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第80話 少々悪ふざけが過ぎましたね

 日野と交代で、グレンとハル、アルは仲良くシャワーへと向かった。日野は、男達がシャワーを浴びている間に、濡れた髪を乾かした。サラサラと指通りの良い黒髪からは、ほんのり甘いシャンプーの香りが漂って心地良い。


 久し振りのシャワーの余韻に浸りながらも、早く荷物を整理しておこうと、日野は自分のリュックを開ける。買ってもらってからまだそんなに月日は経っていない筈なのに、日野のリュックは汚れや擦れが目立ち、何年も使い込んでいるかのような見た目になってしまった。


 今日中に洗っておきたい服や、捨てるもの、残すもの、リュックに詰めたものを一つずつ取り出しながら整理していく。すると、底の方に入れていた筈の物がなくなっていることに気付き、日野は首を傾げた。


「あれ? スーツが無い……パンプスも……確か、リュックの底に入れておいた筈なのに」


 そう言えば、少し前に腕時計も失くしていた。いつ失くしたのか分からない。そしてスーツも、パンプスも、リュックから出すことは無かったのに、何故か失くなっている。


「……元いた世界の物だけが消えてる? そんな、まさかね」


 この世界に来た時も、身につけていたもの以外のバッグや財布は見当たらなかった。一体、いつどこに消えてしまったのか……しかし、この世界ではあまり使う機会の無い物だから、困ることもないだろう。そう思い、特に気にする事もなく、日野はテキパキと荷物を整理した。


 仕分けてみると、意外と多い洗濯物に溜め息が漏れる。これが三人分ともなると少し大変だ。


「グレンとハルにも、後で洗濯物出してもらわなきゃ」


 大変だと思いながらも、二人の服を洗って、畳めることが何だか嬉しくて、自然と顔が綻ぶ。


 今の私は、きっと違和感なく笑えている……体の変化とは別に、中身もほんの少し変わってきた。良いことなのかな……そう思いながら、宿にある洗濯コーナーへ持って行くために、仕分けた服をネットに詰める。すると、誰かが部屋の扉をノックする音がした。


 ──コン、コン


「? はい」


 ──コン、コン


「どなたですか?」


 ──コン、コン


 扉の方へ声をかけても返事がない。誰だろう? 宿の人かな? 日野は首を傾げながらも、そっと部屋の鍵を開けた。ドアノブに手をかけ、カチャリと扉の開く音が鳴る。その瞬間、勢いよく扉が開かれ、目の前に、長身の男が現れた。


「何!? ……んんっ?!」


 くるりと体を回され、後ろからギュッと抱き締められる。そのまま大きな手で口も塞がれてしまい、声すら出せなかった。


 せめて助けを呼ばなければともがいてみるが、動けない。金色の瞳の時であれば何とかなるかもしれないが、普通の状態では、力も普通のただの女……抵抗しても敵わなかった。すると男は、抱き締めたまま、日野の耳元で低く囁いた。


「お菓子くれなきゃ、悪戯(いたずら)するぞ」


 男の温かい吐息が耳に触れると、体がピクリと揺れる。やっぱり、何かがおかしい……感覚が、変になってる。


 日野は、ふるふると体を震わせ、焦茶色をした目には涙が溜まり始めた。すると、口元を押さえていた手がパッと離される。


「っは、ハァ、ハァ……」

「おやおや、泣かせるつもりでは無かったのですが……少々悪ふざけが過ぎましたね」


 突然優しくなったその声は、聞き覚えのあるものだった。日野の体から、そっと男の腕が離れる。すると、体に感じた違和感もゆっくりと消えていった。


 一体、誰がこんなことを……そう思って振り返ると、真っ白のスーツに、目元だけを隠すようなマスクを付け、まるでこれから仮面舞踏会に行くかのような格好の男がいた。男は付けていたマスクを外して、ニッコリと日野へ微笑みかける。


「ザック先生!?」


 悪戯の犯人はアイザックだった。やり過ぎたと反省したのか、彼は申し訳無さそうに眉尻を下げて笑っている。


「日野さん、お久し振りです。ちょっと驚かせるだけのつもりだったのですが……怖がらせてしまってすみません」

「びっくりしました……まさか、こんな所で会うなんて。それに、その格好……あっ、そうだ!」


 ポンっと手を叩いて、日野は思い出したようにポケットに入れておいた巾着を取り出す。リボンの形に可愛く包装された飴玉をアイザックへ手渡した。


「どうぞ」

「あ……ありがとうございます」


 大きな手に乗せられた、小さな飴玉を見て、私には似合いませんね……と、アイザックが苦笑する。そして、日野しかいない部屋をキョロキョロと見回して首を傾げた。


「そう言えば、グレンやハルはどうしたんですか? アルもいないみたいですが」

「あ、今はみんなシャワーに……」


 日野がそう言いかけた時、シャワーブースがある方の部屋から、グレン達が戻って来た。下を向いて、濡れた頭をガシガシとタオルで拭きながら歩いてきたグレンが、顔を上げる。


「……は?」

「グレン、お久し振りです」


 アイザックがにこやかに挨拶をするが、突然の再会に頭が追い付かず、グレンは固まっていた。すると、アイザックに気付いたのか、グレンの後ろからハルがやってきた。


「あー! ザック先生ー!!」

「ハル! アルも元気にしてましたか?」


 嬉しそうな顔をして、駆け寄ってきたハルの両脇を抱えると、アイザックはハルを高く持ち上げて遊び始める。ネズミのアルも、ピョンピョンと跳ねながら一緒に遊びだした。


 一緒にお祭りに行こう! とハルがアイザックを誘う。

 突然の再会で一気に賑やかになった宿屋の一室。ハルの子供らしい無邪気な笑顔に、大人達もつられて微笑んだ。

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