第65話 好きな匂い
ルビーが見つけた大きな川、そこを流れるひんやりと冷たい水で刻が血を洗い流す。着ていた上着とシャツを脱いでバシャバシャと水に浸けると、赤いシミは徐々に川の中に溶けて流れていった。
引き締まった腕でたっぷりと含んだ水を力一杯絞り出すと、近くにあった岩の上にバサリと放り投げる。暫く干しておけばそのうち乾くだろう。風に飛ばされぬように干した服の上に手頃な石を置くと、刻は髪についた返り血にも水をかけてガシガシと落とした。
一通り洗い終え、フウッと息を吐いて濡れた白髪をかきあげた時にふと視線を感じ、チラリと目を向けると、ローズマリーが両手で持っているタオルと刻の替えのシャツで顔を隠しながらこちらを見て固まっていた。
その姿に、一体何をしているのかと刻は首を傾げる。ジャリジャリと小石のぶつかる足音を立てながら近付き、ローズマリーの手に触れぬようにタオルとシャツを取ると、隠れていたその頬は真っ赤に染まっていた。
頬を染めるような事を何かしたか? と、その様子に首を傾げながらも濡れた体を拭いて綺麗に洗濯されたそのシャツに着替えると、ふんわりと甘い香りが鼻をくすぐる。刻が袖を鼻に近付けてくんくんとその香りを嗅いでいると、ローズマリーは困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい。綺麗にしていたつもりだったのだけど、変な香りでもしたかしら?」
「問題無い。ローズマリーの匂いがするだけだ」
そう言って袖の香りを嗅ぎながら、刻は水遊びをしているルビーの元へと歩いていく。裸足になってバシャバシャと水を蹴りながら遊ぶルビーに近付くと、ふと顔を上げたルビーは刻とローズマリーを交互に見ながら首を傾げた。
「ねぇ、刻。ローズマリーに何かした?」
「何もしていない。何故だ」
「あれ……」
そう言って指を差し、心配そうに見つめるルビーの視線の先には、顔を赤らめ胸と頭に手を当てて、悶絶しているローズマリーがいた。
「じきに元に戻る、放っておけ。服が乾いたら出発する、それまでは好きに遊べばいい」
それだけ言うと、刻は傍にいた馬のバッグから青い本を取り出して近くの岩に座った。そのままパラパラとページをめくりながら本を読み始める。その姿を見つめて、ルビーは考え込むように顎に手を当てた。ローズマリーが刻を好きだということは見れば分かるが、刻はどう思っているのだろうか……。
「好きだったらいいな」
そうポツリと呟いたルビーの言葉は、ヒュウッと吹き抜けた風にかき消された。赤みがかった髪が風に揺れる。ルビーは楽しそうにニッコリと笑うと、ローズマリーの元へと駆けて行った。
◆◆◆
それからどのくらいの時間が経っただろうか。元気に水遊びをしていたルビーはすっかり眠ってしまっていた。
刻は荷物を回収すると、ローズマリーに馬に乗るように伝え、ルビーを背負うと手綱を引いて歩き出す。暫く歩いていると、ルビーの水遊びに付き合って疲れてしまったのか、ローズマリーも馬の背ですやすやと寝息を立てていた。
静かな森の中をゆっくりと歩いて行く。この先は山を越える必要があるが、特別高い山ではない。しかし、歩いて越えるには多少時間もかかるだろう。何事も無く通れると良いが……。
男達に絡まれた時に見たローズマリーの怯えた表情が頭に浮かび、刻は小さく息を吐いた。人を殺すばかりのこの両手で、誰かを守ろうなど出来る筈がない。行手を塞ぐ邪魔な者を殺すだけ。青い本から与えられた力をコントロールし、生きていく。ただそれだけ……それだけの筈だった。
「……散々人を殺してきたこの俺が、女一人に触れることすら出来ないとはな」
そう言ってフッと笑いながら、山道を進み続ける。血に塗れた殺人鬼についてくると言うおかしな女達を起こさないようにゆっくりと手綱を引きながら、刻は次の街へと向かっていった。




