第64話 金色の瞳
日野達が湖の街に滞在していた頃。暑い夏も終わりが近付き、少し涼しくなってきた森の中を刻とローズマリーは歩いていた。一緒に刻の黒い馬もついてきているが、ローズマリーの荷物などを運んでもらっている為、現在は徒歩で進んでいる。
この先は山越えになってしまう為、店を持っているローズマリーにはルビーを連れて帰るように伝えたのだが、どうしてもついていきたいと折れなかった。仕方ないと諦めて同行を許したのは良いが、やはり女が旅をするにはそれなりに体力も必要であり、本当について来れるのかと心配ではあった。
今までは自分一人だった為、特に旅支度などせずとも日々を過ごしていけたが、女には何か必要な物はあるのか? そんな事を考えながら、バタバタと前を走るルビーを見つめて微笑んでいるローズマリーへ刻は視線を向ける。
ふわふわと揺れる栗色の髪の動きに合わせて見え隠れするその横顔をジッと眺めていると、遠くからルビーの呼ぶ声が聞こえてきた。
「刻〜! ローズマリー! 見て! 川! 大きな! 川!」
そう言って指差している先には少し遠くだが確かに大きな川が流れていた。初めて見るものが多いのだろう。ルビーは何を見ても目を輝かせる。
殺してくれと言っていた時と比べるとまるで正反対のようだが、これが本来のルビーの性格なのだろう。明るいところはローズマリーに良く似ていて良いとは思うが、もう少し落ち着いてもらいたいと刻は溜め息を吐いた。
「煩い、ただの川だろう」
「違うよ! 大きな川!」
「あら本当、凄いわね。ルビーは川を見るのは初めて?」
「うん!」
大きく頷きニカっと笑うルビーにローズマリーも笑い返すと、二人でキャッキャと話し始めた。普段一人でいる時は馬と一緒に街から街へと黙って移動をするだけなのだが、女二人を連れて来たことでここまで騒がしくなるとは思っていなかった。
同行を許してしまった事への後悔を抱きつつも、刻はローズマリーと共にルビーの後を追う。すると、先を走るルビーが森の横道から突然飛び出してきた男とぶつかった。体のバランスを崩したルビーは両手を後ろに付いて倒れる。
そして、ルビーに躓いた男も地面に皮膚を擦りつけて転んでしまった。腕に滲む真新しい血の香りに、刻の身体がゾクリと反応し、自らの破壊衝動を抑えるように深く呼吸する。
男は頭も怪我をしているようで、傷口を押さえながら震えていた。そんな男とその近くに倒れたルビーにローズマリーがパタパタと駆け寄っていく。
「ルビー! 大丈夫!?」
「うん。平気」
「良かった……ごめんなさい、私達周りを良く見てなくて……って、あなた酷い怪我じゃない。誰かから襲われたの?」
「あんた、大丈夫?」
上体を起こした後もガタガタと震えの止まらない男にローズマリーとルビーが心配そうに声をかける。すると男は飛び出してきた森の横道の方へ視線を向けて、顔を青くした。ズルズルと座り込んだまま後ずさる。
「た、助けて……助けてください! 殺人鬼に殺される!!」
そう叫んだ男の言葉にローズマリーとルビーが首を傾げた。ルビーは歩きながら追いついてきた刻の方を見やると、更に首を傾げる。
「こっちだよ?」
森の横道を見ながら怯え続ける男に、ルビーは指を差して刻を見るように促すが、男は違うと言って首を振った。
「違うよ! 七人はいた! 森の中で薬草を採っていたところを急に襲われたんだ!! 早く、早く逃げなくちゃ!」
「逃げられないぜ? 俺達からは」
被さるように聞こえてきた声に男が震え上がる。下品な笑みを浮かべながら近付いて来たのは、バットや鉈を持った男達だった。刻はローズマリーとルビーに近寄ると、持っていた手綱をローズマリーへ手渡す。いつもならこんな面倒なことは無視をするのだが、二人を連れた状態で絡まれても迷惑だ。さっさと殺しておくに限る。
「ローズマリー、ルビーを連れて下がっていろ」
刻がそう言うと、二人は手綱を引いてサッと刻の後ろへと下がった。怯えている男も慌てて後ろへと隠れる。すると、ゾロゾロとやってきた男達が各々の武器を構えて威勢のいい声を上げ始め、下品な笑い声が森の中に響いた。
「女子供を庇って、かっこいいね兄ちゃん。一人でやり合うつもりか?」
「何か問題があるか?」
「俺達、ここいらで噂の殺人鬼だぜ? 街ごとぶっ潰せる力を持ってんの。逃げるなら今のうちだぞ。ああ、持ってる金とそこにいる女は置いていけよ、兄ちゃんの代わりにちゃんと味わってやるからよ」
そう言って舐めるように見つめてくる男達の視線と笑い声に、ローズマリーが顔を引きつらせる。恐怖で呼吸が荒くなり、その場にしゃがみ込むと、震え始めた体をギュッと押さえた。ルビーが心配そうに傍に寄るが、その震えは止まらない。そんなローズマリーの様子を横目で見やると、刻は小さく息を吐いた。
そうだった、女を連れていたらこういうことも起こるのか……だが、この世界も平穏な訳ではない。森にいようが街にいようが変わらない。危険に晒してしまうのは仕方がない部分もあるが、行く先々でこんな面倒に巻き込まれるとなると、ローズマリーは俺との旅に耐えられるだろうか……騒がしい男達の声を無視しながらそんなことを考えていると、真ん中のリーダーらしき男が怒鳴り声を上げた。
「無視してんじゃねぇよ兄ちゃん! 命が惜しくねぇのか!?」
「俺は貴様ら如きに殺されはしない」
「なんだと!? 生意気言いやがって。殺人鬼の噂を聞いたことが無いのか? 俺達の瞳が金色に変わったら、お前ら全員あの世行きだ!」
「ほう。金色の瞳か……それは、こんな色か?」
刻がそう答えた瞬間、男達の目が見開いた。真っ暗だった刻の瞳の色が鮮やかな金色に変わっていく。爪は長く鋭く変化し、突然、真ん中に立っていたリーダーらしき男の首が撥ねた。
頭部がゴロリと地面に転がったかと思うと、残った体からは真っ赤な鮮血が吹き出し、それを辺りに飛び散らせながらビクビクと地面に転がった。漂う血の匂いに我を失いそうになる。刻は目を閉じてスゥッと口から息を吸うと、目の前にいる男達を睨み付けた。
「ほ、本物だ……」
「やべぇよ、逃げろ! 殺されるぞ!」
そう口々に叫びながら逃げていく男達を刻が次々と引き裂いていく。森の中に響き渡る叫び声はすぐに聞こえなくなり、そこには七つの死体が転がった。
真っ白な髪とシャツが返り血を浴びて赤に染まる。震えながらその姿を見ていた男は、声を荒げた。
「何だよあいつ、あいつが本物……酷い……人間じゃないよあんなの。化け物だ!」
そう言って、男はヨロヨロと立ち上がり森の中を逃げていった。化け物、その言葉にムッと頬を膨らませたルビーが男の後を追おうとするが、その手をローズマリーが掴む。掴んできた手がまだ微かに震えていることに気付き、ルビーは追う事をやめた。ローズマリーの方へ振り向くと、不満を漏らす。
「あいつ、助けてもらったくせに!」
「いいのよ、ルビー。そういうものなの。私達は正しいことをした訳ではないのよ……何が正しいのかは、分からないけれど」
それでも、刻の傍にいたいと思う。切なそうに笑うローズマリーにルビーが首を傾げていると、ガサガサと足音を立てて血塗れの刻が帰ってきた。瞳の色は、星のない夜空のような暗い色に戻っている。
「川へ行くぞ」
「遊びに?!」
「貴様は一人で遊んでおけ」
「血を流さないとね。行きましょうか」
ポタリ、ポタリと落ちる血液の跡を残しながら歩く刻の後ろをついて行く。初めて会った時も、こうして後ろをついて行った。たとえ化け物と呼ばれようと、ずっと刻を愛している。好きになってもらえなくても、恋人になれなくても、彼の傍にいたい。
風に揺れる白髪を愛しそうに見つめながら、ローズマリーは手綱を引いて二人と共にルビーが見つけた大きな川へと向かって行った。




