策謀をめぐらす者たち
「そうだとしても。このまま逃げ出すなんて。僕には……」
コディは言い澱んだ。この状況に陥った責任を少なからず感じていたからだった。
狭谷道の崩落という凶報がもたらされた時。
アリスンの右肩の怪我を見てウォーレンが首をひねった時。
コディは嫌な予感がした。
――ヨークからの避難を妨害する何者かの意図があるのではないか。
ただ、東への迂回路があるなかで、ここまで強硬な手段に出る理由が……と考えが及んだ時に気付いた。
確信を以って今日の雨予報を出せる者ならば。
降雨により竜が行動を前倒すことを知り得る者ならば。
そして、それらを竜撃ち見習いに講義したことがある者……ギブス隊長ならば。
半日程度の封じ込めからヨーク住民を竜に襲わせる絵図を描いているとしたら……コディはヨークの置かれた状況、自身の推測をウェッブとウォーレンに話した。
さらに、ユーリィが竜の活動は降雨によって前倒される数々の事例、及び、その経験があることを証言した。
計らずとも雨予報の裏付けともなるコディの推測は、ウェッブ町長に第三陣の予定を取りやめ、ヨークの住人全員で早急な避難を決断させた。
しかし、それすらも及ばぬ場合、竜から住人を逃がす囮として手を挙げた者がユーリィ、それにコディだった。
「それに、悲観するほどでも無いはずです。まだ9時を回ったばかり。ここまで早い避難はギブス隊長も予測していないはず。こちらは先手をとれている。このまま何事もなく、僕らも含めた全員が洞窟に逃げ込める。そんな気がしているんです」
コディはすっぱりと言い切った。ユーリィの視線から逃げるように背を向けると、身を屈めて砲車に車輪止めを食わせ始める。
「よしんば、竜の飛来が先だったとしても、あなたがいる。黒騎士と共に闘い続けてきた万能な従者がいてくれるなら、竜を撃退してくれる。足手まといの僕がいなければ、きっと……!」
「……一つ、誤解を解いておきましょうか」
コディの熱い信頼を冷ます、穏やかながらも冷たさをはらむ声が響いた。
「竜狩り……いえ、人が竜に対抗する為に必要な素養が何か、ご存じですか?」
ユーリィの唐突な質問に戸惑いながらも、コディはかつてギブスから受けた講義のなかで説明された竜撃ちの素養のことかと思い至る。準備の手を止めずに答えを口にする。
「〝予測〟のことですか? 竜撃ちならば自然の事象や竜の習性を見越して動けと教わりました」
「その通りです。ただ、本来とは違う意味で用いられていることは、ご存じないでしょう? その道の先達――大陸先住民が伝える竜狩りの作法に学ばんとした最初の竜撃ちが、画一的な弾幕戦術に落とし込むため、敢えてその要素を削ぎ落したとか」
淡々とユーリィは言葉を続ける。
「私がお話したいのは、その削ぎ落された部分。全ての面で人を凌駕する竜に対抗するため、竜の振る舞いを先読みして先手を取る予測。竜と一対一で相対する竜狩りには必須の素養。それこそが〝先見〟と呼ばれる技能です。黒騎士が伝説と成り得たのは卓越した先見を持っていたが故です」
俄かに熱を帯び始めていた口調が急速に冷めていく。
「裏を返せば、先見の無い者に竜狩りは務まらない。竜は、殺せない」
「……昨日、僕のした提案が如何に物知らずだったのか、恥じ入るばかりです」
非難の気配を過敏に察したコディが自虐で応じるも「そうではないのです」と頭が振られた。
「人ならば誰もが勘という形で先見の素質を持っています。勘という種に知識と経験の水をやり、先見は育て上げられていくものなのです」
ユーリィは口を噤み、蔑むような口調に転じた。
「ですが、例外的に種を持たぬ者がいます。勘の働かない、私のような出来損ないが」
作業をするコディの手が止まった。
背中に届いた声が胸をぞわりと騒めかせ、不安を振り撒く。
屈んだまま、思わず振り返る。視界に入った黒いスカートを上に辿った。
揺らぐ自信を繋ぎ止めるため、さっき見た従者の勇姿を思い返す。頼りとなる表情を探して、不安と抗う。
「でも、さっきのあなたは常人離れをした身のこなしだった。豹のように跳び、狼のように駆け、あの大柄なアリスンさんを難なく受け止めてみせた。それに知識だって、経験だって、あなたは」
「そうだとしても。種の植わらぬ地面に水をかけても芽は出ません」
否定を重ねた唇は柔らかに笑みの形を作りゆく。
コディの探していた表情はどこにも見当たらない。「それに」と口にして、笑顔を作る過程で細めた目を見て、瞳の昏さを知って、鳥肌が立った。
「駆ける術を知らぬ駄馬である私が、どうして良馬の如く駆けられましょうか」
「ッ、ちょっちょっと待ッ、待って! だったら何故、あなたはこんな殿役を申し出たんですか!?」
震え声の問いにユーリィは答えなかった。
作った笑顔ではなく、見知った生真面目な表情に戻して、コディを見た。
背筋がぴんと伸びたすっきりとした立ち姿。揺らいだ黒い髪、白い肌、黒い服……黒と白のコントラスト、だけの違和感。
「コディさんが感じる負い目くらいは、まとめて私が引き受けます。ですから、あなたも洞窟へ」
ゆっくり、じわりとコディの口が開いた。返答をするためではない。
それが、無いことに気付いたからだ。
真正面に立つ、黒い立ち姿を呆然と見上げる。
昨日まではあったもの。従者の証として示されたもの。
ユーリィの襟元で誇らし気に輝いていたブローチが無くなっていた。
ブローチの正味な意味を知らぬコディであっても、主人を失くした従者が只ならぬ心情でこの場に立っていると悟るには十分だった。