第90話 我儘
祭りも終わり、仮装をした人々もいなくなってすっかり静まり返った街の中をアイザックはハルを背負って歩いていた。
首に回された小さな手にはグレンの銃が握られている。ふと空を見上げると、星は雲に覆われ、月もあまり見えない。微かに届く淡い月光に照らされながら、アイザックの肩に顔を埋めたままハルがか細い声で呟いた。
「ボク、刻を殺しに行ったんだ」
「はい」
気付いていましたよ、と言うように穏やかに相槌を打つ。
「ボク一人じゃ刻に敵わない。そんな事分かってる」
「はい」
「でも、どうしても殺してやりたいと思っちゃうんだ……だってボクのパパもママも、アルバートも刻に殺されたんだ……」
「はい」
「……ボクがもし刻を殺したら、あの二人は泣くのかな?」
そう言ったハルの声が震えている。緑色の大きな瞳からパタパタと涙がこぼれ落ちた。泣き声を押し殺すように耳元で囁かれたその言葉に胸が痛む。
あの時、血塗れで意識の無い刻に駆け寄り必死に声をかけていたローズマリーやルビーの姿と、殺されたアルバートを抱き締めたまま涙を流していた二年前のハルの姿が重なった。
大切な人を失う悲しみを、この子は知っている。だからこそ、グレンの銃を奪い部屋の前まで来たものの、そこで気持ちが揺らいでしまったのだろう。
刻を殺せば二人は泣くのか……自分なりのその答えを言う前に、涙を流したことで首に回していた手の力が弱まってずれ落ちそうになったハルを背負い直した。
「そうですね。刻が死んだら、ローズマリーやルビーはきっと悲しむでしょう。それに私も、刻が死ねば悲しいです」
「でも……許せないんだ」
「ええ、分かっています。許さなくて良いんですよ。許すべきではありません。貴方の家族が刻に殺された事は事実なんですから。だからグレンも止めなかったんですよ、きっと。それに私もグレンも、ハルの強さを信じていますから」
そう言うと背中から小さく、そっか……と呟く声が聞こえた。
グレンは気付いていた筈。銃を奪ったことも、刻を殺しに行こうとしていたことも、何も言わず見て見ぬふりをしてくれた。
どんなに辛く悲しいことがあっても、ハルは人を殺めるような子ではない……そう信じている、そう信じていたい。グレンも、同じ気持ちではないだろうか。
そんなことを考えていると、ハルがグッと前の方へ身を乗り出し、ゴシゴシと涙を拭って笑いかけてきた。
「ねぇ、ザック先生。ボクは、強くなった?」
「ええ、強くなりました。ハルはこの二年間で心も体も驚く程に成長しましたよ。もう少し我儘を言って甘えて欲しいくらいです」
冗談めかしてそう言うと、嬉しそうな笑い声が背中から聞こえてくる。年相応の、無邪気な笑い声。しかし、その可愛らしい声は、意外な我儘を言ってきた。
「じゃあ今度、女の子と仲良くなる方法を教えて欲しいな」
「おや? 誰か気になる子でもいるんですか?」
「うん、ルビーちゃん。何故かボクにだけ冷たいんだ。歳も近いし友達になれるかなと思ったんだけど……嫌われてるのかな?」
名前を呼ぶだけで驚かれ、手を差し出しても取ってくれないと不満そうに文句を言い始めたハルに、アイザックは目を丸くした後、クスクスと楽しそうに笑った。
それから、たわいない会話をしながら宿へ向かって歩いていく。すると、日野達のいる宿の明かりがすぐそこに見えてきた。
実は今日も同じ部屋に泊まれるようにコッソリ手配をしている。またビックリさせてあげましょうとアイザックが一人微笑んだ時、宿の入り口から勢いよくグレンが飛び出してきた。
「グレン?」
「おじさん! ハル! あいつを見かけなかったか!?」
こちらを見るなり駆け寄って来たグレンは酷く慌てたようにそう言った。その右頬には一筋の切り傷があり、そこから赤い血が滴っている。
日野の身に何かあった──穏やかだった筈の空気が一変し一気に緊張が走る。
「あいつって、日野さんですか?」
「ショウちゃんに何かあったの!?」
「いなくなったんだ! ──っくそ。あの女……傍にいろって言ったのに、どこ行きやがった」
そう言って、苛立ちを隠す事なくグレンは日野を探して走っていった。
ハルはアイザックの背中からスルスルと降りると、背の高い彼の顔を見上げる。お互いに頷き合うと、グレンの後を追って走り出した。
雲に隠れ、月の光もあまり届かない静かで不気味な街。突然姿を消した一人の女を探すため、男達は闇の中を走り回った。
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