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第42話 せいぜい死なないようにするんだな

 再び振り下ろされた日野の爪が地面を裂いた。目の前にいたはずの二人がいない。キョロキョロと辺りを見回す日野の両腕を、背後に現れたグレンが拘束した。


 動けなくなった日野が拘束を解こうと左右に体を振ると、その強い力に引っ張られそうになる。それ程までに、日野の力が強くなっているというのか……グレンの腕からは、ポタリポタリと血が垂れていた。引き裂かれた方の腕に上手く力を込められない。


 止め処なく流れる血が足元を赤く染めた。ズキズキと痛む傷口にグレンが顔を歪めて苦痛の声を漏らすと、その様子に気付いたのか、日野がくつくつと笑い出す。


「ったく、悪趣味な女だな……」


 そう言ってグレンが困ったように笑うと、日野の力が少し弱まった気がした。声に反応しているのか……? そう言えば、先程ハルが叫んだ時も、日野はその声に反応していた。


 だとすれば、このまま呼びかけ続ければ元に戻る可能性もあるかもしれない……グレンの声で日野が大人しくなった時、ハルの声が辺りに響いた。


「グレン! そのまま押さえてて!」


 声のした方を見やると、ハルが遠くからロープを抱えて向かってくる。ロープにはたくさんの輪が作られ、その輪の先をアルがガッシリと咥えていた。


「強くなくてもボクらにだって、何かできることはある。そうだよね……行け! アル!」


 そう言ったハルの頭を踏み台に高く飛び上がったアルは、咥えていたロープの輪を日野の頭上から落とした。


 グイッとハルがそのロープを引くと日野の体がきつく縛られ、腕の痛みに顔を歪めたグレンが日野を拘束していた手を離した。しかし、手を離してしまったことで日野の弱まっていた力が戻ってしまう。


「グレン!? 危ない!」


 日野の動きに気付いたハルが叫ぶ。日野は振り返りながらグレンに蹴りを入れると再びニタリと笑みを浮かべた。


 吹き飛ばされたグレンは、破壊されず残っていた街路樹に背中から叩きつけられ、ぐったりとその場に座り込む。傷口から出血し過ぎたことも手伝って意識が朦朧としていた。


「グレン!」


 動かないグレンにハルが駆け寄ろうとすると日野は標的をハルに切り替え、縛られたままハルに向かって走り出した。すると、日野の前に赤みがかった髪の子供が現れる。


 本を抱えたその小さな腕には、先程刻に投げ飛ばされた際に地面を擦った傷があり、その傷口からは血が滲んでいた。子供は立ち止まった日野へ近付くと、縛られているロープを解く。


「何やってるの!? ショウちゃんはまだ元に戻ってないんだ! 勝手なことしないで!」

「私が生まれ変わるためには殺されるしかない……何度も縛られたことがあるから、解くのは得意なんだ。ごめんな、緑色」


 パサリ、とロープが落ちる音がした。これで殺してもらえる……子供は冷や汗を流しながら日野へ笑いかける。しかし自由に動けるようになった日野は子供の胸ぐらを掴むと、引き裂くことはせずにその体を思い切り投げ飛ばした。


 そして子供が飛ばされた先には、刻に破壊された瓦礫の山。そこから飛び出した木の先端が子供に迫る。


「そんな!? 直接殺されなきゃ意味がないのに!」


 そう言って尖った木の先端に向かって落ちていく子供を見ながら日野がおかしそうに笑っている。このままでは突き刺さって死んでしまう。迫りくる死にギュッと目をつぶった時、体がふわりと何かに抱き留められた。子供は恐る恐る目を開ける。すると、白髪の殺人鬼が呆れたような顔で子供を見ていた。


「何をしている。条件が揃わなければ転生など出来ないぞ」


 刻はそう言って子供を抱えたまま着地すると、ジッと日野を見据える。よく見ると、日野の頬にはうっすらと涙が流れていた。刻は小さくため息を吐き、ハルに呼びかける。


「おい、緑の片割れ。その女、心が壊れるのも時間の問題だぞ。今のうちに俺が殺してやろうか?」

「そんなことさせない。ショウちゃんは元に戻す! 何か方法があるはずだ……手を出したら許さない!」

「許さない、か。ならば貴様一人で頑張ってみろ。俺はもう殺す気分ではなくなった。この本は貰っていく」

「待て! また逃げるつもり!?」


 帰ろうとする刻にハルが叫ぶと、刻がポツリと呟いた。


「……気を付けろ、死ぬぞ」


 そう言った刻の視線はハルの後ろを見ていた。いつの間にか移動していた日野が、後ろから爪を振りかぶっている。そのまま振り下ろされた攻撃を間一髪で避けると、地面には深い爪痕が残った。へたり込むハルを見て愉しそうに笑いながら刻が口笛を吹く。どこからともなく黒い馬が現れ、刻は本と子供を抱えたまま馬に乗った。


「ちょっと待て! 私も連れて行く気なのか!?」

「不満か?」

「だって、私は殺してもらうために来たんだ! あんたが殺してくれるなら今ここで……うっ」


 手足をバタつかせながら腕の中で暴れ出した子供を面倒臭そうに見つめると、頭を殴り気絶させた。力の抜けた子供の手から本を奪うと、刻はハルに笑いかける。


「せいぜい死なないようにするんだな」


 そう言って、青い本と子供を抱えたまま、刻は去っていった。街路樹にもたれ座り込んだままのグレンは動く気配が無い。静かな街の中、ハルとアルはたった二人で日野を止めなければならなくなった。出来るかどうかは分からない。


 でも、ショウちゃんを刻と同じ殺人鬼にはしたくない。そして、両親やアルバートと同じ目に遭う人を増やしたくなかった。……ボクがやるしかない。ハルは日野を見据えて立ち上がると、顔についた血を拭った。


「せいぜい死なないようにするよ……必ず助けるから、待っててね、ショウちゃん」

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