第54話 リハビリ
翌朝、すっかり雨の止んだ街の上は清々しい青空になっていた。日野は窓から差し込む朝の日差しで目を覚ます。
昨晩アイザックに病室まで送ってもらった後もなかなか寝付けずにいた為か、まだ頭がぼんやりとしていた。ふと備え付けのテーブルに目をやると、卓上にあるメモ用紙が数枚切り取られている。
「そっか。ザック先生に没収されたんだっけ……」
日野を病室まで送り届けた際にアイザックはメモ用紙に気付き、日野が書いた手紙の部分を切り取っていった。小さなメモ用紙なんて普通は気にも留めないだろうに、抜け目ない人だ……ザック先生には勝てる気がしないなと一人苦笑する。
「お祭り……か」
今夜の祭りが最後の思い出になるかもしれない。短かった三人と一匹との思い出が頭の中に蘇る。みんなもそろそろ起きているだろうか? 日野はベッドから出ると、身なりを整えてひとまず病室を出た。
夜の暗く不気味な雰囲気とは打って変わって明るく騒がしい院内を歩く。空き部屋が少なかったらしく、グレン達の病室とは少し離れていた。すると、病院の裏手に面した大きなガラス窓がある待合室で、数人の男性患者が何やら騒がしくしている。
何かあったのかと不思議に思い近付くと、彼らは窓の下を眺めて盛り上がっていた。
「よし! そこだ! いけっ、緑の!!」
「あ〜! 惜しい!」
「お、あの茶髪の兄ちゃんなかなかやるな! かなり強いぞ!!」
「いや、あの先生には敵わないな!」
緑の? 茶髪の? そして先生って……まさかと思い、日野も窓の下を覗き込む。男達が夢中になって見ていたのは、グレン、ハル、アイザックの……喧嘩、なのか? 何やら三人で殴り合いをしているようだった。と言っても、よく見るとアイザックは殴りかかってくる二人を軽くあしらっている。
「……凄い」
汗を流し楽しそうに戦うグレンの姿が何だか新鮮だった。そして、自分の体の小ささと身軽さを活かして隙を突こうと動いているハルにも驚かされる。
しかし、酷い怪我だったのにあんなに動いて大丈夫なのだろうか? 心配になった日野はその場を離れ、近くにあった階段を駆け下りると、足早に病院の裏手の方へ向かった。
息を切らせ三人の元に辿り着くと、アイザックが二人をあしらいながらこちらに笑顔を向けてくれた。
「日野さん、おはようございます。朝から騒がしくてすみません」
「あ、ショウちゃんおはよう!」
「みんな、おはようございます。あの、そんなに動いて大丈夫なんですか?」
「リハビリなので心配いりませんよ。もう平気ですよね、グレン?」
そう言ってアイザックがグレンの腕を掴み、その動きを封じた。捕まったグレンは悔しそうに叫びながらジタバタと抵抗している。しかし、これ以上身動きが取れないのが分かると、観念したように大人しくなった。
「次はぶっ飛ばしてやる」
「楽しみにしています」
「ザック先生! 隙あり!!」
ニッコリとグレンに笑いかけたアイザックの背後に飛び上がったハルが現れ、どこからか持ってきた小さな木の棒をアイザックの頭目掛けて振り下ろす。バキッと棒の折れる音がして、ハルは地面に着地した。
「ボクの勝ち」
「しまった。一本取られましたね」
パッと掴んでいたグレンの腕を離し、まいったと言うように両手を上げたアイザックを見て、ハルが勝ち誇ったようにキラキラと目を輝かせる。
子供とは思えないその動きと、どれだけハルが動き回っても肩の上やポケットの中などを移動しながら、常に傍に付いているアルに日野が感心していると、息を切らしたグレンが近付いてきた。
「もう動いて大丈夫なのか?」
「それはこっちのセリフだよ。その……傷は、大丈夫?」
「このくらい平気だ。血も多少回復したから、明日にはここを出られる」
「……そっか、良かった」
明日にはここを出られる。グレンのその言葉に、胸がチクリと痛む。まだ、決めきれない。目の前にいる彼らを傷付けない為に、離れる。それで良いのだろうか……グレンの気持ちは、今夜の祭りが終わるまでに聞くことが出来るだろうか……日野は揺れる心を隠すように、ぎこちない笑顔を向けることしか出来なかった。
◆◆◆
それから数時間が経ち、日も沈みかけた頃、窓の外に広がる街中はいつも以上に沢山の人で賑わっていた。チラホラと明かりが灯され、至る所に出店が並び、そろそろ祭りが始まろうとしている。
日野の病室では、着替えを済ませたグレンとハル、アルが集まっていた。苺飴が売られていると聞かされたハルがいつになったら行くのかと大人達を急かしている。
「ねー! 早く行こうよー! グレンー!」
「煩い。おじさんの仕事が片付くまで待つって約束だろ」
「うー……じゃあ待たせた分はいっぱい遊んでもらおう。そうだ、ショウちゃんも苺好きでしょ? 一緒に食べるよね?」
「うん。楽しみだね、苺飴」
日野の言葉に嬉しそうに頷きながらも、ハルは待ちきれないのかプンプンと頬を膨らませている。そこに、ガラリと扉を開けて申し訳なさそうな顔をしたアイザックが現れた。片方の腕には新しいグレンのコートが掛けられている。
「遅くなってすみません、色々やってたらこんな時間になってしまって」
「ザック先生、お疲れ様です。こちらこそ、急かしてしまってすみません」
「いえいえ、気にしないでください。私も楽しみにしていましたから」
そう言ったアイザックにハルが駆け寄り、その大きな手を取ってブンブンと振り回す。こうして戯れているところを見ると、まるで親子のようだ。
「ザック先生、早く行こう! ボク、苺飴食べたい!」
「ええ、いっぱい食べましょうね。ああそうだ、グレン。これ新しいコートです。出来るだけ以前の物より強化してありますが、くれぐれも怪我をしないように気をつけてくださいね」
「ああ。ありがとな、おじさん」
グレンが立ち上がり、アイザックから受け取ったコートをバサリと音を立てて羽織る。以前の真っ黒なデザインから少し装飾を増やしたそのコートはグレンの体に合うように作られていて、サイズもピッタリだった。
パチパチと前のボタンを留めるグレンの姿に何だか見惚れてしまい、日野の頬が桃色に染まる。目が離せずにいる日野の様子に、ハルとアイザックが気付き、二人で目を合わせてニンマリと笑い合った。
「おい、おじさん……なんて顔してんだよ」
「いいえ、何も。ね? ハル」
「うん。何でもないよ。あ〜、苺飴楽しみだな〜」
日野から視線を外していたグレンは、ハルとアイザックの笑みの理由が分からず、そのわざとらしい態度に顔をしかめる。
ワイワイと盛り上がり始めた二人に背中を押され、日野とグレンは病室を出た。そして、四人と一匹は、鮮やかな星空と沢山の明かりで彩られた街の中へと出掛けて行った。




