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第55話 夏祭り

 祭りの始まった街中は、色とりどりの明かりが揺らめき、沢山の人で賑わっていた。日野は出店が並ぶ道をハルと手を繋いで歩いている。元の世界でも祭りが開催されているのを見かけてはいたが、わざわざ行こうとは思えなかった。


 しかし、目を輝かせながら辺りをキョロキョロと見回すハルとアルを眺めていると、何だかこちらも楽しくなってくる。来て良かったと思うと同時に、離れたくないとも感じ、日野は寂しそうに微笑んだ。


「苺飴、どこだろうね?」

「うーん。なかなか見当たらないね。あ、あそこ女の子が多いからあるかも!」


 そう言ってハルが日野の手を引いて走り出す。少し先にある出店の前には、可愛らしく着飾った女の子達がワイワイと盛り上がっていて、その手にはキラキラと輝く苺飴を持っていた。


「おい、あんまり離れるなよ!」


 パタパタと走り出した日野とハルにグレンが歩きながら声をかける。その隣では、相変わらず四方八方から声を掛けられているアイザックがニコニコとそれに対応しながら歩いていた。


「ほんと、おじさんはどこ行っても相変わらずだな」

「人当たりが良いですからね」

「それ自分で言うのか……」


 そう言って呆れたようにアイザックを見るグレンを、少し遠くからハルが手を振って呼んでいる。どうやらお目当の物が見つかったようだ。二人は目を合わせて軽く笑い合うと、早く早くと急かすハルの元へと歩いていった。


 苺飴の店に辿り着く直前に、アイザックが何かに気付いた様子でクルリと方向を変えたが、急かされているグレンはそのことに気付かず足早にハルの元へ向かう。


「グレン、早く早く!」

「はいはい、ちょっと待ってろ。おじさん、苺飴ふたつ」


 グレンがお金を渡すと、あいよ! っという威勢の良い声と共に、大柄の男が可愛らしい苺が五つ並んで串に刺さった苺飴をそっと手渡してきた。


 うわあ、似合わねぇ……と思ったことは口に出さないようにして、グレンは受け取った苺飴を日野とハルに手渡す。


「ほらよ、気をつけて食べろよ。危ないから棒持ったまま走り回るんじゃないぞ」

「分かってるよ〜」

「グレン、ありがとう」


 受け取った苺飴を二人同時に頬張ると、日野とハルは頬に手を当てて美味しいと目を輝かせた。満足そうに微笑む二人を見て、連れて来て良かったなと思い、グレンがフッと口角を上げて笑う。その姿を、ハルとアルがジッと見上げていた。


 ハルはパチパチと大きく瞬きをすると、日野とグレンの間に入り、二人と手を繋ぐ。そしてキョロキョロと辺りを見回してアイザックの姿を探した。


「ねぇ、グレン。ザック先生はどこに行ったの?」

「……そういやいねぇな。一緒について来てた筈なんだが、あの人どこいったんだ?」

「そういえば、二人でこっちに向かって来てる途中でザック先生だけどこかに行ってたけど……見当たらないね」


 背の高いアイザックならすぐに見つかる筈だが、辺りを見回しても見当たらない。すると、ハルが行き交う人混みの中からしゃがみ込んでいる白衣の後ろ姿を見つけた。あ! と大きな声を出すと、ハルは繋いでいた日野とグレンの手を引き、二人の手を繋がせる。


「ボク、ザック先生のところに行ってくるから! 二人で回って!」

「おい! 危ないから走るなって……」


 言っただろうと言う前に、走り出したハルの姿は人混みの中に紛れていった。その場に二人残され、グレンは溜め息を吐き、日野は困ったように笑っている。ふと手元を見ると、先程までハルと繋いでいた筈の自分達の手が重なり合っている事に気付いた。


「あ……悪いな」

「いや……別に、大丈夫」


 気恥ずかしさからお互いに目を合わせることが出来ないが、何故か手を離す気にはなれず、軽く繋がれたままその場に立ち尽くしていた。


 騒がしい街の中で、トクトクと速くなる心音がやけに目立って聴こえる。何故だかこんなにも意識してしまうのは、お祭り独特の雰囲気のせいなのだろうか……頬に熱が溜まるのを感じ、日野は顔を隠すように俯いた。


 すると、ふいにグレンが日野の手を引き歩き出す。ハルの走って行ったのとは逆方向に歩き出したため、二人と離れてしまって良いのだろうかと日野がオロオロし始めると、グレンが口を開いた。


「なあ、一度訊こうとしてやめたんだが……お前、元の世界に戻りたいと思わないのか?」

「……え?」

「家族とか、友達とか、恋人もいたんじゃないのか? 普通、戻りたいと思うだろ。お前はよく泣くが、元の世界に戻りたいと言って泣いたことは無い」

「それは……」


 グレンの問いに日野は言葉に詰まる。戻りたいというよりは、むしろ戻りたくない気持ちの方が強かった。元の世界に戻っても幸せに生きていける気がしない。


 いつも、どこにいても常に誰かと繋がっていて、時間に追われ忙しなく働く毎日。人の声が雑音に聴こえ、笑うこともほとんど無く、恋愛をすることにすら疲れていた。


 元いた世界では生きることの楽しみ方が分からなかった。しかし、この世界に来てからの日々は不便なことも多いものの、とても楽しくて色鮮やかな毎日だった。こんな力さえなければ……ずっと、グレンの傍にいたかった。


「!? ……私……私は」


 ハッと気付いた。今まで薄ぼんやりと胸の中にあった気持ちがハッキリとした。私はいつの間にか、グレンの事を……好きになっていた。


 でも、青い本に近付けばまた暴れてしまうかもしれない。これ以上グレンを傷付ける訳にはいかない。


 元の世界に戻りたいかと訊いてきたということは、グレンは私と離れたがっている……今まで感じたことのない悔しさ、悲しさ、寂しさが、胸の中で渦巻いて涙が溢れそうになる。唇を噛み、必死にそれを堪えるように日野は俯いた。


 すると、ふいにグレンが立ち止まり、小柄なその身体をそっと抱き締める。


「なあ、どっちだ? お前、戻りたいか?」

「私……」


 低く優しい声が耳に響いた。温かい体温が、すぐ傍にグレンがいることを意識させる。傍にいたい……その一言がどうしても言い出せず、口に出した言葉が途切れる。すると、グレンの口から日野にとっては意外な言葉がかけられた。


「元の世界にいた頃のお前に、どんな事情があるかは知らない。この世界でのお前の力も分かった上で言うぞ……お前がもし元の世界に戻らなくても良いと思ってるなら、どこにも行くな。俺の傍に居ろ」


 その言葉を聞いた瞬間、驚いて見開いた日野の目から大粒の涙が溢れ出す。心のどこかで、止めてもらえたらと思っていた。傍にいていいと言って欲しかった。


 泣いてばかりではなく何か言わなければと思うが、言葉が上手く出てこない。行き交う人々が何事かと視線を向ける中、日野はグレンの腕の中で子供のように泣きじゃくった。日野を包み込むグレンの腕に、少しだけ力が入る。


「傍にいるって事で良いんだな?」


 フッと安心したように笑ったグレンの言葉に、日野は涙を拭いながら何度も何度も頷いた。

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