時々、ブックマークが信じられなくなることがある
このエッセイで自分が皆様に伝えたいことは、以下の三つ。
●自分の作品にポイントや感想をくれ、とは言いません。
●でも、他の作者様の作品にはどんどんポイントや感想を差し上げてください。
●あと、好きな作品を書くのが執筆モチベを保つポイントだと思うのです。
以上!
これで、作品が読者の皆様向けに伝えたいことは大体伝えちゃいました。なんならブラウザバックしても良いですよ!
これより下、拙い本編。
自分がこの「小説家になろう」に作品を投稿させてもらってから、はや一年と半年。
2019年の8月。右も左も、「なろう」におけるテンプレやらジンクスやらも分からずに、自分が好きに思い描いた物語を初めて投稿。その作品が初めてのブックマークをもらうまで、実に一か月と半月ほど。初めてのブックマークが貰えた時は狂喜乱舞したことを、今でも覚えています。
あれから実に一年以上。件の作品は、おかげさまでブックマークが100を超えました。自分のように細々とやっている作者からすれば、これは相当に高い数字ではないかと思っております。読者の皆様、改めて、いつもご愛読いただきありがとうございます。
しかし最近、ふと思うことが……。
いや、思ってしまうことがあるのです。
この自分の拙著は、外伝や設定集も合わせたいわゆる「部分数」でいうと、実に600部分に到達する恐ろしいくらいに長ったるい作品です。文字数にしてなんと250万字。しかもまだまだ増える予定。どれだけ鍛えられた小説愛読家でも、その凶悪なまでの部分数によってビビりあがりクリックすらせずに避けて通るであろうことは想像に難くないかと。
PVやユニークユーザー数の伸びも、同じくらいにブクマを稼いでいる他の作品からすれば、かなり控えめな方だと思います。長ったらしいぶん、アクティブなユーザー様が少ないのでしょう。
レビューは当然ゼロ。
感想は一件だけあります。
あと活動報告にも一件書き込んでいただきました。
本当に有難いです。
600部分も続けば、それだけ「なろう」のトップの「更新された連載小説」に掲載される可能性も上がります。そうなればきっと、ブクマだけでもしてくれる読者様に出会える可能性も上がるでしょう。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるってやつですね。誰だ自分の作品を下手だって言った奴は。正論は時に人を傷つけるんだぞ。
人目に付かず、細々と続ける大長編。
それでも定期的にぽつぽつと増えてくれるブックマーク。
それらを見て、ふと思うのです。
この作品のブックマーク、果たして「本物」なのだろうか、と。
アクティブなユーザー様が少ない。
ブクマするだけしておいて、読んではくれない。
それなら全然良いんです。
少なくともそれは、血の通った人間が、タイトルやあらすじだけでも「面白そう」と判断して、応援や完結待ちのキープとしてブクマしてくれた、と勝手に解釈できますし。その方々を想うだけで、まだまだ作品を書く力が湧いてきます。
自分が本当に恐れているのは。
このブックマークが、サイトを巡回しているAIなどによって、システム的に付けられただけ、という可能性。
極端に膨れ上がった部分数は、本当に誰一人として読者を寄せ付けず、ネットの海を徘徊するAIロボットが通っていっただけという可能性。
ブクマをつけるだけのAI。
そんなシステムが実在するかは分かりません。
分からないからこそ、あってもおかしくないのでは、と考えてしまう。
なろうの作品のデータを取っている外部サイトとかありますし、そこの仕業では、とか考えてしまう。
あるいは、長く続いている作品はエタらないように定期的に、そして自動的にブクマをつける、なろうの極秘システムが存在するとか……。自分の作品も、そのシステムでつけられたブクマに生かされているとか……。
そんな突拍子もないことを、時々考えてしまうんです。
自分の作品が、まっとうにブクマを稼ぐことを信じられなくて。
もし今までのブックマークも、ユニークユーザー数も、血の通わないシステムによって作業のように付けられただけのもので、それに対して自分が狂喜乱舞したり、お礼を言っていたりしていたのだと思うと……。
なんだか自分が、とんだ道化みたいに感じてしまったのです。
自分は、ずっと独りでバカ騒ぎしてただけなんじゃないか?と。
つまるところ、読んでもらっている実感が湧かないのだと思います。
珍しい悩みでしょう?
自分で築き上げたブックマークを、信じられない作者がいるなんて。
この100以上のブクマ、9割以上は人間じゃないのでは、なんて思ってしまうなんて。
もしこの悩みが杞憂で、この100のブックマークのほとんどが、普通に血の通った誰かが付けてくれたものだとしたら、自分のこの悩みは実に失礼なものです。読者の皆様を信じていないということなのですから。……それでも、時々ふと思ってしまうのです。
自分と読者の皆様を繋げてくれるのは、アクセス解析とブクマの変動のみ。その二つだけを信じてクッソ長い作品を書き続ける。それはさながら、果てしない砂漠をたった一人で旅しているかのような孤独感。その先に理想郷があるかも分からずに。だからこそ、こんな不安を抱えてしまったのかもしれません。
……さて。
それでは、そろそろ明るい話をしましょうか。
暗い話は好きじゃないので……。
ここまで散々あれやこれやと悩みをぶちまけた自分ですが、ぶっちゃけ作品を書くことを止める気は毛頭ありません。……たぶん。
たとえ、誰にも読まれなくても。
たとえ、誰にも応援されなくても。
それでもお前は書き続けるのか、と思われるでしょう。
良いんです。
だって自分は、この作品が完成した時、本当に良い物語になると信じているから。
自分が書く物語に自信がある。
というか、完成させたものを自分がぶっ通しで読みたい。
自分が書いた作品は自分が一番好き。
自分の作品大好きタイプ人間。
物書きの中でも一番しぶとい種族。
もともと「こんな物語があればいいな」と思って書いた作品なので、作者である自分が真っ先に自分の作品を好きになってしまうのは、ある意味で当然なのかもしれません。自分の好きな作品を書くことこそ執筆モチベの維持に繋がる、とはよく言ったものだと思います。
そもそもです。
自分の作品が誰にも見向きされないなら、せめて作者である自分くらいは最後まで作品に向き合ってあげないと、終わりでしょう。
だから自分は書き続けるのです。
作品のために。
そして自分自身のために。
ついでに、いつかこの作品が何らかの偶然で人目に触れる可能性もあると思って。
……けれど、最後に。
冒頭で「ブラウザバックしても良いですよ!」と言ったのに、それでも律儀にここまで読んでくれた皆様に、失礼ながらも再三のお願いをば。
自分の作品にポイントや感想をくれ、とは言いません。でも、他のお気に入りの作品には「読んでるよー」という反応をあげてほしいのです。
ブクマだけでなく、できればポイントや感想による応援も。レビューがもらえれば万々歳ですし、誤字報告もかなり「誰かが読んでくれた!」という実感を与えてくれます。続きを待っている読者の存在を実感できれば、それは作者にとって何よりの力となるはずですから。
「お気に入りの作品には感想を!」なんて、もう各所で何度も声高に叫ばれていることでしょうけれど、それでも自分からも言わせてもらいます。人の血が通った文字こそ、作者と読者を最も強く繋げてくれるモノなれば。それを糧に、それを信念に、作者は執筆を続けられると思うのです。
自分みたいに細々と600部分も続けていられるのは、恐らく相当な異常者です。大抵の作者様は見切りをつけて別の作品の構想を練り始めるかと思います。自分から見てもしょうがないと思います。そりゃあ作品を読んでほしいと思って書き続けているのに、読まれている実感が無かったら、打ち切りたくもなるってもんです。
……というか、最初に軽く触れましたけど、自分も一応、件の作品に感想は頂いてますからね。活動報告にいただいたものも合わせて計二つ。だからこそ、読者様のご感想から得られるありがたみ、そしてパワーというものがよく分かります。そしてこれらのご感想の存在もまた、自分が書き続ける理由です。
読者に作品を読んでもらっている実感が湧かない。
作者は虚しさを覚え、筆を折ってしまう。
その筆を折る場面もまた、誰にも見てもらえず。
筆を折る音すら、誰にも聞いてもらえない。
そこにあるのは、ただ虚しさだけ。
それはとても悲しいことです。
だからこそどうか、どうかお気に入りの作品には反応を。
作者の皆様に、作品が読まれているという実感を。
さて。書きたいことをダラダラと書き連ねていたら、だいぶ心がスッキリしました。さっそく次のエピソードを執筆しなければ。
……え?
「今日はこのエッセイ投稿したし、もう休んで良いんじゃ?」ですって?
そういうワケにはいきません。
件の600部分続いている作品、これほぼ毎日投稿してるんです。
頑張ってストックを貯めないと、更新が途切れちゃう。
まぁでも、なんやかんや言っておいて、感想やポイントを受付停止にする勇気が自分には無かったのであった、まる。