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第77話 おやすみ

 夜が明けるまでにはまだ少し早い山の中、次の街へと歩を進める刻達。それを、遠くから見つめる一人の男がいた。黒いフードを被った男は、夜の緩やかな風に、長い深紫色の髪を靡かせて、何やらブツブツと口を動かしている。


「ああ……あれが殺人鬼。全てを破壊する力。だけど、何故アイツは力を制御する? ……オレにも、あの力があれば……欲しい、欲しい、欲しい……どうすれば手に入る? どうすれば……」


 自身の爪を噛みながらそう呟いた男は、音を立てる事もなく、フッと夜の闇に消えていった。




「刻? どうかしたの?」


 突然、何かに反応したように振り返った刻に、ローズマリーが首を傾げる。眉間にシワを寄せ、キョロキョロと辺りを見回すその姿に、つられるようにローズマリーとルビーも辺りを見回すが、近くに誰かがいる気配はない。


「何でもない。気のせいだ」

「やっぱり疲れてるんじゃない? さっきも木にぶつかってたし……あ、それはローズマリーに見惚れてたからか〜!」

「見惚れてはいない、気になっていただけだ。それに、俺はまだ疲れていない。朝までには次の街に入る」

「はぁい」


 からかってみたが、刻はいつもと変わらなかった。あまり感情を出さない刻に、ルビーはつまらなさそうに返事をする。


 しかし、ふとローズマリーに目をやると、星明かりに照らされたその頬は、微かに赤くなっているように見えた。見惚れてはいなかった、けど気になってはいた。


 それだけで、ローズマリーはきっと嬉しいのだろう。刻の背中に向かって微笑むローズマリーを眺めながら、眠気を感じたルビーは大きく欠伸をした。すると、そんな様子に気が付いたのか、ローズマリーがルビーにニッコリと微笑みかける。


「ルビー、無理しちゃ駄目よ。昼間も大変だったんだから、そろそろ寝ましょう。街についたら起こしてあげるわ」

「ふぁい……」


 馬の背に乗ったまま、すやすやと寝息を立て始めたルビーに、トランクから取り出した毛布をかける。顔にかかった赤い髪をそっと払うと、おやすみなさいと声をかけた。


 眠ったルビーを起こさぬよう、ゆっくりと歩を進めながら、穏やかな時間が過ぎていく。だが、刻だけは、警戒するように辺りを気にしていた。




◆◆◆




 朝。すっかり日の登った山の中で、座ったまま眠っていた日野はウトウトと頭を下げていた。ガクンと突然体勢が崩れ、驚いて眠りかけていた意識が戻る。うーん……と気の抜けた声を上げて、下を向いたまま擦った瞼を開くと、パッと目が合った。すると、朝日に照らされた栗色の瞳が、フッと笑みを浮かべる。


「お目覚めか?」

「!? ……グ、グレン!! 何してるの!?」

「見りゃ分かるだろ、膝枕だ。夜のこと忘れたのか?」


 そう言うと、膝枕されたまま日野を見上げていたグレンは、大きな欠伸をして起き上がった。一体いつから起きていたのだろう。


 寝起きの悪いグレンの機嫌が良いということは、目が覚めたのはかなり前だろうか……そんな事を考えて気を紛らわせながら、夜の出来事を思い出して赤くなっていく頬を隠すように両手で押さえる。


 軽く唇が触れただけだったのに、男の人とキスをしたのは初めてではない筈なのに、胸の音がやけに煩く聞こえた。


「俺はゆっくり朝食の準備をする。まだ早いから、ハルも起きないだろう。出来たら起こしてやるから、お前も眠いなら暫く寝ておけよ」

「う、うん。ありがとう」


 何度も欠伸をしながら、まだ眠そうな顔をして、グレンはガサガサとリュックの中身を漁っている。近くで眠っているハルはまだ目を覚ます気配はない。


 一晩中見張りを続けていた日野は、流石に眠気を感じていた。昼間に動けなくなって迷惑をかけてしまうのも悪いし、少し眠らせてもらおう……そう思い、その場に横になった。


 少し眩しい朝の光を遮るために、目を隠すように手で覆う。すると、上からバサリと重たい布が落ちてきた。眩しかった朝日が遮られ、辺りが一気にグレンの匂いに包まれる。


 これは……グレンのコートだろうか? 落ちてきたそれをバッと除けると、グレンが上から覗き込むようにこちらを見ていた。


「眩しいだろ、被ってろ」

「でも、グレン……私に貸してる間に怪我でもしたらどうするの?」

「少しくらい平気だ。ほら、早く寝ろ」


 そう言われ、再び頭にグレンのコートが被せられる。グレンの匂いに包まれて、トクトクと胸の音が大きくなっていく。コートを被ったまま、日野が小さな声で、ありがとう、おやすみなさいと言うと、耳元でおやすみ、と返ってきた。


 布越しに伝わる低い声。ゾクゾクと感じる違和感と、愛しい人の匂いに包まれている幸福感に、これじゃあ眠れそうにないよ……と心の中で溜め息を吐きながら、日野はそっと目を閉じた。

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