第57話 注射器
翌日、祭りの終わった街は静かな朝を迎えた。身支度を整えた日野達は、街の入り口に来ている。暫く自分の病院を空けていたアイザックもそろそろ帰らなければならないということで、改めてこの先を日野、グレン、ハル、アルで行動することになった。
心配ではあるが、病院を空けたままにすることも出来ない。アイザックは、寂しそうにしているハルに微笑むと、その深緑色の髪に触れた。
「また会いましょう。グレンと日野さんの事をよろしくお願いします」
「うん。ザック先生も元気でね……」
寂しさを隠すように笑ったハルの頭をよしよしと撫でると、日野へ視線を向ける。そして、ポケットから取り出した小ぶりなケースを手渡した。
横長で真っ白なそれを受け取った日野に開けてみるよう促すと、カチャリと開いたケースの中には小さな注射器が四つ入っていた。
「これは、注射器……?」
「はい。日野さんの力を抑える薬が入っています。効くかどうかは分かりませんが、気休めに持っていってください」
「ありがとうございます」
この中には、金色の瞳の姿の日野を一瞬で眠らせた刻用の薬……それを日野用に改良したものが入っているという。刻のように力を抑え込めない日野にとっては心強かった。
いつか、使う時が来るかもしれない。嫌な想像が頭を過ぎり、日野は白いケースをキュッと握り締めると、ポケットに仕舞う。
もう誰も傷付けないように、もう悲しい思いをさせないように……日野達が眠っている間も薬の研究を続けていたアイザックは、日野の様子を見て優しく微笑んだ。
それぞれに感謝の気持ちを伝えた後、医者の街でアイザックと別れた日野達は、一度引き返した東の街へと歩みを進める。まだまだ暑い森の中、たらりと流れる汗が頬を伝った。
アイザックによると、東の街の先に大きな湖の街があるようで、まだ近くにいるとすれば刻はその街に滞在している可能性が高いとのことだった。その街を目指し、日野はいつもの如くハルと手を繋ぎながらグレンの後について歩いている。すると、隣を歩くハルが遠くを見つめながら口を開いた。
「湖の街かぁ……水辺に住んだことが無いから想像出来ないな〜。ショウちゃんは?」
「そうだね、私も住んでた場所の周りは建物ばっかりだったから湖を見るのは初めてかな……でも、どうして刻がそこにいる可能性が高いんだろう?」
「湖の街は美味いスイーツショップがあるらしいぞ」
スイーツショップ? 突然のグレンの言葉に、日野とハルの声が重なった。そんな情報を知っているなんて、グレンが甘い物好きだとは聞いたことが無いが……ふわふわと頭の上に想像が膨らむ。可愛いお菓子を頬張っている目つきの悪いグレンを想像し、小さく笑っていると、隣を歩くハルが口を開いた。
「スイーツショップって、グレンも意外と乙女チックなところがあるんだね」
「違ぇよ……誰が乙女チックだ、気持ち悪い」
そう言って立ち止まり振り返ったグレンは、日野とハルが追いつくのを待ちながら話を続ける。
「おじさんによると刻は病的な甘党らしいからな。この辺りにまだいるなら人気のスイーツショップがある湖の街にいるんじゃないかって話だ。あくまで可能性で、確証は無いがな」
殺人鬼が甘党とは……あの森の中や東の街で感じた威圧感からは想像も出来なかった。いらないギャップだと思いつつ、そこにいるかもしれないと考えると日野の心臓の音は速くなる。
力を抑える薬があるとはいえ、使えるのは四回までだ。刻の持つ青い本に近付いて、次は自我を保っていられるだろうか……それに、あの赤みがかった髪の子供。
あの子がもしまだ刻の元で生きているなら、なんとかして助けてあげなければ……考えれば考える程に心配事が多くなっていく。そんな不安を振り払うように、日野はギュッと目を瞑り、ゆっくりと開いた。
黒いコートに包まれたその背中に追いつくと、立ち止まって待ってくれていたグレンが歩き出す。刻の力により、住む人を失った街へ、三人と一匹は再び歩みを進めた。




