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第60話 ルビーちゃん

 グレンとハルが駆け寄ってくる。その姿に、日野はまた二人を傷付けてしまうのではないかと怖くなった。


 しかし、今は頭痛もしない、爪も長くない、二人の反応を見る限り目の色もおそらく今は金色ではない。大丈夫、きっと大丈夫……心配そうに顔を覗き込んできた二人に、日野はぎこちない笑顔を作り小さな声で伝えた。


「大丈夫」


 怪訝そうな二人の顔に胸がチクリと痛んだが、余計な心配をかけさせない為にはそう言うしかなかった。


 何かあれば薬を打てばいい……大丈夫だ……心の中でそう自分に言い聞かせる。しかし、先程のあの状況で完全に我を失っていたら果たして薬を打てただろうか? ぐるぐると頭の中を不安が駆け巡る。すると、グレンにグイッと腕を持ち上げられ立たされた。


「とにかく、ここを離れるぞ」


 そう言って差し出されたグレンの大きな手。触れる事を躊躇っていると、その手をギュッと握られる。少し力のこもったその大きな手に引かれながら、日野は小さな湖が点在する森の中を再び歩き出した。




◆◆◆




 刻々と変わる空の色。あれから歩き続け、既に茜色に染まった空を見上げてグレンは小さく息を吐く。


 今はハルが先導を切ってアルと戯れ合いながら進んでいた。あんな男に触らせてしまった苛立ちから何も考えずに掴んでしまった日野の手を離すわけにもいかず、照れくさい気持ちを見せないようにずっと手を繋いで歩いている。


 しかし、隣を歩く日野は何やら心がどこかに行ったように何かをボーッと考えているようだった。


 原因は分かっている。日野に馬乗りになった男を蹴り飛ばした時に、日野の瞳が金色になっていることに気が付いた。愉しそうに笑う顔……あれは、東の街で見た姿と同じだった。


 男が離れた瞬間にその姿は元に戻ったが、きっと日野自身もその変化に気付き、また一人でぐるぐると考えているのだろう。


「悩みの多い女だな」

「え?」


 グレンが呆れたようにそう声をかけると、日野はハッとしてグレンを見やる。何のことか分からないと言うようにキョトンとする日野の姿にグレンが苦笑していると、前を歩くハルが声を上げた。


「グレン、ショウちゃん、見て! 凄いよ! 大っきい湖!!」


 ハルの指差す方を見ると少し先に大きな湖があり、その上に背の低い建物が並んでいる。空の色を映し茜色に染まった水面がユラユラと揺れて美しかった。


 この世界は個性の主張が激しい街が多いと前にハルが言っていたが、本当に個性的で美しい街が多く、その姿に感動させられる。


「ボク、こんな大きな湖、初めて見たよ!! ね、夜はライトアップされるんでしょ? 早く行こう!」

「走り回るのは森の中までにするんだぞ」


 そう言ってパタパタと走り出したハルの小さな背中をグレンも追いかけ、手を引かれた日野も走り出した。


 すると、三人で森の中を駆け抜け、街にたどり着いたところでハルが再び声を上げる。


 今度は何事かと追いついてきた日野とグレンがハルに駆け寄ると、小さな手が指差した先では、胸元に大きなリボンの付いた黄色いワンピースを着た可愛らしい女の子が、道の脇に座りパシャパシャと水を足で蹴りながら遊んでいた。


 夕陽に照らされた赤みがかった髪がそよそよと風に揺られている。


「あの子……あの青い本を持ってた子、だよね?」

「うん。ボクの見間違いじゃなければ」

「良かったじゃねぇか、一応生きてて。だいぶ見た目は変わってるが……」


 ボロボロの服を着た姿しか見たことが無かった三人は、子供があまりにも想像とかけ離れた姿をしていた為に自分達の目を疑ってしまった。


 しかし、その顔つきは刻に連れ去られた子供と同じだった。呆然とその綺麗になった姿を見ていると、チラリと顔を上げた子供が日野達に気付く。傍に置いていた靴下と靴を持ち、裸足のままパタパタと近付いて来た。


「本当に来た……刻の言った通りだ」

「刻の言った通り? どういうことだ」


 驚いたようにそう言った子供に、グレンが眉間の皺を寄せる。刻の言った通りだとはどういう事だろうか……チラリと日野の様子を見ると、いつもと変わりなくその顔は無表情に近い。特に何も変化が無い事にホッとしつつも、子供の言葉が気になった。


「刻が言ったんだ、あんたらがもうすぐ来るって」


 赤みがかった髪の子供がそう言った瞬間、ホテルの扉が重たい音を立てて開いた。


 日野がそっと音のした方へ目を向けると、扉の向こうからゆっくりと刻が姿を現し、ゾクリと全身に鳥肌が立つ。恐怖で目を離せずにいると、刻のその後ろから見覚えのある女が出てきた。誰だろうと目を凝らすと、その手に持たれている青い本が視界に入り、鈍い痛みが頭に走る。


 思わず頭を押さえるが、痛みは増すばかりでどんどん酷くなっていく。まずい、このままでは……日野がそう思った時、ふわりと体が軽くなった。


「しっかりしろ」


 そう言ってグレンが日野を支えるが、日野の両眼は薄っすらと金色に変わり始めている。いつ暴れ始めてもおかしくない状態の日野に薬を使うべきか……迷いながらグレンが日野のポケットに手を伸ばした時、その様子をホテルの前から眺めていた刻が口笛を吹いた。


 すると、どこから現れたのか、街の中を駆け抜けてきた黒い馬が刻の元へと向かう。目の前に現れた黒い馬の手綱を引いて刻が街の外へ向かい歩き出すと、その後を栗色の髪の女がついて行った。女が振り返って子供を呼ぶように手を振ると、ハッとした子供は慌てて二人の後を追いかける。


「ねえキミ! キミは刻について行くつもりなの!?」


 わざわざ殺人鬼を追いかけようとする子供をハルが咄嗟に呼び止めた。すると、子供は赤みがかった髪と黄色いワンピースを揺らしながらくるりと振り返る。


「ついて行く。あと、私は"キミ"じゃないよ、ルビー」


 ハルはついて行くと言ったその言葉に困惑し、眉をひそめた。どうして? 何故あんな殺人鬼についていく必要がある? 殺されるためだとでもいうのか?


 あんなのについて行ったら何をされるか分からない……そう思ったが、ルビーと名乗った少女の表情はこの前までとは違っていて、どこか晴れやかで楽しそうな顔をしていた。その姿に、ハルはどこか諦めたように微笑む。


「……そっか。でも、生きてて良かったよ。名前を教えてくれてありがとう、ルビーちゃん」


 ニッコリとそう言ったハルの言葉にルビーがその場で凍りついた。ボソボソと何かを言った後に、怒ったように刻を追いかけて走って行く。その姿を見送りながら、刻を見つけても戦えない悔しさにハルは唇を噛んだ。


 いつか必ず、両親とアルバートの仇を……胸の中にジワジワと滲みる怒りと悲しみを抑えながら、ハルは振り返り日野を見つめた。刻と同じ金色の瞳……絶対にショウちゃんには刻と同じ事はさせない。グレンの手から白いケースを奪い取ると、ハルは注射器を一本取り出し、その細い針を日野の腕に突き刺した。

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