トカゲに捧げる皿
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ヨークタウンの東にあって、南北にたなびく断崖地帯の西端は切り立つ崖は高台として、西に広がる荒野を見下ろせた。
荒野のなかには肩を寄せ合うように建つヨークのささやかな家屋群。そこから三十を超える人影が列を作り、町を離れていく様子が見て取れた。目指す先は南東の方角と見て間違いない。
「あの男を通して狭谷道の崩落は無事に伝わったか」
崖上にある岩や窪みを巧みに使って構築された密かな陣所。見事に擬装された覆いの内側で小さく身体を屈め、単眼鏡を覗いていたギブスは呟いた。
狭谷道の不通を知り、住人達の避難ルートとして北か南かの迂回が迫られた時、まともな頭があれば南を選ぶ。単純な迂回距離の短さに加え、万が一を考えれば身を隠せる空洞、洞窟が多いルートだからだ。それが最善であり、それが確かな判断と言える。
だからこそ、予測の通りだと一人暗がりでほくそ笑む。
背後でガサガサと音がした。
陣所への小さな侵入口から男一人が這い入ってきた。後ろには更にもう一人。
副長と砲手の一人だった。副長がギブスの隣に身を寄せた。
「遅くなりました。ステファンはあちらで待機しています」
「タイミングは伝えたよな?」
「ご指示通りに」
取り出した酒水筒をギブスは片手で器用に開けて一口含む。
ぞんざいに副長にも突き出したところで、のぞき窓の片隅に見えたものに眉を顰めて、単眼鏡をあらためて覗く。
「ぁ?」
「どうしました?」
「逃げる奴らとまるで違う方角、真東に移動してる奴がいる。何かデカい荷物を背負ってるが、何者かまではこの単眼鏡の倍率じゃ判別できん」
「住人達の内輪揉めでしょうか」
「さあな」
ギブスは黒ずくめの人影に目を凝らそうとするも、直ぐに止めてしまう。些細なイレギュラーへの興味を失ったからだ――なぜなら、もう場は整え終わっている。
見下ろす荒野を竜への大皿に見立て、町の住民を生け贄とあてがう策略の完遂は目前だった。もはや、荒野を行く住人たちが、竜に齧られ、蹂躙され、嬲られる運命からは逃れられない。
その時がくるまで、生け贄たちの動きなどは観察に値しない。そう考えたのも束の間、黒服に駆け寄っていく別の人影に気が付き、俄かに興味を引かれる。
相変わらず仔細までは確認できはしなくとも、自分自身と同じ装いから何者かを察する。思わず鼻を鳴らした。
「ウチの見習いがさっきの黒服を追い掛けている」
「コディが? 一体なぜ」
「さあな」
今度こそ本当に興味を無くしたギブスは単眼鏡を足元の鞄に捻じ込んだ。窮屈そうに体勢を変え、気休めに身体を伸ばせば、誘われるように欠伸が出た。
――見習いが町に残ったのは予想通り。ただ、あの軽十二ポンド砲は惜しいな。
今回、唯一無傷だった大砲をどう回収するかをぼんやり考える。そういえばと犠牲者リストにあの見習いの名前を追加せねばと考え至ったところで思考が止まる。
――名前……。
眉間に皺を寄せるも二秒ほどであっさり諦める。
副長に任せておけば然るべきリストは作ってくれるだろう。大した感慨も無くギブスの思考は次へと移る。今回の遠征費用と損失額の概算に加え、持ち主を失った金や家財の収拾手段と見込み額。
――ああ、それと。ヨークタウンの悲劇は新聞社の耳に入れとかねぇとな。
竜の恐怖を煽る記事は竜撃ちの傭兵である自分らには飯のタネに繋がる。大きな欠伸を堪えながら、ギブスは副長の手から酒水筒を取り返した。