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執念の一撃


 竜は長く太い脚を持て余し気味にして、トカゲにのように低い姿勢で歩く。通常ならば、まずは頭部と対峙することになり、急所が多い胴体に斬り付けることは不可能。

 しかし、今その頭部は数ヤード上で苦悶の鳴き声を巻き散らしている。無防備な胸元は、目測で前方四ヤード(四メートル)足らず先だった。


――行ける……ッ!


 コディは駆ける足を前へと踏み出し、四ヤードを一気に駆け抜けんと力を振り絞る。何もかもが狙った通り。後は、このまま突っ込んで龍刀を若竜の胸に。

 全ては狙い通り、計算通りだった……が、目眩しが効き過ぎていた。若竜が歩みの勢いを止めるどころではなく、しかも、動転した右前脚が地面を踏み誤ったことで、体勢を大きく崩していた。

 転倒を避けるため、バタつかせながら左前脚をめくらめっぽうに地面へと突き降ろす。

 その場所はコディが若竜の胸元へと至るための通過点、その挙動は人など呆気なく圧し潰してしまうほどの暴力だった。

 コディは総毛立ったが、これが自分の為せる最初で最後の一撃だと知っていた。

 無意識に頭を下げた。身体も更に低く。一歩でも前に。一瞬でも速く。前脚を潜り抜けるために低く、前に、速く、速くッ!

 ……奇妙な感覚にコディは襲われる。

 自身が駆けて行く足音がハッキリ聞こえる。息遣いがやけに大きく響き、鼓動すらも自覚する。

 追い詰められ、研ぎ澄まされた感覚のためか。全てがゆっくりと流れゆく不思議な瞬間。前方上方から降ってくる若竜の前脚すらも同様だった。

 突然、イメージが脳裏に瞬く。

 前脚の方が速い。潜れない。潰される。理屈ではなかった。直感した。反撃の届かぬ非情さ、自力だけでは遠く及ばぬ現実を思い知る。

 しかし、この無謀な突撃をコディは止める気が無かった。

 諦めていなかったからだ。一人で闘ってはいなかったからだ。途轍もない速さで此方へと走り来る黒い影を、目の端で捉えていたからだ。

 そして、間に合った。

 ユーリィは若竜に至る直前、跳んだ。

 コディの目に残った閃光の残像を押し退け、黒服を着た女の姿が割り込んだ。(こそ)ぎ取られ千切れかかった革コルセット。破れたワンピースから覗く真っ赤に腫れた脇腹。尾の直撃を受けたことで手放してしまった金棒に代わって、しなやかに働く右足。


「ぃぃ、いやあぁァッ!」


 従者の発した高く鋭い気合が重い衝撃と重なった。若竜の前脚は、内から外へと蹴り抜かれた。

 コディの眼前から、降りかかる前脚が排除された。

 若竜の胸元へと至る道が見事に開かれていた。同時に迫る胸元が瞬く間に視界を覆っていく。


「うッうッううウ、ウウウウッッッッッ!」


 コディは歯を食いしばり直し、唸り声をあげた。恐ろしさで滲んだ涙が目尻へと流れていく。出来得る限りの力強さと素早さで、遂に、若竜の胸元へ飛び込んだ。

 両者衝突の寸前。体格と体重で若竜に圧倒的に劣るコディが撥ね飛ばされる直前。

 龍刀が若竜の胸元に届く。

 切っ先が麟を穿ち、刃先が肉を斬り。

 気持ち悪いほどの勢いで刀身がズルリと奥へと分け入り、刃元まで竜身に刺し沈んだ。

 コディと若竜の身体が衝突した。

 意識が飛ぶほどの衝撃がコディを襲った。視界が真っ黒か、真っ白か、激しく明滅した。

 手は呆気なく龍刀の柄から離れていた。背中と後頭部が地面に叩きつけられ、息が詰まる。有り余った衝突力はコディを上も下も無く転がし続ける。身体のあちこちから伝わる衝撃と痛みが終わりなく続くように感じられた。



「ごほっ、ごほっ、ごほっ」


 むせてコディは意識を取り戻した。

 薄っすら目を開くと、土煙がもうもうと舞い上がっていた。

 荒野の地平線が妙に近い。

 地面に頬を付けているからだと気が付いたが、今まで何をしていたのかを思い出せない。なぜか身体が痛い。汗とは違う熱いものが頬や額を流れていると感じる。鉄の味がする唾を飲み込んだところで、目を見開く。


「若竜は!?」


 横向けに縮こまっていた姿勢から身を起こす。痛みはあったが幸いにも不自由は無かった。求める姿は十一ヤード(約十メートル)ほど先にあった。

 こちらに向いてくねった尾と巨躯は地面に突っ伏したまま、ピクリとも動かない。

 転じて顧みれば、コディの真横には、何か大きなものが引き摺られて作られた地面の跡。


「は、はは……」


 渇いた笑いが出た。ぐらりと揺らいだ身体が望むままに寝転がる。地面と同じ高さから臨む地平、倒れた若竜の姿が視界に収まった。


「ダメかと思った」


 呟いたコディは精も根も尽き果てていた。

 思い返せば、あまりに無謀だったと思う。それに幸運だった。若竜に突っ込んでも、転倒した若竜が真横を通って、こうして生きている。

 コディは強く目を瞑り、胸の奥から湧き上がってくる歓喜に身を任せた。


「やっ……たッ! 良かったっ! 助かった! みんな、助かった」


 涙が溢れてくる。守れた。全部を守れた。町を! アン達を! おっさん達の努力を! 黒騎士の名を! あの女性の命を……!

 震える唇を嚙み、嗚咽を漏らし、絶望の運命を退けた安堵と勝利の余韻に一人、浸った。


 ……これこそがユーリィの指摘した侮りであり、油断だった。

 コディは失敗した。


 ずざりと土を掻く音をコディは聞いた。耳がぞわりとした。血の気が引く。

 音のした方、若竜の方に、目を向ける。ずるずる、ざざざと音を伴って、持ち上がっていくものを顔面蒼白でコディは見た。

 此方に向き直って、見下ろす金色の瞳に強く熱い輝きがあった。

 寝転がった格好で硬直するコディに見せつけるように、若竜は胸元に刺さった龍刀を前脚の長い指で器用に摘み、引き抜いてみせる。

 関心すら示さず捨てた刀が落ちて、地面をドスリと震わせた。


「ぁぁ……ぁ……」


 身体の芯から震えていた。感覚を失うほどの手足の凍え。逃げるどころか、身体を起こすことすら忘れている。目の前の絶望を見つめることしか出来なかった。

 大きく裂けた若竜の口角付近から、白煙が吹き漏れていた。


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