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第94話 私と貴方だけ

 音を立てて降り始めた雨粒で辺りに飛び散った血が洗い流されていく。騒ぎがおさまった事を確認すると、身を隠していた人々が、殺人鬼だ、化け物が現れたと口々に言いながら明かりを灯していった。幸い街は半壊で済んだが、失った命は少なくない。どこからともなく啜り泣く声が耳に入ってくる。怪我人も多くいて、生き残った街医者達は雨の中で忙しなく動いていた。

 日野と刻は街の人々から鋭い眼差しを向けられ、もうここにはいられないと嫌でも感じさせられる。

 すると、アイザックの止血を終えたグレンが深い溜め息を吐いて日野とハルに視線を移した。


「お前ら、ローズマリーとルビーを呼んでこい。おじさんと刻は俺が宿まで運ぶ。それと……」


 言いながら立ち上がり、グレンは自身のコートを脱ぐ。それで頭を覆うように日野へ被せた。


「……何も無いよりマシだろ。雨も強くなってきたしな」


 頼んだぞ、と言いながらグレンはアイザックを担ぎ歩き出した。日野はギュッとコートを握り締め、ありがとう……と小さく呟く。

 何故、刻が街の人間を一人残らず殺していたのか、今なら少しだけ分かるような気がした。全員殺してしまえば、生き残りを出さなければ悲しむ人間を最小限に抑えられる。そして、こんな風に射るような視線から身を隠さずに済む。


「行こう、ショウちゃん」


 眉間に皺を寄せて固まっている日野へ、ハルが声をかけた。小さな手が日野の前に差し出される。眉を八の字にして微笑むハルにぎこちなく笑い返すと、日野はその手を取った。




◆◆◆




 ぬかるんだ道を急ぎ走ってきたために息が苦しい。短い呼吸を繰り返しながら、ローズマリー達がいる筈の部屋の前で、日野とハルは立ち尽くしていた。ポタポタと濡れた体から滴り落ちる水音が耳に響く。

 室内には荒らされた跡。割れた食器や荷物が散乱し、そこにいる筈の二人がいない。この宿の辺りはフード男が暴れた場所から離れていて被害は少ない筈だ……一体何があった? 二人は無事なのか? そう思った時、フード男の言葉が蘇った。

 ──獲物は捕まえられた。

 男はそう言ってクスクスと楽しそうに笑っていた。嫌な予感が頭を過ぎる。


「──まさか!?」

「……ショウちゃん。これ、アイツの仕業?」


 部屋の中へ入り、落ちていた大きめのリボンをハルが拾う。柑子色(こうじいろ)のリボン……それはルビーの黄色いワンピースの胸元に付いていた物だった。ハルはそれを強く握り締め、拳を震わせている。


「そうかもしれない。フードの男は私達の傍にいたけど、もし仲間がいれば騒ぎに乗じて二人を連れ去ることも出来た筈……獲物は捕まえられたって言ってたのも引っかかる」


 そう言いながら、日野は荒らされた部屋の中にある三人の私物であろう服やトランクを掻き集め、両手に抱えた。


「刻に話を聞こう」


 左手でグレンのコートを深く被り直すと、怒りに震えるハルを連れて、日野は部屋を出る。来た時と同じように、街の中を走り抜け、自分達の泊まっている宿を目指した。

 刻に話を聞けば何か分かるかもしれない。ローズマリーとルビーが連れ去られたのであれば一刻も早く助けに行かなければ。相手は笑いながら鉈を振り回すような男だ……何をされるか分からない。

 しかし、アイザックは止血したものの意識を失ったまま。グレンは出血をなるべく避けるために危険なことはさせられない。幼いハルにも、小さなアルにも傷付くような真似はして欲しくない。


「みんなを守れるのは、私と貴方だけ……」


 隣を走るハルにも聞こえないような小さな声で、日野はそう呟いた。

 このまま明日が来ないのではないかと思う程に長く感じた夜もようやく明け始めたが、雨は強くなる一方で辺りは暗いまま。どす黒い雲が空を覆い隠し、不安が胸を締め付けた。

 ──どうか無事でいて。

 焦る気持ちを抑えながらも、日野とハルは走る速度を上げて宿へと向かって行った。

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