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伝説はふたたび


 黙りこんでしまったユーリィを見て、チビは見た目にそぐわぬ大人びた溜息をついた。


「頑なでお堅いお前らしいっちゃ、らしいが。いちいち面倒臭いんだよ。お前」

「だって……」

「十年前、ズタボロのお前を拾った時もだ。思い詰めた挙句、俺そっちのけで誓約なぞと言いだし、勝手に盛り上がってただけじゃねぇか」


 さらりとユーリィの黒い髪が流れた。俯き加減だった頭に小さな手が置かれた。

 撫でられた髪を通して温もりが伝わってくる。


「とはいえ、まあ目出度きことよ。お前が彼ならばと求め、彼もまたそれに応えた」


 優し気な口調、意外な言葉にユーリィの胸がトクリと鳴る。思わず伏せていた視線を上げて、チビを見た。笑顔があった。但し、これまで見たことのない悪ガキの笑顔。


「ならば、四の五の言う前に、お前みたいな超重い女との誓約を飲んででも、彼が守ろうとしたもの、彼の意気に、まずは応えておくべきだよなぁ?」


 ユーリィは目をしばたたかせた。

 揶揄われていることを理解し、苦笑を作りかけ、不機嫌な表情へと着地させる。

 気を抜くとこれだ。この人はこういう人なのだと思い出す。ただ、不思議と怒りや嫌悪など一切無い。これまで、この人に、どれだけ救われてきたのだろうか。

 浮かびかける笑みを噛み潰し、苦々しい気持ちを作り直す。悪ガキをジトリと睨みつけた。


「……随分な言われよう。全く気に入りませんが、後半部分は確かに仰る通りです」


 精一杯に刺々しく応じながら、胸に満ちていく気持ちを懐かしく、嬉しく思う。

 鼻をすする仕草で、緩む口元と潤む瞳を無理矢理に引き締めた。


「でも、その前に一つお願いがあります」


 両手を重ねた掌をチビに差し出した。

 重ねてもまだ残る手の震え。耳が、頬が熱くなる。気付かれぬため、また俯く。


「もう少しだけ、あの時の……勇気のしるしを預からせていただけませんか?」


 ユーリィの俯いた顔、差し出された掌を交互に見たチビは「本当に面倒臭い女だ」と舌打ちした。ポケットから紋章を象ったブローチを取り出し、ユーリィの掌に置いた。

 ブローチにはめ込まれた赤い石――ガーネットが煌めいた。


「傷つけんなよ」

「はい。グラハム様のお母……いえ。大切な〝ママ〟の形見を確かに」

「言ってろ」


 チビは背を向けてしまった。

 ささやかにやり返したユーリィは悪戯な笑みを浮かべる。ブローチを胸に抱き、初めて手渡された時の言葉を思い返す。


『そいつに傷を付けることは許さねぇ。そのためには、身に着けたお前も等しく無傷でなきゃいけねぇ。誓約云々と言うならば、まず俺との約束を守れ。二度と捨て鉢になるんじゃあねぇと肝に命じとけ』


 チビが空を見上げて「そろそろ来るぞ」と呟く。

 ユーリィは「はいっ」と答え、立ち上がった。その胸元でブローチが輝いた。


 

 逃げ出した若竜は空を滅茶苦茶に飛び回っていた。

 訳が分からなかった。

 畏れと怒り。内から湧き立つ二つの衝動に戸惑う。逃走を望みながら、死闘を望む。

 相反する渇望に行く手を見失い、闇雲に空を駆けるだけ。

 突如現れた人間、あの子供が纏っていた竜たる身と魂を震わせ、狂わせる何か。

 人より優れながらも、まだ若い頭脳で考える。

 理解を越えていながらも、どうすれば良いかを考える。

 しかし。

 いつしか気が付かぬ間に塗り潰されていく。怒りが畏れを。渇望が本来の渇望を。

 ……若竜は思った。

 何だ簡単なことではないか。何を戸惑っていたのか。

 あれを蹂躙せねばならぬだけだ。殺し尽くさねばならぬだけだ。

 そうすべきだ。いや、そうしたいのだ――若竜はチビ(グラハム)が纏う〝死闘の呪い〟に狂わされていた。

 畏れを忘れた若竜は、空中でしなやかに躯を反転させた。

 遙か真下にある殺し尽くすべき対象を見定める。

 死角となる頭上から、気配も音も無く、最高速の急降下で襲い掛かる。

 今までもそうだった。今回も同じだ。ノロマな連中は直上に至るまで気付きもしない。これまで通り、吹き飛ばし、蹂躙すればいい。

 大地が凄まじい速度で迫る。

 地上から離れられない無様な二つの影を捉えたと同時に、自分とは異なる風切りの気配を感じた。大地から空へ。我が身に迫る何か。

 回転しながら上昇してきた小さな片手斧(トマホーク)だった。

 そんなものが通用するかと若竜は嗤った。

 人の無駄な悪足掻きに呆れ果てていたが、若竜は二つの見落としをしていた。

 一つ目はこの片手斧は上空からの奇襲を予測しえた証であること。

 二つ目は片手斧の柄に例の仕掛筒が括り付けられていたこと。

 片手斧の回転が緩み、上昇が止まる。

 降下するモノ、上昇するモノの邂逅。またしても若竜の眼が閃光に焼かれた――。

 

 可愛らしい手拍子が鳴っている。

 チビの小さな手でぺちぺちと紡がれる一定の調子に合わせながら、ユーリィは両手に握った鋼鉄で拵えた大槌(ウルトラハンマー)を振り回し、独楽のように回転していた。

 強烈な遠心力を集めた大槌は重く、鈍い音を周囲に振り撒き始めている。


「きたぞ。あと十」


 ぼそりと手を叩いているチビが呟く。


――十……九つ……


 ユーリィは鳴る手拍子に合わせて、心の内で数え始める。

 上空から何かが落ちてくる気配を感じるも目を向けることは無い。聴覚だけに集中する。


「あと五」


――五つ……四つ……


 指示されたタイミングが間近に迫る。


「三つ……二つッ! いっせぇーーのッ! せぇッ!!」


 ユーリィは叫び、調子を合わせ、遠心力を作る体勢から、大槌を打ち出す体勢へと一気に切り変えた。左足を一歩前に。力強い一歩に地面が震え、土煙が舞う。

 遠心力に負けぬためにガッチリと大地を踏み締める。

 身体を振り絞った捻転の力で、一気に膨らませた腕の力で、遠心力を得ている大槌を更に凶悪な塊へと変える。

 仕掛筒の炸裂で見当識を完全に失調させられ、墜落してきた若竜に大槌を叩き込もうとする挙動。チビから『全力でブッ叩け』の指示通りに。

 タイミングは完璧だった。

 大槌の一撃が若竜の後背を捉えた。恐るべき打撃が鱗に食い込み、肉を潰しにかかる。

 加わえられた人外な衝撃は若竜の内臓を壊して回った。吐き散らした赤い飛沫を大地に降りまきながら、巨躯を地平に向けて打ち飛ばす。しばしの低空を経て、着地をした後にも残った勢いは地面で若竜を遠く転げさせていく。


「次だ。ユーリィ」


 淡々とした口調のチビに応じて、持て余す回転のさなかにあったユーリィは大槌を手放す。有り余る遠心力は大槌を彼方へとすっ飛ばす。ユーリィの身体をも持っていこうと引っ張るが、突っ張らせた右足で堪えきる。

 若竜や大槌の行方など目もくれず、チビの元へと駆け寄り、尾に薙ぎ倒されて地面に転がった大斧(ビッグアックス)を掴み上げる。

 ようやく若竜を打ち飛ばした方向を確認して、縦に天地を割るように大斧を振り回し始める。全長がユーリィの肩にも届く巨大な斧は、早々に危険な力を溜め込んでいく。

 チビはユーリィから距離を取りながら、地面に転げて横たわった若竜を、次に曇り切った空を見上げた。息を吸った。


「ご破算で願いましてはッ――」


 突拍子もなく、場違いに。チビの幼い声が朗々と響いた。

 高く通る声は独り言のようだが、黒騎士と従者の視線が示し合わせたかの如く絡む。


「対象まで91、覚醒まで20前後、投擲物の全長・重量は申し合わせの通り。気温89、湿度35、気圧979、補正54、風向 南南西、急変 見当要なし、風速9、補正16……つまりは、曇りのち、間もなく雨。以上ッ!」

「委細、承知いたしました」


 ユーリィが応じると同時に大斧の速度が増す。踏ん張る足を僅かに捻り、振り回す腕を大いに躍動させ、遙か上空を睨み上げた。


「微調、最上点コンマ7持ち上げ」

「いたしました」

「やれ」

「はいっ……っッてぇぇぇぇぇぇぇぃいッ!」


 ほぼ真上に近い角度で轟然とユーリィが大斧を上空へと放り投げた。

 回転しながら曇天へと吸い込まれていく大斧を一瞥。足元へと寄って来ていたチビの目線に合わせて、ユーリィはしゃがみ込む。


「よろしいのですね?」

「かまわん。やってくれ」

「それでは……」


 ユーリィの伸ばした手がチビの首根をむんずと掴んだ。猫の子が首根っこを掴まれたような体勢にチビが不満そうに睨んだ。


「おい、雑だぞ。今朝までの扱いと違くねぇか?」

「私、先ほど『超重い女』とか『面倒臭い』とか言われたこと。忘れていませんからね」

「馬鹿。お前、あれは言葉のあやってヤツで」


 言い訳を微笑みで撥ね除けて、ユーリィは悪戯っぽく言った。


グラハム様(チビくん)、良い旅を」


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