第49話 時間切れ
貴様、何度生まれ変わるつもりだ?
刻の問い掛けた言葉の意味が分からない。何度と言われても、当然ながら生まれ変わるなんてしたこともなければ、そんな人間を見たこともなかった。ルビーは困惑した表情で刻を見つめる。すると、隣に座るローズマリーが首を傾げた。
「刻、何度ってどういうことなの?」
「人は死ねば無だ。生まれ変われるということはない。だが、この本の力があれば前回の記憶を無くした状態で別世界へ生まれ、二周目の人生を送ることが出来る。この本の文字は基本的に転移した人間しか読むことが出来ないようになっているが……一部分だけが読めるルビーのような人間が現れた原因を考えると、既に転生した人間だというのが一番納得がいく」
「じゃあ、ルビーは既に生まれ変わってるってこと?」
「そうなるな」
そう言って刻がチラリとルビーを見やると、あまりよく分かっていない様子でこちらを見ている。刻は持っていた青い本をルビーへ渡し、長く鋭い爪をその小さな体へ向けた。
「生まれ変わった後の保証は無い。貴様に何があったかまでは知らないが、また同じように苦しむ運命になるかもしれない。それでも良いなら望み通り殺してやる。この世界で生きるか死ぬか、自分で選べ」
真っ直ぐに見つめてくる金色の瞳から目が離せない。ルビーはどうしていいのか分からなくなっていた。死にたかった、生まれ変わりたかった、こんな世界から逃げ出したかった……でも、少しだけ。少しだけ、目の前の二人と一緒に過ごした時間を温かいと思ってしまった。もう少しだけ、一緒にいたいと思ってしまう。
何の未練も無いと思っていたのに……心の隅から死にたくないと叫ぶ声が聞こえる。どうしよう。どうしたらいい。ぐるぐると考えがまとまらないまま、ルビーが口を開く。
「わ、私は……」
「遅い。時間切れだ」
「え?」
殺してほしい。そう言おうとした瞬間、手元にあった青い本が刻に奪われた。本を奪った刻の方を見上げると、既にその瞳の色は黒に戻っている。立ち上がった刻の背中にルビーは慌てて声をかけた。
「待って! どこ行くの!?」
「歯磨き」
「あ、そっか……じゃなくて! 殺してよ! やっぱり私は……」
「時間切れだと言っただろう。その頼みは二度と聞かない。貴様に本を渡すこともない」
「な、何だよそれ……じゃあ、私はまた一人で……この世界で生きろっていうの!?」
「好きにしろ」
涙を浮かべるルビーを気にすることもなく、刻は歯を磨きにシャワーブースのある方へと向かう。その背中を見つめる赤い大きな瞳からポロポロと涙が零れ落ちた。
また一人ぼっちで、こんな世界を生きていくのかと思うと悔しいのか悲しいのか分からない感情で心がいっぱいになる。止まらない涙を拭っていると、後ろからローズマリーの声がした。
「一人じゃないわよ」
振り返ると、ローズマリーがニッコリと微笑んでいる。それは、なんだか身体がポカポカしてくるような、安心するような温かい笑顔だった。
「刻は最初から殺す気なんてなかったのよ。好きにしていいって言われたんだから、私たちと一緒にいましょう」
「でも……私なんていたら迷惑でしょ! 大人なんてみんな一緒だよ! 今は良くても……女なんて、お前なんていらないって捨てるかもしれない!」
そう言ってポロポロと泣き続けるルビーの涙を、ローズマリーが優しく拭う。大丈夫、と言いながら震えるルビーの背中を撫でるとローズマリーは再びニッコリと微笑んだ。
「これからもよろしくね、ルビー」
◆◆◆
歯を磨きながら鏡を見つめる。刻は目の前に映る自身に問いかけていた。本当に殺さなくて良かったのか? 生まれ変わっても幸せになれる保証は無いが、自分の傍にいても幸せになれる保証は無い……むしろ、鬼塚刻という危険と常に隣り合わせになる。
本当にそれで良かったのか……口をすすいでゆっくりと顔をあげると、小さく息を吐く。真っ白になってしまった髪、いつ抑えが効かなくなるかもしれないこの身体。一体いつまで、自分が自分でいられるのだろうか。
そんなことを考えていると、ゴンゴンと壁を叩く音がした。音のする方を見やると、ルビーが壁に隠れるようにして少しだけ顔を出している。その後ろには、ローズマリーがニコニコと笑いながら立っていた。早く言わなきゃとローズマリーに急かされたルビーが、恐る恐る口を開く。
「一緒にいる」
どんな言葉が返って来るのかが不安なのか、その体の殆どを壁に隠しながらルビーが見つめてくる。その姿に刻は再び小さく息を吐いた。
「何度言わせるつもりだ。好きにしろ」
そう言って二人の横を通り過ぎベッドへ向かった刻を見て、ローズマリーがルビーを思い切り抱き締めた。嬉しそうな二人を他所に刻はベッドに横たわり目を閉じる。
耳を澄ませるとコポコポと微かに水音が聞こえる湖の中のホテル。その上にある地上では、まだシトシトと雨が降り続いていた。




