第58話 夢
まだまだ暑さの残る中、三人と一匹が再び訪れたのは刻に滅ぼされた東の街。人々の遺体だけが消え、瓦礫と血痕の残るその街は、寂しそうにその姿を残していた。
日野達は湖の街に行くために街中を通る。すると、ある一箇所に亡くなった街の人々の墓がいくつも建てられていた。誰かが埋葬してくれたのだろう。
日野達は墓の方へ近付くと、この土地の下に眠る、刻の力によって失われた沢山の命に静かに手を合わせた。グレンとハルも軽く目を閉じる。三人が祈りを終えて閉じた目をそっと開くと、突然グレンとハルが何かに気付いたように辺りを見回した。何事かと日野も辺りを見ようとすると、グイッとハルに手を引かれる。
「ショウちゃん、こっち!」
よろめきながら手を引かれた方へ移動すると、いつの間に現れたのか、グレンの目の前に拳を振りかぶった男が迫っていた。
しかし、思い切りグレンを殴りつけたかと思ったその拳は空を切る。攻撃をひらりとかわしたグレンは、そのまま男の腕を掴み、動けないよう後ろ手に拘束した。
突然の出来事に驚き、瞬きを繰り返している日野が暴れる男の方を見やると、何だか見覚えがあるような無いような……そんな違和感を感じて首を傾げるが思い出すことは出来なかった。
「くっそ、離せよ馬鹿野郎! お前だけは一発殴らないと気が済まない!」
「何なんだいきなり。俺がお前に何かしたか?」
そう言って、バタバタと暴れ回る男を涼しい顔で押さえている姿を見ると、刻のような規格外の強さに霞んでいるだけで実はグレンも普通の人間よりは強い力を持っている事が分かる。
出会った記憶が無いのか、押さえつけていた手を離して男を軽く放り投げると、男の着ている黒い服を見てグレンは首を傾げた。地面に放り出された男は砂埃を吸い込んでしまったのか、ケホケホと咳をしている。すると、遠くから気弱そうな男の声が聞こえてきた。
「あ、兄貴〜!」
「あ、思い出した」
どこかで聞いたことのある弱そうな声に、医者の街での出来事を思い出し、グレンはポンっと拳を手のひらに乗せた。
「本を狙って、あの子を追い回してた人達だね。そっちは、ショウちゃんを殴った人」
ビシッとハルが指差した先にいる男は息を整えている。そういえば、赤みがかった子供と一緒にいた時に後ろから誰かに頬を殴られた。この人だったのか……あれはかなり痛かったと日野はムッとした表情になる。すると、気の弱そうな男が日野達の元へ駆け寄ってきた。
「ご、ごめんよ。兄貴が突然走り出しちゃって、止められなかったんだ」
「お前だけは一発殴らないと気が済まない! 殴らせろ!」
「兄貴! 仕方ないよ! 僕達だってそこのお姉さんを殴ったんだから、やり返されても文句言えないでしょ」
再びグレンに飛びかかろうとする男を、気の弱そうな男が必死で止めている。そんな二人はお揃いの黒の服を着ていた。
グレンがジッと着ているコートと見比べてみると、服のデザインは違うが生地は自分のコートと同じもののように見える。しかし、これはアイザックが開発した特注品で世には出回っていない筈だった。
「お前らが着ている服、どこで手に入れた?」
「あ? お前なんかには関係ねぇよ……痛っ?!」
「答えるまで殴らせろ」
そう言って、既に一発殴られた頭を押さえる兄貴をグレンが睨みながらボキボキと指を鳴らすと、気の弱そうな男が慌てて間に入った。兄貴の前に出ると、両手を前に出し、やめてくれと言わんばかりにグレンに向かってブンブンと振っている。
「も、もらったんだよ、ザック先生に! こ、この服なら何度洗っても破れることはないからって! その代わり、この街の片付けをして、あの医者の街から離れなさいって言われて……」
「おじさん……そんなことまでしてやってたのか」
「お、俺たち、この街を片付けたら孤児院を作るんだ。路地裏の子達もみんな呼んで、みんなで街を立て直すんだ。俺たちみたいな子供に出来るか分からない……いじめた路地裏の子達が来てくれるか分からない……おっきな……夢なんだけど……」
「孤児院……」
孤児院という言葉に、何かを懐かしむようにグレンは目を伏せる。しかし、アイザックがそこまでしてやっていたとは思わなかった。おおかた、孤児院についてもアイザックが提案したのだろう。相変わらず何でもかんでも抱え込む人だなと思いながら、グレンは微かに口角を上げた。すると、頭を押さえながら座っていた兄貴が気弱そうな男を怒鳴りつける。
「おい、ルース! ベラベラ喋ってんじゃねぇよ!」
「ひいっ。ご、ごめんよ兄貴! でも悪い人じゃなさそうだし……ザック先生を紹介してくれたのはこの人だし、先生と知り合いなら大丈夫だと思うよ」
体をビクリと揺らしながら、ルースと呼ばれた気の弱そうな男がそう言うと、兄貴はグッと言葉を詰まらせ顔を背けた。そのまま兄貴はジッと黙っている。その様子を見る限りでは、色々と気を回してくれたアイザックに一応感謝はしているようだった。すると、ハルが日野を連れて兄貴の元へ駆け寄る。
「ショウちゃんに謝りなよ。覚えてるでしょ? どんな事情があったって、女の子を追いかけ回したり、殴ったりするのは良くないよ」
ハルは真っ直ぐに兄貴の目を見ると、怒りを含んだ声でそう言った。しかし、まさかそんな展開になるとは思っていなかったと日野はオロオロと狼狽えている。
殴られた事に関しては確かにムッとはしたが、そこまで怒りを感じている訳でもなかった。日野が困ったように兄貴に笑いかけると、顔を背けた兄貴が小さな声でボソボソと何か言ったような気がした。
だが、余りに小さなその声に何を言ったのか聞き取れず日野は首を傾げる。そんな日野の様子をチラリと見た兄貴はバツが悪そうに改めて謝罪の言葉を伝えた。
「……ごめん」
「あ、うん。大丈夫。もう痛くないし、気にしないで」
意外にもシュンとして素直に謝った兄貴に日野は両手を振りながらそう言うと、何だか悪いことをしてしまったような気持ちになり、どうしていいものかと慌てていた。
そんな不器用な二人の姿にグレンとハルが肩を小刻みに揺らしながら笑いを堪える。すると、笑うなと言わんばかりにこちらを睨む兄貴の視線に気付き、グレンはフンっと鼻を鳴らした。
「その調子で素直に生きろ。自分を信じてついてきてくれる奴を守るために強くなれ」
「……うるせー」
そっぽを向いた兄貴から視線を外したグレンがルースを見やると、ルースは照れたように頭を掻いている。日野はそんな男達の様子に小さく微笑んだ。
本に関わった人間の運命が、良くも悪くも変わっている。自分より遥かに若いと思われるその二人の描いた夢がいつか現実となれば良いなと心の中で願いを込めた。




