第70話 動くな
刻とローズマリーが帰ってこない。一人ぼっちになったルビーをどうしようかと日野とグレンは悩んでいた。結局、ルビーに手を取ってもらえなかったハルは不満だと言うように少しいじけている。
「お前ずっとここで待つつもりなのか?」
「わかんない」
グレンの問いかけに、ルビーは顔を伏せてそう答えた。どうしたものかとグレンは小さく息を吐く。
正直、あの気まぐれな殺人鬼なら邪魔になった子供を置いていくことだってあり得るわけで、ここにいろと言ったまま迎えに来ないなんてことも考えられる。
しかし刻の傍にいたとはいえ、ルビーには何の罪もない。このまま放っておくのも気が引けた。刻を追う旅をしている自分達の傍にいれば、また会える確率は高い。
連れて行こうか……だが、もし捨てられていたとしたら、再び会って悲しい思いをさせることにはならないだろうか……グレンが頭を抱えていると、隣にいた日野がしゃがみ込み、そっとルビーの頭を撫でた。それに反応してピクリと体を揺らしたルビーが顔を上げる。
「この山は道を外れたら迷いそうだし、刻もルビーちゃんの場所が分からなくなってるのかも。きっと帰ってくると思うけど、ずっと一人で待っていても危ないから、一緒に行こう」
そう言って、日野はルビーに手を差し出した。ルビーは少し迷ったように日野の手を見つめていたが、諦めたように溜め息を吐くと、日野の手を取って立ち上がる。
しかし、少し俯いたままのルビーの表情がどこか悲しそうで日野は心配になっていた。きっと帰ってくる……思わず言ってしまったが、傷付けることになりはしないだろうか……。
いつもはハルと繋いでいる手を、今日はルビーと繋いで本来通る予定だった道へと引き返す。トボトボと歩くルビーを連れて、日野達は再び山を越えるため歩き出した。
「ルビー、ここにいろ。俺が戻るまで動くな」
刻からそう言われて、どのくらいの時間が経っただろうか。随分と待った気がするが、刻もローズマリーも帰ってこなかった。
このまま待とうとも思ったのだが、諦めた。今はショウコに手を引かれながら山道を歩いている。いつもなら繋いだ手から甘い香りがする筈なのに、今日はしない。
見上げると、栗色の柔らかい髪を揺らしてローズマリーが笑ってくれる筈なのに、今日は下手くそな笑みが返ってくる。
相変わらず笑うのが苦手なんだな、とショウコの顔をマジマジと見つめた。東の街で見た金色の瞳の姿とは別人のようだ。
真っ黒で長い髪……まだ捨てられる前に、同じ屋敷で暮らしていた母親と同じだった。
私を捨てた、母親と同じ……しかしショウコは、医者の街で出会った時から表情が少なく不器用なだけで、根が優しいのは何となくわかって、そのせいなのか不思議とショウコに対して嫌悪感は無い。しかし、その長い黒髪を見ていると思い出してしまう。
自分を捨てた両親のことを。捨てられたあの日のことを……。
「お前はここにいろ、俺達が来るまでそこを動くな」
「大丈夫、ちゃんと迎えに来るから」
そう言われて、私は五年前に街の路地裏に置いて行かれた。誰も掃除なんかしない汚くて暗い路地裏。捨てられたんだってすぐにわかった。
ボロボロの服、体中についたアザ。ニッコリと微笑んだ両親が二度と迎えに来ることがないのは明白だった。医者の家系に生まれた私は、女だと跡継ぎになれないという事と、目と髪が赤いという理由で家族から忌み嫌われていた。
赤い髪や目は珍しいモノじゃない。しかし、この世界における大きな医者の一族というのは血と同じ赤色を持って生まれた子供を嫌う。それに、両親共に赤髪ではないのに何故赤い髪の子供が生まれたのかと母親は疑われていた。
そのせいもあって、この世界に生まれた日から、まともな生活を送ったことは無かった。
何故、両親が私を殺さずに生かしたのかは分からないが、屋敷から出してはもらえず、何もない部屋に閉じ込められ、両親の機嫌が悪い日は殴られることもあった。
日に二度、家政婦が持ってくる少ない食事だけが楽しみで、いつも鉄格子で固められた窓の外を見てはここから逃げ出したいと思っていた。
そしてそんな生活を続けていたある日、母親のお腹の中に弟が出来た。男の子だと分かった日には一族は大喜び。
そして弟は、赤ではなく母親と同じ黒髪で生まれた。その日のうちに、私は路地裏に連れて行かれ、同時にここから逃げ出したいという願いも叶った。それからは生きる為だけに必死だった。
虫だって犬だって食べた。店先の食べ物を盗んだりもした。でも、だんだんと思うようになったんだ。生きていて何になるんだろうって。数年後に街中で見かけた弟は両親と手を繋ぎ楽しそうに歩いていた。あいつは愛情をたっぷりと注がれて幸せに暮らしているのに……私はどうして……。
そんな時、青い本が突然空から降って来た。そこには生まれ変わる方法が記されてあり、その方法は本を持ったまま金色の目をした殺人鬼に殺されること。
刻やショウコのような存在に……殺されること。でも、刻は殺してくれなかった。それどころか、刻とローズマリーは……私と手を繋いでくれた。そして今は、ショウコと手を繋いでいる。
「ルビー、ここにいろ。俺が戻るまで動くな」
刻の言葉が再び頭を過ぎる。自分を捨てた父親と同じ言葉。ここにいろ、その一言がどうしても怖かった。父親とは違う……信じたかった。
でも、待っても待っても二人は帰って来なかった。信じたかったのに……信じたかったのに……信じられなかった。諦めて、ショウコ達について来てしまった。
忘れたかった昔のことまで思い出してしまったと、ルビーは眉を寄せて、ジッと涙を堪えながら歩いていく。
すると、突然目の前の色が緑でいっぱいになった。驚いてビクリと体を揺らし立ち止まると、ハルの大きな目がジッと見つめてくる。日の光に反射してキラキラと輝くその緑色の瞳がとても綺麗に思えた。
突然の出来事に口をあんぐりと開けたまま固まっていると、ハルが心配そうな顔をして首を傾げる。
「ルビーちゃん、ボーッとしてたら危ないよ。大丈夫? どこか痛いところでもあるの?」
「う……べ、別に何もないけど」
「そっかそっか、良かった。呼びかけても返事しないし、泣きそうな顔してたからアルもショウちゃんも心配してたよ」
そう言ってニッコリと笑うハルの肩の上で、アルが心配してたよと言いたそうにウンウンと頷いている。ネズミにしては丸々としたその姿に、思わずルビーの腹の虫が鳴いた。
「……美味しそう」
ジュルリとよだれが出そうになるのを堪えながらアルを見つめてルビーが小さな声でそう言うと、ハルとアルが顔を引きつらせる。
その表情があまりに似ていて、笑ってしまった。人間とネズミの筈なのに、まるで兄弟みたいだ。クスクスと笑っていると、少し先を歩いていたグレンの声が山の中に響く。
「おい、腹減った。飯にするぞ」
「ボクもお腹空いちゃった、お昼は何食べるの〜?」
そう言って、目の前にあった緑色が遠ざかっていく。パタパタとグレンの方へ駆けて行く後ろ姿をジッと眺めていると、繋いでいた手をショウコにそっと引かれた。
「行こう、ルビーちゃん」
声のした方を見上げると、ショウコがぎこちない笑みを浮かべている。ルビーは何も言わずコクリと頷くと、小さな手を引かれながら、早く早くと急かすグレンとハルの元へ歩いて行った。
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