第81話 小さなやきもち
小さなケトルの中で、コポコポとお湯の沸いた音がし始めた。ここは部屋に備え付けられているキッチンだ。日野はコンロの火を止めると、四人分のお茶を淹れていく。
突然のアイザックの訪問には驚いたが、自身の体の変化について相談出来るかもしれないと、どこかホッとしている自分もいた。体の違和感についてもそうだが、違う世界から来ただなんて、きっと普通の医者なら信じてくれない。
グレン達の洗濯物もまとめ終わり、お祭りが始まるまでにはまだ時間があったため、部屋で話でもしようということになったので、相談出来るいい機会だ。
「ザック先生に聞けば何か分かるかもしれないし、会えて良かった」
ポツリとそう呟くと、四人分の湯飲みをトレーに並べる。アル用のミルクも準備して、一緒に乗せた。重たくなったトレーを持ち上げると、テーブルに集まって話をしているグレン達の元へ、日野は戻って行った。
◆◆◆
日野がお茶を持って戻ってくると、アイザックはグレンの話を聞きながら驚いている様子だった。
四人掛けのテーブルには、壁側にアイザックとハルが座り、アイザックの向かいにグレンが座っている。それぞれの前に湯飲みを置きながら、日野は三人の話している声に耳を傾けた。
「──という訳で、ルビーちゃんは刻について行っちゃったの」
「そうですか、刻が子供に名前を……珍しいこともあるものですね。それに女性も連れている……恋人、なんでしょうか?」
「恋人だぁ? あの殺人鬼がか? あんな仏頂面で目付きの悪い奴に女なんて相手出来んのかよ」
「仏頂面で目付き悪いのはグレンも同じでしょう。むしろ目付きの悪さで言えば刻より貴方の方が上ですよ。……しかし、恋人だとすれば会ってみたいですね。可愛かったですか?」
「ああ……まあ可愛かったな。って、何でだよ。興味でもあるのか?」
「ええ、とっても。もし好き同士だったとしたら、からかい甲斐があるじゃないですか」
そう言って、満面の笑みを浮かべたアイザックに、グレンは苦笑していた。
そんな彼らを横目に、日野はトレーをそっとテーブルに置くと、空いている席に座る。出されたお茶を飲みながらこちらをチラリと見たグレンに、ありがとな、と声をかけられたが、顔を背けてしまった。
──ああ……まあ可愛かったな。
先程グレンが言ったその一言が、頭に残って離れない。確かに、ローズマリーは女から見ても可愛かった。
もしグレンが好きになってしまったら、私なんか敵わない……そう思うと、何だか気持ちが沈んでいく。
湯飲みの中でユラユラと揺れるお茶を見つめながら、俯いたままでいると、大きな手に肩をガシッと掴まれ、グレンが顔を覗き込んできた。
「どうした? 具合でも悪いのか?」
「う、ううん。何でもないよ、ごめんなさい」
ジッと見つめられ、赤く色づいていく頬を隠すように顔を背けながら日野が謝ると、グレンは小さく息を吐いて日野の頭をクシャクシャと撫でた。
触れられると、余計に顔が火照ってくる。みんなの前だ、落ち着かなければ……トクトクと速くなる心臓の音を誤魔化すために、日野は目の前の熱いお茶を少し啜った。
そんな二人の様子を、ハルとアイザックが微笑ましそうに見ていると、ふとグレンの表情が、真剣なものに変わる。
「そう言えば、お前にはちゃんと話してなかったが、一応は刻に聞いたぞ。元の世界に戻る方法や、普通の体に戻る方法が本に書いてあるのか」
「え? ……と、刻は何て言ってた?」
「普通の体に戻る方法も、元の世界に戻る方法も無いらしい。本にも書かれてないんだと。コントロール出来るかどうかはお前の気力次第。そして、コントロール出来なければ、そのうち自我を失うかもしれない……」
「……そっか」
驚きはしなかった。覚悟はしていた事だ。むしろ、元の世界に戻る方法が無いと分かってホッとしている自分もいた。
しかし、自分で力をコントロール出来なければ自我を失う……それが本当なら、私は、いつか本物の化け物になってしまうのだろうか。
──目を覚ましたら、お前がお前じゃなくなってるんじゃないかって、怖かった。
少し前に、グレンにそう言われたことを思い出す。あの時言ったあの言葉は、そういう意味だったのか……私のせいで、二人に不安な思いをさせてしまっていた。
いつも、いつも、私だけが足手まといで……辛い思いばかりさせてしまっている。早く何とか……何とかしなければ。
そうだ、体のこと……今、ザック先生に相談してみよう。
「ザック先生。私から、少し聞きたいことがあります」
焦る気持ちを隠しながら、日野は真っ直ぐにアイザックを見つめた。




