第20話 白髪の殺人鬼
「お水なくなっちゃったね」
ハルがボトルをひっくり返しながら言った。情報屋と会った街を離れて一日経った。相変わらず蒸し暑い森の中を、三人は歩いている。
「ねえグレン、休憩しようよ」
ハルの一言で、休憩することになった。いつもなるべく川が近い道を選んで進んでいるため、今日もサラサラと小川の音が聞こえている。日野はフーッと息を吐き、リュックを下ろすと音のする方を眺めた。
「私、お水汲んでくるね」
「ボクも手伝うよ」
「ありがとう。でもハルも疲れてるでしょ。たまには私が行ってくるよ」
ね? とハルに言うと、日野はチラリとグレンを見る。
「……まあ、すぐそこだから大丈夫だろ。何かあったら声をあげろよ」
「ありがとう」
「気をつけてね」
ハルが日野へボトルを手渡す。自分も何か二人の為に出来ることがしたい、そう日野が言っていたのを思い出し、水汲み程度なら大丈夫だろうとグレンもリュックを下ろすと日野にボトルを渡した。
◆◆◆
グレン達が休んでいる場所から、小川はそう遠くなかった。日野が振り返ると、グレンとハルが話している姿が目に入る。この距離なら大丈夫だろう。ザクザクと森の中を歩くと、透き通った水の流れる小川に着いた。
「気持ちいい」
しゃがんで指先を浸けると、ひんやりと冷たく気持ちが良かった。日野は持っていたボトルを近くの石の上に置き、一つずつ水を入れていく。すると、どこからかザクッと地面を踏む音がした。
「こんな場所になぜ女が一人でいる」
突然かけられた声に、日野はビクッと身体を揺らし、声がした方へ振り向いた。
「そんなに怯えるな。今日は殺す気分じゃない」
目の前にいたのは、白髪で黒いスーツを着た長身の男だった。近づいて来た男はスッとしゃがむと、日野の長い黒髪を耳にかけ、その頬に手をあてる。逃げなければ。そう感じて動こうとするが、全身に感じる威圧感に、日野は足が震えて動けなかった。
今日は殺す気分じゃない、確かに男はそう言った。ハルが話した刻という殺人鬼の特徴が頭を過ぎる。白髪で長身、金色の瞳を持っていて……しかし、この男の瞳の色は金色ではなく黒だった。
だが、刻ではなかったとしても危険人物なのは確かだ。とにかくグレンを呼ばなければ。そう思うが、叫ぼうとしても震えて声が出ない。グレン……! 日野が心の中でそう叫んだ時、森の中に一発の銃声が鳴り響いた。鳥達が一斉に羽ばたいていく。
「その女から離れろ」
「ボクのこと覚えてる? "お兄ちゃん"」
グレンとハルが男を睨む。アルも全身の毛を逆立てて威嚇していた。
「貴様らか……久しぶりだな」
「ショウちゃんを離しなよ」
ハルが、今までに見たこともないような怒りに満ちた顔で刻を睨みつけている。握り締めた小さな拳が震えていた。
「そう怖い顔をするな。殺す気はない。だが、そこから動いたら女の首を飛ばすぞ」
そう言ってニタリと笑う黒い瞳が、ゆっくりと色を変えていく。日野の頬に添えられた手は、爪が長く鋭く変化していった。やはり、この男が"刻"なのだと、目の前で鮮やかな金色へと変わった瞳を見て日野は確信した。
日野を傷付けない為に、その場から動けないグレンとハルを見ると、刻は日野の頬に手を添えたまま、逆の手を使って口笛を吹く。すると、森の中から黒い馬が現れた。
「逃げる気なの? ボク、ずっと探してたんだよ」
「逃げはしないさ。復讐したければ殺しに来い。それにこの女、この世界の人間ではないだろう」
いずれまた会うことになる。そう言い残すと、刻は黒い馬に乗って森の中へと消えていった。刻の姿が見えなくなってもガタガタと震え続ける身体を日野は両手で押さえる。そこへ、グレンが怒りを隠すこともなくズカズカと向かってきた。
「馬鹿野郎! 何かあったら声をあげろって言っただろうが!」
グレンの怒声に日野の身体がビクッと揺れる。
「ご、ごめんなさい」
「グレン、そんなに怒らなくても……」
ハルが宥めようとした時、日野の前にしゃがんだグレンが、まだ震えの止まらないその身体を引き寄せ力強く抱き締めた。
「怪我はないのか?」
「大丈夫。グレン……ごめんなさい。ありがとう。ハルもアルも助けてくれて、ありがとう」
「どういたしまして。ショウちゃんに怪我が無くてよかった。ね? アル」
肩の上にいるアルにそう問いかけると、アルはその場でクルクルと嬉しそうに回った。アルの頭をよしよしと撫でると、ハルはグレンにニッコリと笑いかける。
「女の子はもう少し優しく抱き締めなきゃダメだよ」
サラリとグレンに向かってそう言うと、グレンはハッとして日野を抱き締めていた手を離した。身体の震えはおさまったようだ。ハルは落ちていたボトルを拾うと、怒鳴られてへこんでいる日野へ一つ手渡す。
「ショウちゃん。ボク、喉乾いちゃった」
「あ、ごめんね。今お水汲みなおすね」
「ボクも手伝うよ」
落ち込んだ日野と一緒に水を汲む。偶然だとしても、家族を殺されてから全くその行方を掴めなかった刻をやっと見つけることが出来た。本当は今すぐにでも追いかけたいが、小さな自分の力だけでは敵わないことは分かっていた。だが、いずれまた会うのなら……その時は必ず……。
ギリ、と唇を噛むと、大きな手が頭に乗った。
「俺がいるのを忘れるな。一人で突っ走るなよ」
「わかってるよ。ありがとう、グレン」
◆◆◆
結局、三人それぞれ自分のボトルに水を汲んで、しばらくその場で休んだ後、ひとまず次の街へ向かうことになった。
再び三人は森の中を進んでいく。ハルは、前を歩くグレンをジッと見つめていた。
生まれ育った街と家族が刻に襲われ、何もかも無くした時は一人ぼっちになったと思っていた。でもいつの間にか、一人ぼっちではなくなっていて、あの日から何故かいつも傍にいてくれるネズミのアルバート、グレンやザック先生やショウちゃん……周りには大切な人が増えていた。
"俺がいるのを忘れるな"
大きな手のぬくもりとその言葉を思い出し、前を歩くグレンの背中に、ハルはそっと微笑んだ。
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