若竜 vs 竜撃ち見習い
若竜は襲い掛かってこなかった。
瞬きもせず、じっとコディを覗き下ろすだけ。感じる微かな喜色。観察される嫌悪感。ぞわわと立つ鳥肌。闘いの前にユーリィが語った話を思い返す。
――は……はは。コイツ……僕が震える姿を愉しんでいる……!
怒りに似た反発は一瞬で掻き消える。理解のできない、得体の知れない不気味さが心を一気に塗り潰してしまう。
コディは三歩、後ずさった。
若竜が一歩踏み出す。
更に一歩後ずさり、さらに一歩、さらに一歩。
また一歩、近寄ってくる。
コディは堪らず身を翻し、逃げ出した。必死な形相で全力で走る。後ろを振り返る。なぜか若竜はすぐ後ろにいる。まるで引き離せていない。
追いかけてきていた。付かず離れずの距離を保たれる気色悪さに「ひぃ」と声が漏れる。直上から頭にかぶり付かれるイメージが浮かぶ。
「うあぁッ! うわあぁああああぁぁぁぁぁッ!」
何もないはずの頭上を手で必死に払い、恐怖と絶望が混ざりあった叫びが虚しく響く。
若竜は心なしか首を前のめりにして、尚もコディの後を追う。
「来る、なッ! 来るなよッ!」
乱れた呼吸の合間にコディは叫ぶが、若竜の歩みが止まるはずもない。
コディはポケットから仕掛筒を取り出し、蓋を捻り外して背後に投じる。地面に転がった筒が間を置いて「バシュ」と爆ぜた。火薬の匂いを周囲に振り撒く。
先ほどは即座に飛び退いた若竜だったが、今回は動じることなく、筒を前脚で踏みつけた。炸裂は未然に防がれた。
「ッへ?」
足がもつれ、地面を転げて顧みた光景にコディは顔を引きつらせた。手足をバタつかせ、慌てて立ちあがりながらと、また走り出す。
「嘘だろ!? じょ、冗談じゃないっ!」
追い立てているつもりなのか、若竜の歩みが徐々に早くなる。コディとの距離が次第に詰まっていく。背後から感じる気配がどんどん強くなっていく。
耳に届くハッハッという若竜の息遣いに背筋にぞぞぞと不快な震えが走る。切羽詰まった様子でコディは仕掛筒を若竜に向かって投げつけた。
不安定な体勢ながらも投じられた仕掛筒はなかなかの勢いを得ていた。しかも、炸裂のタイミングを粗々ではあったが計算をしていた。若竜が炸裂を止めることの出来ぬタイミング。確実に炸裂するタイミングを狙ったのだ。コディは会心と期待の表情を浮かべ、若竜を顧みる。
着火の音が鳴る。あと半秒で炸裂する瞬間。
すぅと伸ばした長い首がコディの計算を狂わせた。若竜の頬が仕掛筒を捉え、除ける仕草で頭を振った。筒は事も無げに巨躯の後ろへと撥ね除けるれた。
若竜の背後で閃光が無為に弾ける。
たちまちコディの表情は絶望へと変わった。躓いて、よろける。かろうじて態勢を整えて、前を向き直して、走りながら、何度も何度も後ろを振り返る。
「嫌だっ」
言葉が漏れた。背後からの重い脚運びの音は、これまでより速くなっている。
「嫌だ、嫌だッ……!」
また、躓く。それでも強引に走り続ける。背後の音が近づく。振り返った。間近に迫った若竜の顔を見てついに叫んだ。
「嫌だあぁぁぁぁぁぁぁッ!」
若竜の頭部、口の裂け目が広がって、ふるふると震えた。辛抱堪らぬ様子で吐息を漏れている。金色に光を放つ目が細められる。脚運びが更に速まった。首を伸ばしていく。口が開かれ、コディの頭を齧るための力加減を探るように小さく開閉した。
この年若い竜は今まさに至福の瞬間を迎えていた。
それは無様なコディが反撃に出た瞬間でもあった。
唐突に空に向かって突き上げられた右拳。走る方向へと手の甲を捻って掌を開く。握られていた物が、その空間に置き去りにされる。重力に引かれて落ちゆく過程で、若竜の鼻先は、それ――炸裂寸前の仕掛筒と鉢合わせた。
完璧なタイミングだった。
強烈な閃光は悦びに溺れた金色の瞳を焼いた。若竜は経験したことの無い刺激に悶絶し、長い首をうねらせ、反り返らせる。
やや残った閃光にコディは目を細め、走っていた方向に右足を突っ張らせた。巻き上がる土煙と共に、進行方向を急反転させ、逃亡から攻撃へと転じる。無我夢中で腰に括った龍刀を引き抜く。
これこそがユーリィの教えから導き出したコディなりの答えだった。
迂闊に使った仕掛筒は、若竜の筒への警戒心を薄めるための布石。若竜に易々と対処させたのも、巻き散らした火薬臭を自身に染みつかせたのも、隠し持った最後の筒の効果を最大限に引き出すためだった。
さらには、若竜の欲する所に思い知ったコディは襲い来る恐怖を敢えて隠さず、感ずるままに強く訴えかけた。望まれるままの痴態を敢えて隠さず、注意を散漫へと導いた。
若竜を倒し、約束を果たすため。
コディは龍刀を腰だめに構え、若竜へと突っ込む姿勢になった。目指すは、大きく反り返り開かれた胸元ッ!