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第67話 化け物

 化け物……気にしないようにしていても、日野は先程出会った男が言ったその言葉を忘れられずにいた。地面に点々と落ちる赤い足跡を辿りながら、日野はまたぐるぐると考え込んでいる。


 自分に対して言われた言葉ではなくとも、刻と同じ力を持っているということもあり、ただただ胸が痛む。ふと、自分と同じ苦しみを刻もずっと味わってきたのだろうかと思ったその時、隣にいたハルが突然声を上げた。


「わあ! グレン、ショウちゃん、見て! 大きな川だね〜! 魚もいるかな? 晩ごはん用に捕まえていく?」

「まあ食料は多めにあった方がいいが、今は少しでも先に進まなきゃ……って、ハル!」


 グレンの言葉を聞く前に、日野と繋いでいた手をパッと離して、ハルは川がよく見えるところまで駆け出して行った。すると、少し走ったところでその足がピタリと立ち止まる。


 くるりと振り返りこちらを向いたハルの顔は怒りを纏っていた。まさか先程出会った男が言っていた七人の遺体があったのかと思い、グレンの後に続き足早にハルの方へと向かって行くと、微かにしか漂っていなかった血の匂いがそこへ近付くにつれてどんどん濃くなっていく。


 やはり嗅覚が鋭くなっている……自身の体の変化を確かめるように日野がスゥッと鼻でその匂いを吸い込むと、こめかみに鈍い痛みが走った。日野は突然の痛みに顔を歪め、頭に手を当てる。


 まただ、また……青い本が近くにある訳ではないのに、身体が反応している……?


「まさか私……本じゃなくて血の匂いに反応し、て……る、の?」

「ショウちゃん?! 大丈夫?」

「うん……大丈…………っく、フフ」


 日野の異変に気付いたハルの声に、大丈夫、そう答えようとした筈の日野が愉しげに笑い出した。


 焦茶色の瞳がゆらゆらと金色に変わろうとしている。爪も長く鋭くなっていき、苦しみ始めてから身体に変化が訪れるまでの時間が今までより明らかに短い。ズキズキと痛む頭、その中に流れ込んでくる誰かの叫び声。


 ゆっくりと身体を支配していくその負のエネルギーと、それとは反対に血の匂いを心地良く感じ高鳴る胸。日野の瞳は戸惑うように二つの色の間を彷徨っていた。


 どうやって……こんなの一体どうやって抑えればいいのか。まだ自分の意思はある。何とかしなければ……日野がそう思った時、背後に回り込んだグレンが日野の体を押さえ、少しでも血の匂いを感じないようにその鼻と口を手で覆った。


 そのまま後ろからキュッと抱き締められ、日野の周りがグレンの匂いに包まれる。すると、長く鋭く変化し始めていた爪がフッと元の長さに戻った。


「血の匂いも駄目なのか……厄介だな」


 そう言ってグレンは日野の鼻と口を手で覆ったまま、その華奢な体をズルズルと引きずっていく。


 日野が苦しそうにグレンの手を離そうともがくが、幸い完全に変化した訳ではなかったため、日野自身の力も普段よりは強いがグレンが軽く押さえられる程度のものだった。


 墓を作ってやるのは無理そうだな……遠ざかっていく七人の遺体を見つめながら心の中でそう呟くと、グレンはハルの肩に乗って尻尾を揺らしていたアルに視線を移す。


「アル、血の匂いが薄くなったら教えろ。それまでこいつの鼻と口は塞いでおく。行くぞ」


 ジッと見つめてきたグレンに向けて、了解! というように片手を額に当ててポーズを取ったアルにフッと笑うと、グレンは日野を引きずって更に森の奥へと入っていった。


 この奥に行けば山道が広がっている。完全に変わってしまう前に、日野を遺体から離さなければ。パタパタと苦しそうにもがく日野を引きずって暫く歩くと、アルがチチチと鳴いた。


「グレン、アルがもう大丈夫だよって」

「おう」

「っは、ハァ、ハァ……ハァ……グ、グレン……ありがとう。でも……息止まるかと、思った」

「仕方ねぇだろ、これ以外に咄嗟に思い付かなかったんだ」


 ハルとアルの合図でパッと解放された日野が膝に手をつき肩で息をしながらグレンにそう言うと、そこへパタパタとハルが駆け寄ってきた。膝についている日野の爪をジッと見つめた後、顔を上げたハルの大きな瞳が日野の瞳を覗き込む。


 上目遣いで真っ直ぐに見つめてくるその姿に、どうしたらいいものかと困っていると、ハルがニッコリと微笑んだ。


「異常なし! ショウちゃん、もう大丈夫だよ」

「ハル……ありがとう。それにアルも、助けてくれてありがとう」


 お礼を言われ、照れ臭そうに頭を掻く仕草をするハルとアル。先程の怒りをあらわにした姿とは別人のような無邪気な笑顔にホッとする。


 しかし今回は遺体から離れた事で回避できたものの、グレンの言う通り青い本以外にも反応して力が暴走しようとするのは厄介だった。薬は残り三本しかない。


 考えて使わなければと日野がキュッと拳に力を込めると、フーッと息を吐いてグレンが口を開いた。


「この山を刻も越えていった。あの黒い馬がいたとしても女子供を連れてるなら少しは動きが遅くなる筈だ。俺達も早く次の街まで進むぞ」

「うん、そうだね」

「しゅっぱーつ!」


 ハルの元気な声が辺りに響く。それから、空が紅く染まるまで、日野達は山道を進んで行った。

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