危ういメッセンジャー
走る速度を落とさぬばかりか、尚も加速したユーリィに狼狽えたコディ。
その背後では別の騒めきが起きていた。
徒歩組として集まっていた人々が町の東に広がる荒野に目を向け、不安の声をあげる。
そのうちの一人が町に向かって疾駆する騎馬を指差していた。
ただ、遠目に見える騎手の様子は明らかにおかしい。馬の疾走に抗う姿勢ではなく、激しい反撞で揺れる背に跨がる身体は跳ね上げられんばかりだ。
「……アリスン!?」
ウェッブが小さく驚きの声を上げた。
全身が土埃塗れの姿ながら、今朝見送ったばかりの友人だと確信する。
居合わせた者の殆どが町の外から来る馬に注目し、意識を奪われていた。自然と出来上がる人垣。ただ、それはユーリィが全力で突き進む行く手を阻む形で出来上がりつつあった。
「危っ」
ユーリィと人垣の危険な衝突を回避するため、焦って叫んだコディの声は全く遅かった。
しかし、ワンピースを激しくはためかせ、ユーリィは人垣に至る十歩手前で――跳躍した。
「あぁッ……!」
コディは信じられない光景に大きく目を見開いた。
大人の背丈を凌駕する高さで人垣を飛び越えんとする影。
まるで飛んでいるかのような、黒い天使のような、鮮烈な姿に声を失う。
つと、向けられた天使の視線とコディの視線が噛み合った。
「コディさんは馬を!」
指示を発して、人垣とコディとの刹那の邂逅をも跳び越え、着地したユーリィは狂奔する馬を目掛け、再び加速する。目指す先にある騎手はもはや意識が無いのか、頭と身体を馬上で躍らせている。
「落ちる……ッ!」
見守る誰かが絶望の呻きを漏らした。
奇跡的に保たれていたバランスが失われ、アリスンは一際跳ねて馬から振り落とされる。
駆け迫った黒い疾風が僅かに跳ねた。
片足を前に投げ出し、落馬した騎手と地面との間に滑り込む。土埃を巻き上げながら、アリスンの大きな体躯をユーリィが見事受け止め、止まった。
「もし! もし! 分かりますか?」
舞い上がる土煙のなか、問いかけるも応答は無い。昨日酒場で見かけた男性だとユーリィは思い返す。
土埃に塗れた顔には汗が流れた幾筋もの跡があった。全身に土を被ったような様相ながら、左肩だけが黒く濡れそぼっている。顔色の悪さは汚れだけではない。
「少し痛みますよ」
アリスンの腰から引き抜いたベルトを脇の下から通し、肩甲骨の上でバックルを使い強く固定する。痛みのためか、気が付いたアリスンが惚けた声を上げる。
「ぅぅッ、いッ……? あんた誰……従者の、嬢ちゃん、か? ここ……?」
「よかった。ここはヨークタウンの東口です。今朝、先行して東に向かわれたはずでは?」
「ああ……そうだ。ウェッブに、町長に、東へ抜ける狭谷道が崩れたことを伝えねぇと」
咄嗟に思い浮かべたヨークタウン周辺の地図。もたらされた一報の意味するところをユーリィは理解し、思わず息を呑んだ。
*
「もう私らは安全に逃げられないってこと?」
客室のなか、ドア脇に寄り掛かったアンが不安そうに声をあげた。
視線の先には革コルセットを自身の胴に巻き、組付けるユーリィの姿。黒いワンピースの緩やかな胴回りが細く堅いラインへと変えられていく。
「はい。東に抜ける峡谷道の崩落。それにコディさんの雨予報から、夕方と考えていた竜の飛来が早まる可能性。昨日まで想定していた逃げる算段――実際的な手段と時間的余裕が損なわれてしまいましたから」
「峡谷道の他は、北か南に大きく迂回するしかないのだけど……どちらも一日はかかる」
アンは言葉を飲み込んだ。
開けた荒野、逃げも隠れもできない状況での竜との遭遇は絶望でしかない。
不吉な予想は速い鼓動を更に速めていく。無意識に胸を押さえる。
「それについてはウォーレンさんが名案を。南東に四マイル半も歩けば洞窟があるそうですね」
「え、ええ。峡谷道がある理由でもある東一帯の岩場、断崖にはいくつか穴があるから」
「一時、洞窟に身を潜め、雨が降り始めてからもしくは夕暮れ後に東へと移動を始める。これなら逃げ切れる公算が高いです」
最後の胴ベルトを強く引き絞って革コルセットの固定を終えたーユーリィは穏やかな口調で付け加える。
「それに私が町に残って万が一の事態に備えます。アンさん達が洞窟に入るまで見張っていますよ」
「あなた一人で? いくらなんでも……」
「この町の事情を知ってから、元からそのつもりでしたし。お気になさらず。慣れていますから」
手櫛で髪を整えながら、デスクの上に置いた物を入れ肩掛けカバンに詰め込む。最後に椅子に掛けてあったベルトバックを自分の腰に括り付けた。
「しかも、町長さんは全員での早急な避難を即断されました。あと十五分もすれば出発です。きっと竜より先んじられます。大丈夫。安心して」
アンはユーリィの自信に満ちた笑顔にホッとした反面、その笑顔に不釣り合いな眼差しに気が付いた。
「というわけなので、アンさんに一つお願いしたいことが」