第72話 迎えに来たぞ
昼食を食べてから数時間。空はすっかり赤く染まっている。時間が経つ毎に暗くなっていくルビーの表情に、日野は焦っていた。
刻の帰りを待たずにあの場を離れたことが間違いだったのかと自分達の判断に迷いが出る。しかし、戻って来るかどうかも分からないのに、あの場で留まっていても仕方がない。進むしか選択肢は考えつかなかった。
日野はルビーを元気付けなければと深呼吸をして、なるべく明るい顔になるように意識しながらルビーに話しかけようとした。
しかしその時、日野の頭に激痛が走った。脳みそをグラグラと揺さぶられるような痛みに顔を歪める。グッと低く響いた日野の呻き声に、隣にいたルビーや、前を歩くグレンとハルの視線が集まった。
「ショウコ? どうし……」
心配そうに見上げたルビーの目に映ったのは、刻と同じ金色の瞳をした日野だった。ニヤリと微笑んだその顔に、ルビーがゾクリと体を震わせる。
殺される……そう思った時、日野がルビーと繋いでいた手を勢いよく振り払った。その弾みで、小さな体が後ろによろめく。
「っ、はぁ……ルビーちゃん、早く私から離れて! 大丈夫、本が近くにある気配がする。刻が来たのよ……」
そう言って日野は、誰も傷付けないようにと近くにあった木に爪を突き立てた。しかし、長く鋭く変化した日野の爪は目の前の木に大きな風穴を開ける。不安定になった木はギシギシと音を立ててその場に折れ伏した。
自分自身の力の大きさに日野は驚き、だんだんと息が荒くなっていく。まさか、これ程の力があるなんて……しかし、誰も傷付ける訳にはいかない。
破壊することを楽しいと思ってしまう感情と、頭の中に雪崩れ込む大勢の叫び声を掻き消すように頭を左右に振るが、消えてくれない。ぐわんぐわんと痛む頭を両手で押さえていると、その隙をついてハルがルビーを引っ張り、日野から遠ざけた。
「ルビーちゃん、こっち!」
「あの馬鹿力……薬を使うしかないのか……」
子供達が日野から離れたのを確認し、グレンがそう呟いた。しかし、苦しむ日野の姿に薬を使うしかないと思う反面、残り少ないそれを今使ってしまって良いのかとも考えてしまう。
なんとかして元に戻せないのか……そうグレンが迷っていた時、遠くから馬の走る音が響いてきた。音のする方へ目をやると、真っ黒な馬に白髪の男が乗っている。
自分達が進んできた道を辿るようにこちらへどんどん近付いて来たその馬は、日野の前でピタリと止まった。
「刻……」
ハルが、黒い馬に乗って現れた白髪の男の名を呼び、その声が山の中に低く響く。スッと馬から降りた刻は、ゆっくりと日野へ近付いていった。
ローズマリーは気を失っているようで、馬に乗ったまま動かない。日野へと近付いていく刻の爪が鋭くなっていることに気付いたハルはハッとして声を上げた。
「ショウちゃんに触るな!」
ハルが大きくそう叫ぶと、日野に触れようとしていた刻の手が止まる。くるりとハルとグレンの方を向いて、その力を収めた。グレンは日野やハル達の様子に気を配りながらも、刻を見据える。
日野と同じ特殊な力を持ちながら、それを自由自在に操ることが出来る。一体刻はどうやってコントロールしているのか……。
なんだ? と言いたげな顔で黙ったままの刻に、グレンは問いかけた。
「お前、その力をどうやってコントロールしてる? 本に何か力を抑える方法が書いてあるのか? 体を元に戻す方法は?」
「一度にいくつも訊くな、鬱陶しい」
「うるせぇ、良いから答えろよ。方法はあるのか?」
「言った筈だ、普通の体に戻る方法は無い。なぜなら、この世界では破壊の限りを尽くすことこそが本来の姿だからだ。それに、力を抑える方法は本にも書かれていない。コントロール出来るかどうかは全てその女の気力次第」
「元の世界に戻る方法は?」
「それも無いな」
刻は溜め息を吐きながらそう言うと、まだ何か訊きたげなグレンから視線を外し、ルビーを見やる。ジッと黙ったまま動かないその小さな姿に声をかけた。
「ルビー、俺は待てと言った筈だ。何故動いた」
「お前がなかなか戻って来ないからだろ! お前なら熊くらい簡単に倒せた筈だ。こんな小さな子供置いて今までどこで何してやがった?」
ルビーより先に口を開いたグレンに、刻はムッとして再び視線を戻した。
「道に迷っていた」
「……は?」
「熊はすぐに殺した。だが問題はそのあとだ。止まれと言っているのにローズマリーが山の奥までデタラメに走って行ったせいで、帰り道が分からなくなった。ルビーの微かな匂いを辿って戻って来たが、そこにルビーは居なかった。それでもこうして迎えに来たんだ、何か問題があるか?」
「……じゃあ……置いてった訳じゃないの?」
そう言って、刻の言葉を聞いたルビーが恐る恐る顔を上げる。それと同時に、刻の少し後ろで頭を押さえて苦しんでいた日野がゆらりと体を動かした。その口元は、楽しそうに口角を上げている。
「何故置いて行く必要がある? 一緒にいると言ったのは貴様だろう。さっさとここから離れるぞ。それに今、この女に暴れられても迷惑だ」
ルビーの問いかけにそう答えると、刻の目の色が金色へと変わった。くるりと振り返り、背後から飛びかかって来た日野の顔を掴むと、そのまま思い切り地面に叩きつける。鈍い音を辺りに響かせて、後頭部を強打した日野は意識を失った。打ち付けた頭から地面に血が滲んでいく。
「ショウちゃん!?」
「安心しろ。俺と同じ力を持っているなら、この程度の怪我はすぐに治る。ルビー、行くぞ」
刻は敵意を剥き出しにしたハルへそう伝え、ルビーを呼ぶと馬を引いて歩き出した。グレンやハルの間を抜け、刻は山道を先へ進んでいく。しかし、ルビーはそれを追わなかった。
迷っているようにその場を動こうとしない。黄色いスカートをギュッと掴んだまま、ルビーは震える声で刻の背中へ尋ねた。
「刻! ついて行って良いの? 私、二人の邪魔じゃないの? 迷惑じゃないの? いらない子じゃ……」
「ルビー、行くぞ」
今にも泣き出しそうな幼い声を遮って振り返りもせずそう言った大きな後ろ姿に、ついて来いと言われているようで、ルビーの目から涙がボロボロとこぼれ落ちる。
宝石のようなその瞳から溢れる大粒の涙に赤い空の光が反射して輝いていた。ゴシゴシとその涙を手で拭うと、ルビーがくるりとグレン達の方へ体を向ける。
「ありがとう!」
一言お礼を言うと、そのままルビーは刻の後を追って走っていった。パタパタと隣に駆け寄って来たルビーを、刻が抱きかかえて馬に乗せる。真っ赤に染まった夕焼けに向かって、子連れの殺人鬼は進んでいった。
……信じられないが、本当にあの殺人鬼が女子供を連れている。傷付けることもなく、傍に置いている。遠ざかっていく後ろ姿に、一体なんの気まぐれなのだろうかと考えながら、グレンとハルは倒れた日野の方へと駆け寄った。




