第89話 鈍感
チラチラと揺れる蝋燭の光の中、刻の口から語られたフード男とのやりとりを聞いたアイザックは顔に手を当てて深い溜め息を漏らした。
フードの男に本が破壊の力を与えた……だが一体何のために? 何かの気まぐれか、あるいは引き千切られそうになったページを守るためか、今はシンと静まり返っている青い本に尋ねる術はない。
力を得る前から刻の攻撃を避ける程の瞬発力を持ち、相手を出し抜く狡賢さも持ち合わせている。
本当にフード男がこの世界を壊し最後には自分も死ぬということを目的としているのであれば、思っている以上に面倒なことになってしまったかもしれない。
「刻、他人より力が強いからと言って油断し過ぎです。幸い傷は治っているようなので、その体質には感謝しかありませんが……変化を繰り返す度に体に受けるダメージは大きくなっているんでしょう? そろそろ動き回るのはやめて、同じ街で暮らしませんか? その本の力でも貴方や日野さんを普通の体に戻せないのなら、せめて私が力を抑えられるような薬を作りますから」
きっと断るだろうと思いつつ、アイザックは刻にそう提案する。
刻や日野さんが暴走したとしても、自分やグレンが傍にいれば何とかすることも出来るだろう。
ハルやアルは刻を嫌がるだろうが、全員で固まっていればローズマリーやルビーを守ってやることも出来る。だが、このまま戦えない女子供を連れて少数で旅を続ければフード男から危害を加えられることは明白。
刻を追っているグレン達にも危険が及ぶことになる。グレンは怪我をすることも出来るだけ避けなければいけないというのに……。
心配のし過ぎで胃を壊しそうだ。かと言って、自分の病院を放置して旅に同行する訳にもいかない。
同じ街で暮らす事が出来れば、自分の目の届く範囲に置くことが出来れば……一縷の望みにかけて言ってはみたが、刻の口から出た返答はやはり予想通りだった。
「必要無い。次、奴に会った時は必ず殺す」
負ける気など更々無いのか、単に悔しいだけなのか、ギュッと拳を握りしめる刻をアイザックは見つめた。
初めて出会った頃は、生きる術も何も知らない生意気な子供だった彼が、今やっと大切な人を見つけ、小さな幸せを掴もうとしている。彼にもし明るい未来が待っているのなら、それを壊したくない。
そんな考えが頭に浮かぶ。手のかかる弟を見るようにアイザックはフッと笑みを浮かべた。
「そうは言っても、そのフード男にまた怪我でもさせられたらどうするんです? あんな状態になっても会いたい気持ちがあったから戻って来たんでしょう? みんなでまとまった方が彼女達の危険も減ります。このまま旅を続けていれば嫌でも襲われることが増える筈……大好きなローズマリーを守れなくなっても良いんですか?」
「……好き? 俺はただ会いたいと思っていたから戻って来ただけ。それに、心配は無用だ。奴にローズマリーは絶対に渡さない。ルビーもな」
「それを好きだって言うんですよ、バカ」
呆れた顔でそう言ってはみたが、当の本人は自身がローズマリーに好意を抱いていることに気付いていない様子だ。
傍から見れば明らかに両想いなのだが……生きる術だけではなく色恋のことも少しは教えてやるべきだったと後悔し、アイザックは再び深い溜め息を漏らした。
「とにかく、フード男の存在だけはグレン達にも伝えますよ。貴方を追っている以上、危険が及ぶ可能性はありますから。それと、私もその男のことを調べてみますが目が覚めたらローズマリーさんにも調べてもらってください。私より情報屋をしていた彼女の方が正確でしょうから」
「ああ、構わない……帰るのか?」
座っていた椅子から立ち上がり、帰り支度を始めたアイザックに刻がそう尋ねる。
「貴方の体はもう大丈夫そうですし、日野さんの様子を見に行ってきます。それと……」
言いかけて、アイザックは扉の向こうへ視線を向けた。
「緑の片割れか」
刻も気付いていたのか、同じ方へ目を向ける。
緑の片割れが近くまで来たことは匂いと気配ですぐに分かった。おおかた弱ったところを狙って殺しに来たのだろう。
「何かあれば近くの宿にいますから、少しは頼ってくださいね」
そう言ってヒラヒラと手を振りながら出て行ったアイザックを、刻は無言で見送った。
先程までいた部屋を出てパタンと扉を閉じると、アイザックは下を向いて柔らかく微笑む。
足元、扉のすぐ側の壁に背を当てて、見覚えのある深緑色の髪をした少年が同じく見覚えのある銃を手にしたまま蹲っている。
「ハロルド、帰りますよ」
思い悩んでいるのか、その表情に暗い影を落としたまま動かない緑の少年に、出来るだけ穏やかな口調でそう伝えた。




