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第36話 どこが好き?

 ここは今いる街の東側。日野たちは次の街へ進もうとしていた。空を見上げると、太陽が灰色の雲の中に隠れ始めている。


「朝は晴れてたのにな……」


 まだ雨が降ってくるような気配はないが、あの子供は徒歩で向かった筈だ。いくら足が速いとは言え、子供の身体で次の街まで行くには時間もかかるだろう。もし雨でも降り出したら風邪を引いてしまうのではないか……日野が心配そうに空を見上げていると、後ろから両肩にトンっと手をかけられた。背の高いアイザックが上から覗き込んでくる。


「さて、私はここでお別れです。日野さん、本の影響で身体に何が起こるか分かりません。私とこの街に残る選択肢もありますが……どうしますか?」


 ……どうしてそんなに悲しそうな顔をするのだろう?


 アイザックはいつも通り笑っていたが、日野にはその表情がどこか悲しそうに見えた。不思議に思いながらその顔をジッと見上げていると、思い切り腕を引っ張られる。突然のことにバランスを崩した日野はそのままグレンに引き寄せられ、その腕の中にすっぽりと収まった。


「こいつは俺が連れていく」

「いいんですか? 日野さん自身に何が起こるか分からない。その体も、心も、守り切れる保証なんてありませんよ?」


 聞こえてきたアイザックの声がいつもより低い……抱き締められて身動きが取れなかった日野は、グイッとグレンを押してスペースを作ると、グレンの腕の中でくるりと振り返った。先程まで笑っていたアイザックが、いつになく真剣な顔になっている。本気で考えてくれている……頭痛や目眩のことじゃない、私自身が変わってしまうことを、心配してくれている。そんな感じがした。


 でも、気になる。自分がこの世界に呼ばれた理由や、初めて本に触れた時に聞いた声……知りたい。何が起きたのか、ちゃんと確かめたい。日野はキュッと両手を握ると、精一杯の笑顔をアイザックへ向けた。


「ザック先生、私グレンと行きます。大丈夫です、きっと」


 ……刻も、そう言って笑ったんです


「え?」

「私はまだここでやる事があるので……暫くはこの街に滞在していますから何かあれば戻ってくださいね。グレン、ハル、アル、日野さんは任せましたよ」


 そう言うと、アイザックは元の笑顔に戻っていた。

 小さな声で、聞こえなかった。あの時、ザック先生は何と言ったのだろう……あんなに、悲しそうな顔をして……。




◆◆◆




 東の森の中。アイザックと別れ、再び三人と一匹に戻った日野達は新しい街へと歩を進めていた。赤みがかった髪の子供がいないか辺りを見回しながら歩く。だんだん空がどんよりとしてきたが、雨は降ってこない。不安の渦巻く心の中を表しているようだった。しかし、そんな重たい空気さえも跳ね除けるかのように、ハルの明るい声が森に響く。


「ショウちゃん、ショウちゃん」

「どうしたの?」

「ザック先生とグレンはどっちがかっこいいと思う?」


 唐突なハルの質問に、前を歩きながら水を飲んでいたグレンが噴き出した。押さえた口元からダラダラと水が垂れ、苦しそうに咽せている。


「グレン、大丈夫? ハンカチいる?」

「だ、大丈夫だ。気にするな」

「ねえねえ、ショウちゃんはどっちがかっこいいと思う?」

「うーん、どっちもかっこいいと思うよ」


 困ったようにそう言った日野に、ハルはつまらなさそうな顔をして、そうじゃないんだよなあ……と呟いた。先頭を歩くグレンは内心ドギマギしていたが、流石に日野も二十七歳だ。上手くかわしてくれたと思った矢先、ハルが満面の笑みで日野へ尋ねた。


「ね、じゃあさ。グレンのどこが好き?」

「はあ!?」


 思わず声が裏返る。グレンはハルへ飛びかかり、その柔らかい頬っぺたをグイグイと左右に引っ張った。うぐぐぐと唸り声をあげながらハルが抵抗してくる。すると、うーん……と悩むような声が頭上から聞こえてきた。しゃがんだ体勢で見上げると、立ち止まった日野がジッと考えを巡らせている。


 ……え? なんだ? そんなに悩むことか? まさか一つも出てこないなんてないよな? 確かに過ごした時間は短いが……なんかあるだろ、一つくらい。そんなに考える時間が必要なのか?

 ジッと考え込む日野を見て、何だかモヤモヤしてくる。グレンは堪らず日野へ声をかけた。


「おい、何をそんなに考える必要が……」

「そうだな〜」

「あ?」

「優しくて、面倒見が良くて、料理が上手で、頼りになって、ぶっきらぼうで、寝起きが最悪で……私、グレンのそういうところが好きだよ」

「いや、最後の二つは悪口だろ」


 最後だけ何だか納得いかないが、面と向かって好きなところを言われると悪い気はしない。ふと日野と目が合うと、グレンは赤くなった頬を隠すようにそっぽを向いた。そして、褒めたつもりがグレンを傷付けてしまったのかと日野があたふたし始める。そんな二人の様子に、ハルは笑いを堪えながらグレンの耳元で囁いた。


「まだ脈なしだね」

「お前……一体どこでそんな言葉覚えてきやがった!? このマセガキが!」

「ぎゃああああ! 逃げろ〜!」

「ちょっと! グレン、ハル、待って!」


 叫び声をあげながら逃げ回るハルをグレンが追いかける。日野もその背中を追って走っていった。重く沈んでいた空気が、ハルのお陰で明るくなった。辺りを気にしつつ森の中を走り抜け、日野たちはどんどん東の方へと進んで行く。次の街まで、あと少し。

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