第51話 言伝
日野の傍を離れたアイザックが病室のカーテンを開く。ガラス窓には雨水が流れ落ち、その向こうに暗く淀んだ外の景色が見えた。
ここは、あの赤みがかった髪の子供と出会った街。大きな病院があり、アイザックがそこの院長のパーティーに招かれていた事を日野は思い出す。ふと辺りを見回すと、アイザックの病院とは雰囲気が違い、何だか落ち着かなかった。
「ここは……」
「はい。残念ながら私の病院ではありません。自由に動き回ることは出来ませんが、グレンとハルが回復するまでは使わせてもらえるように許可を取りましたので、暫くはここで休みましょう。亡くなった東の街の方々もきちんと埋葬出来るように手配しましたから、何も心配いりませんよ」
「ま、明日にならないと雨も止まないらしいしな」
話をしながら外の様子を確認したアイザックは、腕を組んで近くの壁に背を預ける。すると、グレンが窓の方へと目を向けた。
ポタポタと雨粒が窓にぶつかり、一つになって流れていく。これでは刻を探すことも先に進むことも出来ない。腕の傷もすぐには治らないため、今はアイザックの言う通り休んだ方が賢明だろう。
流れる雨を見ながら、グレンは小さく息を吐いた。すると、日野が不安そうな顔をしてグレンに尋ねる。
「あの……ハルは? それに、あの子も」
「ハルなら心配いらねぇよ。あいつはそこいらの大人よりよっぽど打たれ強い。ここに来る途中でナースステーションにいるのを見かけたから、今頃ナースと遊んでるんじゃないか?」
そう言ってグレンは何やら楽しそうに笑っている。だが、いくらハルが打たれ強いと言われても、ハルを傷付けたことは事実だ。会ったらちゃんと謝らなければ……落ち込んだように俯く日野に、グレンは言葉を続ける。
「それと、あの子供は本と一緒に刻が持って帰った」
「え!? じゃああの子は」
「殺されている……可能性はゼロではありませんね」
「そんな……」
赤みがかった髪を靡かせる小さな姿が頭の中に蘇る。あんな小さな子供まで、刻は殺してしまうのか……そして、私も同じようになってしまうなら、いつかまたグレンやハルを傷付けてしまうかもしれない。そう考えると、再び涙が溢れてきた。
二人を困らせまいと袖で涙を拭う。すると、ふと疑問が浮かんだ。自分はどうやって元に戻ったのだろう? 何故かその部分の記憶だけが無いことに気が付いて日野は首を傾げる。
「そう言えば、私はいつ元に戻れたんでしょうか? ハルが目の前にいたところまでは覚えているんですけど、その後の記憶が……グレンが止めてくれたの?」
「俺じゃない。おじさん」
そう言ってグレンがアイザックへ視線を移す。アイザックは壁に背を預けたままニッコリと微笑んでいた。
「ちょっと押し倒して眠らせただけですよ。本当は刻用に考案していた薬だったのですが、日野さんにも効いて良かった」
「ザック先生が……すみません。私、その辺りの記憶が無くて……でも、止めてくれて本当にありがとうございます」
「たぶん一瞬のことで覚えてないんだろう。夜は気を付けろよ、このおじさんから襲われたら逃げられないぞ」
「……人を変質者みたいに言わないでください」
グレンの言葉に、アイザックが深い溜め息を吐く。日野は記憶を辿るが、やはり覚えてはいなかった。しかし、この街で最初に会った時も絡んできた男の人から守ってくれた。
グレンが逃げられないとまで言うのなら、ザック先生はもしかしてかなり強いのだろうか? 身長の高いアイザックをベッドの上から見上げると、ニコニコと笑うその姿にホッとする。
見ているだけで何だか落ち着くような、不思議な雰囲気の人だな……そう思いながら日野がアイザックを見つめていると、病室の扉がまた勢いよく開いた。驚いた日野は扉の方へ目を向ける。するとそこには、頭に包帯を巻き、患者用のガウンを着たハルが立っていた。
「ザック先生のばかやろ〜!」
目に涙を浮かべながらハルはアイザックへ駆け寄るとその長い足をポカポカと殴り出す。
「よお。ナースにチヤホヤされて楽しかったか?」
その様子を見たグレンが楽しそうに笑いながらハルに問いかけると、振り返ったハルはグレンをキッと睨んだ。
「楽しいわけないよ! グレンさっき近くを通ったくせに助けてくれないんだもん! 質問責めからやっと抜け出して来たんだから!! ザック先生の誕生日はいつだとか、ザック先生に彼女はいるのかとか、ザック先生の好きな食べ物はなんだとか、ザック先生ザック先生ザック先生って……ボクもう病気になっちゃうよ!?」
「苺に釣られてナースについて行ったお前が悪い」
そう言ってクククと笑いを堪えるグレンに、呆れたように笑うアイザック。ハルは不満げに頬を膨らませると、ベッドに座る日野に気が付いた。
「ショウちゃん……」
驚いたハルが日野へ駆け寄ると、日野はベッドから降りて膝をつく。そして、胸に飛び込んできたハルをそっと抱き締めた。
「ハル……痛かったでしょう。たくさん傷付けて、酷いことして、ごめんなさい。ずっと、ハルの声が聞こえてた。助けてくれて、ありがとう」
「良いんだ。ショウちゃんが元に戻ったなら、それで良いよ」
そう言って日野の胸の中でハルは安心したように微笑む。深緑色の髪をサラサラと撫でると、何か大切な事を忘れているような気がして、日野は首を傾げた。何だろう……ハルの事で、何かあった気がする……その時、ベッドの上からチチチと鳴き声がして、顔を上げる。
そこにはネズミのアルがいて、日野はアルバートと話したことを思い出した。ハッとしてハルを胸から離し、ジッとその姿を見つめる。やっぱり、同じだ。ハルより少し小さかったが、瓜二つだ。私をこの世界に呼んだと言ったあの子は本当に、ハルの双子の兄だったんだ。
「ショウちゃん? どうかしたの?」
突然体を離され何事かと心配そうに見上げてくるハルに、日野はアルバートの言葉を伝えた。
「ハル。ケーキの苺、譲ってくれてありがとう。美味しかったよ、ってアルバートが言ってたよ」
「……え? どういうこと?」
「信じられないかもしれないけど。私、アルバートに会ったの。私をこの世界へ呼んだのはアルバートだって言ってた」
日野がそう言うと、グレンとアイザックが驚いた様子で目を見開いている。すると、ベッドの上から再びチチチと鳴き声がした。
ネズミのアルは、パタパタとベッドの上を駆けると、ハルの肩に飛び乗る。ハルは大きく瞬きをしながらアルを見つめていたが、やがて嬉しそうにニコリと笑った。
「どういたしまして。ショウちゃんもありがとう。ボクのお兄ちゃん、ボクに似て可愛かったでしょ?」
「うん。とっても」
ハルの笑顔につられて日野が笑い出す。そんな二人の姿に、グレンとアイザックもつられて微笑んだ。しかし、アルバートに会ったという日野の言葉が信じられない。アルバートは二年前に刻に殺された筈だ。一体いつ、どこで会ったというのだろうか。
異なる世界を行き来する者、その眼は金色に染まり、全てを破壊する力を手に入れる。呼び出し方……。
ハルがアルバートから聞いた本の内容を思い出し、グレンとアイザックは考えを巡らせたが、答えは見つからなかった。




