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第40話 僕のこと覚えてる?

 今、何が起きているのだろう……目が霞んで、頭が痛い。音が聞こえない。日野は辺りを見回そうとするが、座り込んだ体勢のまま体を動かすことが出来ないでいた。


 本の影響で身体に何が起こるか分かりません


 アイザックの言葉が頭を過ぎる。しかし、青い本には触れていない。なのに、なぜこんなにも体が言うことをきかない……それ程までにあの本の影響は大きいというのか……何とか体を動かせないものかと、意識を集中させる。日野がそっと目を閉じようとした時、ハルが後ろから日野の服を引っ張った。


「ショウちゃん、危ない!」


 力無くぐらりと傾いた日野の体目掛けて子供が飛び込んでくる。ぶつかった勢いのまま、砂が皮膚を削る音とともに子供の体が地面を転がった。ハルのおかげで日野への衝撃は和らいだものの、倒れた日野の手には青い本が重なっていた。表紙についた宝石が微かに光る。本の下から覗く爪が徐々に長く鋭く尖っていっていることに気付き、ハルは日野の手から本を振り払った。




◆◆◆




 霞んでいた視界が、晴れていく。周りの音すら聞こえなくなる程に痛かった頭もスッキリとしていた。いつもより世界が鮮明に見える。広がる青い空、沢山の苺が実り、モンシロチョウがひらひらと舞う、緑の芝生の上……ここは、あの街じゃ無い。日野は体を起こすと、すぐに自身の変化に気付いた。


「私、爪こんなだった?」


 指先から長く鋭く尖った爪が生えている。刻と同じ変化が起きていることに、ゾクリと鳥肌が立った。すると、どこからかカサカサと音がし始める。日野が辺りを見回すと、苺のツルをかき分けて深緑色の髪の小さな少年が現れた。


「ハル!? ハル、大丈夫!? 刻が現れて……私、動けなくて……あれからどうなったの? グレンは!?」


 そう言って日野は少年の両肩を掴む。少年は日野の手を優しく外して小さな手で包み込むように握ると、眉を八の字にしてニコリと微笑んだ。


「僕のこと覚えてる?」

「え? 覚えてるって、ハル……じゃない?」

「そう。いつもハルによくしてくれてありがとう、僕はアルバート。ハロルドの双子のお兄ちゃん。そして、お姉ちゃんをこの世界に呼んだ張本人だよ」


 一度会ってるんだけどね、と困ったように笑うその姿はハルに瓜二つだった。しかし、目の前にいるアルバートはハルよりも少し体が小さい。刻に引き裂かれたあの日から時間が止まっているのだろうか……そして、この子が私をこの世界へ呼んだ。


「あの、どうして私……」


 どうして私だったのか? 日野がその理由を聞こうと口を開いた時、金色に輝く日野の瞳を見つめながら、アルバートは優しい声で言った。


「目が覚めたら、覚醒してる。刻と同じようになる。そして、本には沢山の人の悲しみや苦しみが詰まってる。触れてしまったことで、それが身体に雪崩れ込むと破壊衝動が止められなくなる。でも、お姉ちゃんなら大丈夫って僕は信じてる。刻を、止められる」

「待って!? どういうこと? 私なら大丈夫って……!」

「……ハルに伝えて。ケーキの苺、譲ってくれてありがとう。美味しかったよ、って」


 そう言って、アルバートは消えていった。目の前に広がっていた温かな緑の場所はもう無い。その代わりに、風に乗って香る血の匂いが鼻をくすぐった。

 立ち上がった日野は、ニタリと笑う。灰色の空、破壊された街、金色の瞳が鮮明にそれを映し出した。

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