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第62話 もう少しこのままで……

 日野が目を覚ます少し前、パタンと静かに閉じた扉の音にグレンは閉じていた瞼を開けた。ハルがアルと一緒に部屋を出て行った。


 心配ではあるが、日野を一人で部屋に寝かせたまま探しに行くわけにもいかなかった。思い詰めたような顔をしていたが、放っておいてもすぐに戻って来るだろう……そう思っていたのだが、一向にその気配がない。


 やはり探しに行くべきかとグレンが迷っていると、不意に日野がベッドから起き上がった気配がした。


「……ハル?」


 不安げにそう呟いた声が聞こえたかと思うと、日野は慌てたように部屋を出て行った。どいつもこいつも、何も言わず好き勝手に出て行きやがって……グレンはベッドに横になったまま深いため息を吐くと、ゆっくりと起き上がりコートを羽織る。


 部屋の時計を見やると時刻は既に夜の十二時を過ぎていた。欠伸をしながら借りているホテルの部屋を出て、日野を追う為に地上へと繋がる螺旋階段を登っていく。


 ガラスの壁の向こうに広がっている七色の柔らかな光に照らされた湖を眺めながら、確かにここはデートには最適だなと一人呟いた。すると、階段を登る途中で日野とハルの話し声が聞こえ、立ち止まる。少し様子を伺ってから出て行こうとしたが、タイミングを失ってしまい、今に至るのであった。


 ガラスの壁に背を預けて暫く二人の話を聞いていると、ふいに会話がピタリと止まった。独り言のような日野の声が聞こえてくる。


「力をコントロールする方法は、きっと何かある筈。残りを使い切る前に、何とかしなきゃ」


 自分に言い聞かせるようにそう呟かれた言葉を聞いてグレンは小さく息を吐くと、螺旋状の階段を登り、日野の前に姿を見せた。


「無理はするんじゃないぞ。頼る時は頼れ。俺にも、ハルにもな」

「……グレン!?」

「出て行くなら声くらいかけろ」


 すやすやと寝息を立てているハルを抱き抱えると、日野の隣に腰を下ろす。普段はマセガキだが、こうやって眠っている顔を見ると年相応の少年である。


 一人で刻を追うなんて馬鹿なことを考える前に、もう少し気にかけてやるべきだったとグレンが眉間に皺を寄せると、隣に座る日野がそっとハルの顔にかかる髪を払った。


「色んなことが起きて、ハルも疲れちゃったよね……グレン、ごめんなさい。ハルがいなくて慌てちゃって、声をかければ良かった」

「戻ってきたなら大丈夫だ。そのままいなくなったら追いかけてブン殴ってたところだ」


 ムッとした顔になったグレンに、日野がクスリと笑う。相変わらず表情はほとんど変わらないが、よく見ていると最初に会った時と比べて本当によく笑うようになった。そんな些細な変化を嬉しく思っていると、日野が何か悪いことでもしたかのように眉を下げる。


「それと、私が暴れそうになった時に支えてくれてありがとう。今はもう、大丈夫」


 そう言って見つめてきた日野から目が離せない。この幻想的な空間の力も加わってか、いつもの申し訳なさそうに謝る姿が何だか可愛く見えてくる……グレンは赤くなった顔を隠すように手で覆うと、甘い雰囲気に酔ってしまわないように日野から目を逸らした。


「まあ、お陰でこの街に滞在する理由が出来たんだ。湖の中も見られて結果的には良かったじゃないか。刻があの女と子供を連れていたのには少し驚いたが……」

「そういえば、あの女の人、青い本を抱えてた。確かどこかで会ったような……」

「情報屋だ。お前が羨ましそうに見てた女っぽい店があっただろ。俺が近くにいない時は、あの女に近づくなって言ったことがあったのを忘れたのか?」

「あ、そっか……あの人」


 生活や体に大きな変化が続き、すっかり忘れていたのだろう。日野は情報屋の女の姿を思い出すように湖の上の方を見上げている。


 あの赤と白の甘ったるい店内。刻の傍にいたのは、その店にいた情報屋の女で間違いない。あの女は青い本の情報は無いかと聞いてきた。情報を持ってきたら報酬を弾むとも言っていた。


 全て刻の指示だったのか? それに、何故あのルビーと名乗った子供を殺さなかった? わざわざ連れて歩く必要があるのか? 様々な考えが頭の中をぐるぐると駆け巡るが、答えは出ない。


 本人に直接聞くしかないか……。


 腕の中ですやすやと眠るハルの髪を撫でながら、グレンは溜め息を吐いた。


「でも、あの子が生きていて良かった」

「そうだな」


 そう言って笑い合う、二人の静かな時間。もう少しこのままで……この湖を一緒に見ていたい。グレンはフッと笑みを浮かべると、日野の肩をそっと抱き寄せた。




 数分後、ぐっすりと眠ってしまった日野とハルを抱えて、ブツブツと文句を言いながらホテルの部屋に戻ったグレンを、ネズミのアルが必死に慰めていたのは男同士の秘密にした。

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