第66話 血の匂い
涼しい風がそよそよと通り過ぎるのを頬に感じながら日野達は歩いていた。
以前より少し気温が下がり快適になった森の中。日野はいつものように大きめのリュックを背負ってハルと手を繋ぎ、先を歩くグレンの後をついて行く。
すると、ふとどこからか微かに血のような匂いがした。緩やかな風に乗って漂う鉄に似た匂いが鼻をくすぐる。日毎に体の感覚が鋭くなっているのか、今まで気にならなかった匂いにまで気がつくようになり、それが何の匂いなのかも分かるようになってきている気がした。
体の変化に戸惑いつつも一体どこから漂っているのかと辺りを見回していると、隣を歩いていたハルが日野を見上げる。
「ショウちゃん、どうしたの? 何かあった?」
「うん……微かにだけど、どこからか血みたいな匂いがして……」
そう言ってスゥッと鼻から空気を吸い込んでみるが、血の匂いは微かなもので場所までは特定出来そうにない。
すると、前を歩いていたグレンが立ち止まり振り返る。後ろを歩いていた日野とハルが追いつくと、グレンは二人に歩幅を合わせるようにゆっくりとまた歩き出した。
「血は刻の足跡みたいなもんだ。他の奴がやったか、誰かが怪我をしただけの可能性もあるが、追ってみる価値はある。匂いがしたのはどっちか分かるか?」
「ううん……場所や方向までは分からない」
「アル、何か匂う?」
日野が首を横に振ったのを見て、ハルは肩の上に乗っているネズミのアルにそう問いかけた。確かに、人間より動物の方が鼻が効くだろう。三人の視線が集まる中、アルはくんくんと鼻を動かすと、ハルの肩を蹴り勢いよく走り出した。
三人はパチリと目を合わせると、アルの後を追って走っていく。この先に刻がいるのか……期待と不安を抱きながらアルについていくと、そこには森の奥まで点々と続く血痕があった。
どうやら血痕の主は森の奥からこちらへ向かって来たようで、日野達が止まった場所の近くの茂みで赤い足跡は途切れている。そこで、アルがチチチと鳴き声を上げていた。
眉を寄せたグレンが茂みへと近付き、辺りを確認する。そこには男が一人倒れていた。腕に擦り傷、頭には殴られたような傷があり血が固まっている。しかし、引き裂かれたような痕は無い。
「死んでるのか?」
グレンが男の首筋に手を軽く当てて生死の確認を行おうとすると、フッと男の目が開き二人の視線がパチリとぶつかった。すると男は驚いた顔で急に起き上がる。グレンを指差すと、大きな声を上げた。
「さ、ささ殺人鬼!」
「違ぇよ……一体何があった?」
ガタガタと震える男にそう尋ねると、男は三人の姿をまじまじと見つめてホッとしたように息を吐く。
どうやら殺人鬼でないことは分かってもらえたようだ。震える男が荒げた息を整えるのを待った後、男から事の次第を聞き出すことが出来た。
日野達がまだ湖の街に滞在していた頃、男は薬草を取りに山へと出かけたらしい。その帰り道、森の中にも生えている薬草を取りながら湖の街の方へ向かって歩いていた。
すると男は突然、武器を持った男達に襲われる。七人はいたと言い、腕と頭の傷はその男達に襲われ逃げた時のものだと言った。
「逃げる途中で赤い髪の子供にぶつかって、その両親に助けを求めたんだ。でも、助けを求めた父親の方が本物の殺人鬼で……俺を追ってきた男達を皆殺しにしちまった!! 体がバラバラにされて、首も吹っ飛んで……あんなの人間じゃない……化け物のやることだよ……」
「そいつ、白髪金目だったか?」
「ああ、そうだよ! 君も知ってるのか!?」
「一応な。とにかく、あんたは怪我してんだろ? 意識が戻ったならすぐに街へ帰りな。立てるか?」
そう言ってグレンは手を伸ばすと、男の手をグッと引いて立たせた。頭や腕から流れていたであろう血も固まっているし、そこまで心配する必要も無さそうだ。
男はペコペコと三人に頭を下げると、湖の街の方へと歩いて行く。すると、遠ざかっていく男の背中を見つめながら日野がポツリと呟いた。
「化け物、か……」
眉を下げ、悲しそうに小さな笑みを浮かべる日野の頭に、近付いてきたグレンの手がぽんっと置かれる。日野が顔を上げると、グレンは目を細めた。
「そうならないように、本が必要なんだろ。何か力を抑える手掛かりが書いてあるかもしれないんだ。本を奪うか、刻から聞き出すか、どちらにせよ俺達はこの血を辿って行かなきゃいけない」
「大丈夫、今度はちゃんとボクらが守るから」
大きな手が日野の頭をクシャクシャと撫で、小さな手が日野の手をキュッと握る。それだけで心強い。
もう誰も傷付けないように、自分自身で力を抑える方法を必ず見つけ出す。そしてグレンとハルの、刻の破壊を止めるという目的を手助けするために、強くならなければ……。
日野はハルの手をキュッと握り返し、二人にありがとうと言って、ふわりと微笑んだ。




