第79話 南瓜の街
冷たくなってきた午後の風が頬を撫で、金木犀の甘い香りが鼻をくすぐる。日野達は、ようやく新しい街へと辿り着いた。山越えの疲れもあり、特に会話も無いまま足早に宿へと向かう。早くシャワーを浴びたい、三人共その一心だった。
「おかえりなさいませ。宿泊でよろしいですか?」
宿に入って受付へ向かうと、にこやかな女性に迎えられる。ふと、日野が辺りを見回すと、木で造られた温かな雰囲気の宿の中は、何故か南瓜でいっぱいだった。
顔のような形にくり抜かれたそれは、まるでハロウィンの飾り物のようで、天井からは蝙蝠の飾りが下がっている。
「宿泊でいい、取り敢えず一泊。三人部屋で頼む」
「かしこまりました。では、お名前の記入をお願いします……鍵はこちらをお使いください。どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
サラサラと宿帳に名前を書くグレンの隣で、日野が部屋の鍵を受け取った。手早く受付を済ませると、三人は宿屋の二階に上がっていく。部屋へ入り、荷物を置くと、日野はホッと息を吐いた。
今日は見張りをする必要も無く、みんなでゆっくり眠れそうだ。それと、明日すぐに街を発つ可能性もあるし、今日中にみんなの服の洗濯もしておかなければ……あと、晩ご飯は……どうするんだろう?
そう思って、屈んだままリュックの中を弄っているグレンへチラリと目を向ける。すると、日野の視線に気付いたのか、グレンが立ち上がった。
「持ってろ」
そう言って、グレンから小さな巾着が手渡される。何だろうかと中身を開けてみると、可愛らしい飴玉がいくつか入っていた。
「……これ、飴? 食べていいの?」
「いや、食べるのは……」
「ショウちゃん! お菓子ちょうだい!」
「え?」
「お菓子くれなきゃ、悪戯しちゃうぞ!」
グレンが説明をしようとしたのを遮って、ハルがそう言ってきた。もしかして、本当にハロウィン?
この世界に最初に来た日も、夏祭りの日も、何だか元いた世界と文化が似ているなとは思ったが、まさかイベント事も同じようなものなのだろうか……日野は、ニコニコと笑みを浮かべながら差し出されたハルの手に、飴玉を一つ手渡す。
ハルはパリパリと包装を取ると、飴玉をパクッと口に含み、美味しそうに転がした。
「まあ……そういう事だ。夜になるとお菓子を強請ってくる子供がいるから、渡してやらないと悪戯されるぞ」
「この時期のちょっとしたお祭りだよ。ボクの住んでた街でも毎年やってたんだ」
「そうなんだ……私が元いた世界でも、同じようなお祭りがあったよ。私は参加したこと無いからよく分からないんだけど、やっぱり仮装とかするのかな?」
「うん! みんな色んな仮装をして行くんだよ。それより、ショウちゃん参加するのは初めてなんだ……それなら、夜はお祭りに行こうよ! きっと楽しいよ!」
「それなら、祭りに行くついでに晩ご飯も外で済ませるか……ていうかその前に、シャワー浴びてこい。汗臭いままじゃ気分悪いだろ。俺とハルは後でいいから、先に行ってこいよ」
グレンにそう言われて、シャワーを浴びたくてしょうがなかったことを思い出す。日野はグレンの言葉に甘えて先に使わせてもらうことにした。
◆◆◆
温かいシャワーを浴びながら、日野は考えを巡らせる。思えば、最初にこの世界に来た時から不思議に感じてはいた。
同じような文化を持ち、自分をすんなりと受け入れてくれたこの世界……もしかすると、長い夢を見ているんじゃないか。いつか目が覚めて、現実に戻されてしまうんじゃないか。そう考えると、怖くなった。
戻りたくない……ずっと、この世界にいたい……温かいシャワーを浴びている筈なのに、全ての幸せを奪われてしまうような恐怖に体が震える。青い本の力で、何が起きてもおかしくない。突然、元の世界に戻される、そうなる事も覚悟しておかなければならない。
「お祭り……行ってみようかな」
後ろ向きな考え方しか出来ない自分に溜め息を吐きながら、日野はそう呟いた。汗や砂を落として全身を洗い終えると、辺りはふんわりと甘いシャンプー香りに包まれる。長い黒髪からしっかりと水気を落とすと、日野はシャワーブースを出た。
いつまで一緒にいられるのかも分からない。この先、自分の体がどう変化していくのかも分からない。でも、みんなで一緒にいられるこの時間を、大切にしよう。
「お待たせしました」
グレン達が待つ部屋の方へ戻ると、日野は濡れた髪を拭きながら、そう言って小さく微笑んだ。




