫びが鮮明に蘇る。彼女以上に黒騎士の生還を喜んだ者はいないだろう。それほどの奇跡が起きたはずだったのに、なのに……また?


「だから、貴方は一人で僕のところに……」

「少しは〝色々〟が分かってきたか? ん?」


 揶揄うような視線はほんの僅か。窄められた目が強い光を放った。


「そうだ。このままでは一年と経たず、またユーリィは繰り返すことになるぞ。お前も見ただろ? あいつの絶望を。捨て鉢になって、次はなりふり構わず竜に特攻するだろうな。結末は八つ裂きか、圧死か、頭を齧られるか……まあ、そんな結末だ。しかし、約束を果たしたお前が誓約の履行を願えば……そいつを変えられる、かもしれん」


 チビがカウンターの上に「いよっと」と言って、立ちあがった。

 小さな靴を踏み鳴らし、座るコディを見下ろした。


「いいか、見習い。こいつはラッキーだと思えよ。直接、俺が教えてやると言ってんだ。あいつが最も欲し、あいつを繋ぎ止める唯一の方法、竜の狩り方を教えてやると言っている。それは、お前の望み、お前が何に変えても守ろうとしたものに繋がるはずだ。但し、一年足らずの期限付き。並大抵の努力じゃ間に合わねぇ。血反吐はいて、血の小便を垂れ流す、思いつく限りの苦難と逆境をくれてやる。トラウマなんざ知ったことか。手前で乗り越えろ。お前が死んだら死んだで、結局はどうにもならんかったってことさ。それほどの奇跡だったんだよ。あいつにとって、あの誓約は」


 上からコディを覗き込む幼子の顔はつばが飛ぶほどに、痣の不穏に身の毛が弥立つほどに近い。


「さあ、イエスと言え。お前が黒騎士の名を利用したいように、俺はお前を利用する。そいつがフェアってもんだろ」


 喉が渇く、唾を無理矢理に集めて飲み込んだ。


「……イエスです。黒騎士グラハム」


 答えなど変わるはずが無かった。とっくに覚悟はあの時に決めていた。


「アンが心に描く英雄、黒騎士の名が生き続けるならば、僕はそれで構わない。アンの心の平穏を守れるのは黒騎士だけ。僕じゃない。そのためだったら、何だってやります。貴方が与えてくれる苦難、逆境も、竜の怨み辛みすらも、僕は飲み下して……みせます」


 コディは幼い瞳をしっかりと見据えた。

 そして、今日という運命の分かれ目を通して見つけた、もう一つの願いを口にする。


「それに僕は、あの女性(ひと)を、もう一人にしたくない」

「いいだろう……今日から黒騎士の二つ名は俺とお前の名だ」


 カウンターからチビは身を躍らせる。軽やかに着地すると「ああ、それと」と言い、まだ座ったままのコディを見上げた。


「さっき話した残りの〝なぜ〟の理由を考え続けろよ。そいつは俺が出す最初の宿題で、最後の試験だ。分からなければ、お前の望みも覚悟も労苦も一切合切が無駄になると肝に命じとけ」


 コディは無言で頷き、椅子から立ち上がる。

 すたすたと出口へと歩き始めたチビを追って、くたびれたツバ広の帽子を頭に乗せながら、隣の席に掛けていた外套と鞄を掴む。


「ユーリィさんを待たないのですか」

「もう来てる」


 コディはスイングドアを開け放つ。先程からは弱まったとはいえ、雨足はまだ十分だった。

 そのなかに巨大な背嚢を背負った黒い外套を着込んだ女が立っていた。酒場前にある通りの只中で一人濡れそぼる佇まいは、躾けられた猟犬を思わせる。

 チビは雨を気にする様子もなく、身体を濡らしながらユーリィの元へと歩み寄った。


「話はついた。三人で此処を発つ」

「どちらに」

「決まってる。西だ」


 既に決まっていた事柄の確認であることは、酒場の軒下から二人を見守っていたコディにも分かった。雨の冷えに寄らない身震いを一つして唾を飲む。

 数多の竜がひしめく西に向かう。今更、怖気づくことは無いはずなのに、指先や足先が冷えていくのを感じる。もしかしたら、酷い顔色ではないかと少し不安にもなった。

 対照的にコディが見つめる先、ユーリィの肌には血色が差していた。

 チビに即席の小さなマントを被せている。雨の雫が短く黒い髪を滴り落ちて、胸元にある赤い輝きの上で弾けた。


「歩けますか? 抱っこしてあげましょうか」

「いらん。行くぞ」


 不機嫌そうに答えたチビは一人で歩き出す。

 小さな背を意地悪な表情で見送ったユーリィは、未だ軒下に立つコディに顔を向けた。


「私、達も……行きましょうか」


 おそるおそる掛けられた言葉。不安げな表情。だのに、コディを捉えて離さない黒い瞳。

 望んだとはいえ、もう逃れられないのだなと、コディは思った。

 征く道は一つだけ。

 竜を根絶やすための旅路。絶えぬ危険と満ちる苦難の先を目指す。人の身では過ぎたる狂気の行い。だが……。


「今行きます」


 帽子を頭に強く押し込み、コディは答えた。着込んだ外套の襟元を押さえ、軒下から雨のなかへと足を踏み入れた。

 その姿を見て、ユーリィはようやく安堵した様子で微笑んだ。



 ――『黒騎士の帰還!!』

 ヨークタウンを襲った竜災の続報である。住民全員が無事であることは既報の通りだが、調査中とされていた竜の撃破者として〝怒髪の黒騎士〟グラハム・ブラッドレイ・バッド氏の名が発表された。当時、彼の従者を名乗る人物が町に滞在しており、竜の死体に竜狩り特有の痕跡があったためだという。また、ヨークタウン東の断崖上で新たに三人の遺体が発見された。町より竜撃ちを依頼されていたアルフレッド・ギブス氏が率いる傭兵隊の一員とみられている。確認済みの遺体と合わせると合計十六名となり、残りの行方不明者はコディ・ルイス氏、一名のみとなった。

 (1860年10月10日 マーチン・エリンズ週刊新聞) ――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ