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第75話 どこへもいかないよ

 ランプの中でチラチラと揺れる炎が辺りを照らす。空はすっかり暗くなっていた。アルバートと話をしていた間にも、こちらの時間は進んでいたようだ。


 目を覚ました日野は、後頭部にズッシリとした痛みを感じ、そこへ手を伸ばす。しかし、あれだけ強く叩きつけられたにも関わらず、傷は無かった。血も出ていない。そして、痛みもすぐに消えてしまった。


「グレン……」


 日野は、驚いたようにこちらを見るグレンに声をかける。ハルは近くの木にもたれて眠っているようだ。すると、グレンは眉間にシワを寄せて立ち上がった。日野の傍へ近付くと、その華奢な腕を掴み、胸元へ引き寄せる。ふわりと香るグレンの匂いが日野の鼻をくすぐった。


「痛むところはねぇのか?」

「大丈夫。ごめんなさい、私……」

「目を覚ましたら、お前がお前じゃなくなってるんじゃないかって、怖かった」

「え?」

「大切なものをまた失うんじゃないかって、俺も、ハルも……」


 ギュッと強く抱き締められた腕の中、耳に響くグレンの声は微かに震えていた。

 また……ということは、グレンも刻に家族を殺されたのだろうか……? ハルと同じように。


「……守ってやれなくて……ごめんな」


 絞り出すように、グレンはそう言った。


 しかし、それに違和感を感じた日野の胸がトクンと疼く。グレンの言葉が、自分に対して言ったものではないように思えたからだ。その先に誰か別の人を見ているようだった。


 グレンが日野を抱き締める力が徐々に強くなる。すると、擦れる布や暖かい体温が、日野の体にも違和感を与えた。この感覚は、一体何だろう……グッとグレンの胸を押し、少し体を離すと、栗色の瞳を見つめる。


「グレン、私は私のままだし、いなくなったりしない。どこへもいかないよ」


 日野がそう言うと、グレンはホッとしたように笑みを浮かべた。また心配をかけさせてしまった。今の言葉で、少しは不安が和らいだだろうか……そう思いながら見つめていると、グレンの顔がゆっくりと近付いてきた。


 突然のことに驚いて動けずにいると、柔らかい唇がそっと重なる。目を閉じ、受け入れた日野の体がピクリと揺れて、軽く触れ合った二人の唇はゆっくりと離れていった。ユラユラと辺りを照らすランプの炎、暗い空に瞬く星達、そんな夜の雰囲気も手伝って、日野は頬が熱を帯びていくのを感じていた。


 しかし、グレンが、自分ではなく他の誰かを見ているようで、心に薄いモヤがかかる。一体、誰を見ているの……? そう尋ねたい気持ちを抑えて、日野は自身の膝をポンポンと叩いた。


「もう私は大丈夫。何かあったらすぐに呼ぶから、グレンも少し休んで」

「ああ」


 いつになく優しい笑みを浮かべて、グレンは日野の膝に頭を置いて横になる。気を張って疲れが溜まっていたのだろう。すぐに寝息が聞こえてきた。膝の上で、安心したように眠るグレンの顔が、どこか幼く見える。


 何の理由も無しに、刻を追っている訳じゃない。きっと何かあったのだ。でも、それに私が触れて良いのかは分からない。グレンが自分から言い出さない限りは聞かないことにしよう……栗色の短い髪をサラサラと撫でながら、これ以上二人に悲しい思いをさせないように、早く何とかしなければと、日野は心の中で自分に言い聞かせた。


 起きたらハルにも謝らなければ……木にもたれて眠るハルに小さく微笑むと、日野は自身の両手に視線を移し、手のひらを見つめた。軽く握ったり開いたりしてみる。


 すると、やはり違和感があった。しかし、それが何なのかはよく分からない。不思議に思いながらも、日野は二人を起こすことなく、朝を迎えるまで見張りを続けた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とうとう憧子とグレンがキスを! でもグレンは憧子に誰かの影を見ているようで、両想いのはずなのにすれ違ってるというもやもやが。好きだからというよりも、安心したいからって感じがなんか切ないで…
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