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第52話 別れの手紙

 その夜、日野は病室の窓から街を眺めていた。日中は男三人が部屋に集まっていたため騒がしかったが、薄暗かった空は更に暗くなり、日野の病室には静かな時間が流れていた。外の雨はすっかり止んでいて、チラホラと小さな星が輝いている。きっと明日には綺麗な青空が広がっている筈だ。


「私、どうすれば良いんだろう」


 ポツリとそんな言葉が口をついた。暗い部屋の中、窓から差し込む柔らかな光に手をかざす。この手で、また誰かを傷付ける時が来るかもしれない。その度に、あの三人に頼る訳にはいかない。彼らから離れ、一人で元の世界に戻る方法を探すべきなのではないかと迷っていたら、どうにも眠れなかった。


「今までのお礼も言わずに突然いなくなるなんて勝手なこと出来ないし……でも、一人で刻を探すって言ってもし止められたら……」


 もし止めてもらえたら……心の中にそんな淡い期待が広がり、楽しそうに笑いを堪えるグレンの姿が頭に浮かんだ。


 元の世界に戻りたいとは思えないのに、もっとみんなの傍にいたいとは思ってしまう。それだけ、日野にとってはこの世界に来てからの毎日が温かく楽しいものになっていた。


 そして、自分で思っている以上に、彼らの存在が大きくなっていたことに気付く。


「手紙書いて、置いておこう。やっぱり、私は傍にいちゃいけない」


 そう言って、日野は病室に備え付けられていたテーブルの方へ目を向ける。卓上にはメモ用紙とペンが置かれていた。いつか読んだ物語の中にも、仲間に手紙を残して一人で旅に出た人物がいた筈だ。この方法が、一番良いのかもしれない。


 日野はメモ用紙に感謝の気持ちと、一人で刻と本を探し、元の世界へ戻る方法を見つけることを書き残した。そこにポタリと涙が溢れ、書いた文字が滲んでいく。これ以上溢れないようにと袖で涙を拭うと、日野は着ていた患者用のガウンを脱ぎ、リュックから取り出した服に着替えた。


 初めてみんなで買い物に行った日に買ってもらった服……短い間だったが、一緒に旅をしたこの服にも沢山の思い出が詰まっている。日野は感傷に浸りそうになる自分を誤魔化すように頬を叩くと、使ったベッドを整えて荷物をまとめた。


 小柄な体には少し大きなリュックを背負い、病院を抜け出す為にそっと病室の扉を開ける。


「こんばんは」


 暗い廊下に出た瞬間に声をかけられ、反射的に体が跳ねた。驚いた日野はキョロキョロと辺りを見回す。すると、扉の近くの壁にアイザックが背を預けていた。


「ザ、ザック先生……こんばんは」

「一人でどこに行くつもりですか?」


 見透かすような視線に心臓の音が速くなる。ザック先生はどうしてこんな時間にこんな所にいるのだろう……思ってもいなかった展開に言葉が上手く出てこない。


「え、えっと……ち、ちょっと、トイレへ」

「おや? トイレは病室の中にあった筈ですが、故障でもしていましたか?」


 そう言ってクスクスと笑うアイザック。たまらず俯き目を逸らすと、大きな手が日野の頭を撫でた。


「あれだけ思い詰めたような顔をしていれば気付きますよ。出て行こうなんて考えないでください」

「私、そんな顔してたんですか……」

「はい。日野さんが悩んでいることはグレンも気付いている筈です。彼は他人の変化に敏感ですから」


 自分では精一杯笑っていたつもりだったのに……上手に笑うことすら出来ない自分に日野が溜め息を漏らすと、アイザックが日野の頭を撫でていた手をリュックへと伸ばす。


「雨も止んだことですし、少し散歩でもしましょうか」


 そう言われ、有無を言わさず荷物を全て病室に戻された日野は、アイザックと並んで暗い廊下を歩き始める。静まり返った夜の病院は思っていた以上に不気味で、怖かった。キョロキョロと辺りを見回しながら歩く日野をアイザックが楽しそうに眺めている。


「怖いですか?」

「いや、そんなことは。ただ、病院って幽霊とかいそうじゃないですか。私もうそんなの見たら気絶しそうで……」

「ああ……そっちですか」


 昼間のグレンの言葉もあり、てっきり夜中に男と二人きりなのが不安だから落ち着きがないのかと思い込んでいたアイザックは、日野の警戒心が幽霊に対するものだと知り、再びクスクスと笑い出す。

 見えないものに怯える日野を連れてエレベーターに乗ると、二人を乗せたカゴは無機質な音を立て、一階へと降りていった。

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